明けましておめでとうございます。
2015年未年。
今月、30歳になります。
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俳句を始めたのが2001年の4月。
甲南高校二年生のころ、塩見恵介先生から第4回俳句甲子園に出場してみないか、と誘われたのがきっかけでした。
愛媛県内だけで開催されていた俳句甲子園が、前年から県外の参加校を招聘し、いよいよ本格的に全国大会となった、最初の年でした。
もちろん知名度はまったくなく、ルールも何も初めて。参加費は無料。宿泊・食事全て向こう持ち、という好条件で、当時の私たちは「夏のクラブ合宿のついでに参加してみるか」という程度でした。
「夏の道後温泉、えーやん」と。
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それから。
ここまで付き合いが深くなるとは、思ってもみませんでした。
俳句甲子園も、ずいぶんと有名に。
俳句甲子園に対しては、いろいろなことを考えることが多く、現状に対して言いたいことはたくさんあるのですが(昨年もちょっと書きましたが)、それでも私はやっぱり、俳句甲子園が好きですし、松山・俳句甲子園で俳句を始めたということを嬉しく思っています。何より、俳句を「楽しむ」ことを教えてくれたのは、俳句甲子園です。
私は、1985年の早生まれです。
上の学年には、神野紗希、西村麒麟、外山一機、小川楓子がいる。
同年生まれ・一学年下に、佐藤文香、山口優夢、そして谷雄介という俊才が揃っている。
同学年の作家には、江渡華子、西川火尖、藤田亜未がいるものの、知名度からいっても実力から言っても、狭間の学年と呼んでいいでしょう。(上田さんの力稿でも、扱いが小さい)力不足は、批評でなく自戒として、甘受せざるをえない。
同世代の作家たちが、俳句表現史のトップとして「今」を切り開きつつあること。
そのことは誇らしくもあり、嬉しくもあり、彼らの創り出す「今」を感じていたいと強く思う。
その一方で、圧倒されるようなプレッシャーもある。
私は、塩見恵介を師匠に持ったことで、いわゆる結社の師弟関係とは違った俳句の修練を積んできました。
「船団」に属してからも超結社での活動が好きで、時に自由律、川柳、連句と他ジャンルにも顔を出したり。多くは私のわがままな性格ゆえでしたが、結果的に、いろいろと面白いことに巡り会えたと思っています。
そして、これは根からの性質でしょうが、実作以上に「評論」「批評」に目配りしてしまうところがある。
外山氏のほか、青木亮人、関悦史、橋本直、小池正博、俳句史をふまえた諸氏が見ている俳句の「現在」に、大変興味がある。
表現史を更新するようなことはないかもしれないが、私なりの俳句を作り出すとすれば、そういう俳句の「広さ」を反映するような、それでいて無理せず、気楽に、楽しめるような。力まぬ前衛、とでもいうような、そんな句かも知れません。
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俳句界で「若手」はいくつまでか、という議論があります。
「新人賞」の応募が50歳未満。
実質的に考えれば、角川『俳句』新年号の特集のように、またかつての『新撰21』がそうだったように、「40歳以下」あたりが、メドになるのでしょう。
とはいえ、30歳。
俳句甲子園出身であるがゆえ、高校生・大学生ら、後生畏るべし、の思いは人一倍です。
もはや、「若手」と言って気長に構えている年齢ではない。
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今後とも、曾呂利亭雑記をよろしくお願いいたします。
亭主拝。
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