2012年10月8日月曜日

噺のハナシ

 


週末、学会で東京へ行ったついでに、また麒麟さんに遊んでいただきました。

最近では東京へ行ったときは麒麟さん呼び出して(失礼)お酒呑みながら俳句の話するのが恒例になりつつあります。
今回は特に、前々から一度お会いしたかった阪西敦子さんと、突然の呼び出しに答えくれたサトアヤこと佐藤文香も一緒でして、お酒も美味しく、会話も盛り上がり、大変楽しいお酒でした。

今年はじめて俳句甲子園の審査員を勤められた阪西さんに感想うかがったり、ホトトギスの作風について質問したり、麒麟さんと川柳の話をしたり、若手同士のざっくばらんな会話はあっちへこっちへ飛び、、、飲み過ぎて最後のほうは酔っ払ってなにがなんだかわからなくなってたんですが。
うーん、二軒目を出てからホテルまでの記憶がない・・・・・・。

・・・あれ、私ちゃんとお金払いましたっけ?

・・・・・・あれれ? 何か他にご迷惑おかけしてませんでしたか?(たぶんホテルの人とかには迷惑だったはず・・・)


ううむ。。。本当に皆さん、すみません、お世話になりました。ありがとうございました。皆さん関西お越しの際には力一杯接待するので、是非誘って下さい!



ところで阪西敦子さんといえば、神戸に拠点がある「円虹」(現、山田佳乃主宰)に所属していて、ホトトギス派の有力作家である。と同時に、立川談春の追っかけで、落語好きの一面があることも、一部ではよく知られている。
談春の師匠、談志が逝去したときには、談志の十八番であった「芝浜」をタイトルにした連作を発表していた。(『俳句』2011年12月)

ということで、今回は俳句とまったく関係ないけれど、落語のオハナシです。

落語ファンなどと名乗ると本物の落語ファンに怒られそうだが、かくいう私も落語は好きで、年に数回は寄席や独演会に行っている。関西にも「天満天神繁昌亭」ができてからは気軽に落語を楽しめるようになった。
一度、繁昌亭の昼席に飛び込みで入ったことがあるが、平日昼間なのにすでに満員で立ち見だった。その時、たしか桂三象のイロモノ芸のときにおひねりがとんだ、というのも、寄席ならではのおもしろいハプニングだった。
ちなみに桂三象師匠、こんな人です。 →桂三象 Yahoo!検索(人物)


桂枝雀師匠が逝去されたのが1999年4月19日。
その頃私はまだ高校生で、落語はテレビで観ることはあったけれど実際聞いたことはなかった。当時は枝雀師匠のこともよく知らなかったのだが、

「噺家とか、歌舞伎俳優とか、観に行っておかないと死んじゃうなあ」

と思ったのは覚えている。(落語と歌舞伎が同列なあたりが高校生である)

大学に入って国文を専攻したこともあって、米朝一門会とかに行くようになった。
さっさと観ておかないと危ない、と思った米朝師匠は、高座こそ降りられたものの未だお元気で(素晴らしいことである)、まだ余裕があるだろうと思った先代文枝や桂吉朝が観る前に亡くなってしまった。
吉朝さんは特に、上手い上手いと評判を聞いていたので一門会で吉朝さんの出る日を選んで行ったら、当日体調不良で降板、そのまま亡くなってしまったのだった。追悼番組などで高座を観るに付け、生で見られなかったのが惜しい。


落語は好きなのだが、寄席で観るのが好きで、ラジオやCDではあまり聞かない。特に作業しながらだと聞き所を逃したりするのが嫌で、結局どちらにも集中できない。
大学院の後輩によると、聞き流すには上方落語より東京落語のほうがいいそうだ。上方はサービス過剰で笑いどころが多いのでとても聞き流せない。


たしかに、同じ落語でも東京と上方ではまったく味付けが違う。そもそも形が違う。
上方では、使う場合と使わない場合があるけれども「見台」があることが多い。演者の前にある机みたいなやつである。拍子木で見台を叩きながらリズムを作っていく、というのは上方独特の演じ方で、東京にはない。
また、よく知られるところで「はめもの」というバックミュージックもある。郭噺などでお囃子が三味線、弾き唄を入れて華やかさを演出したり、染丸師匠なんかはそのまま日舞を披露してしまったりする。

噺の傾向としては人情噺が少なく、ほとんどがくすぐり満載の落とし噺。
もっともわかりやすいのが「時うどん」だろう。東京では「時そば」だが、上方では「清やん」(清八)、「喜ィ公」(喜六)の二人連れ、清やんが見事にうどん屋をだますが、翌日まねをした「喜ィ公」は張りきって早い時間に行ってしまったため失敗する。
東京落語では視点人物、主役は基本的に一人で、サゲにむかって一直線に話を展開していく。しかし上方「時うどん」の場合、喜ィ公がうどん屋を前に、前日清やんと二人でした会話を一人で再現してうどん屋の親父に薄気味悪がられる、一人ドタバタ喜劇が見物であり、サゲはむしろ薄味になっている。

●:喜六 ★:うどん屋 
●(ふッふッふゥ~、ずッ、ずずゥ~~)グニャグニャやがな……(ずずずゥ)かっらぁ~……、引っ張りな、引っ張りな、何ちゅう顔してんねんやらしぃやっちゃなぁ
★……? あんた何言ぅてなはんねん? 大丈夫ですか? 他にどなたも……
●やかまし言ぃな「息と間ぁ」のもんじゃ、ダ(黙)~ってぇ。
●(ふッふッふゥ~、ずッ、ずずゥ~~)グニャグニャやがな……(ずずずゥ)かっらぁ~……、引っ張りなや、おついがこぼれるやろ。うどん屋のオッサン顔見て笑ろてるぞ……
★笑ろてぇしまへんでぇ、わて。どっちか言ぅたら気色悪ぅなってまんねんで……、誰か通らんかいなぁ。
●ダ~ってぇ、息と間ぁのもんじゃ(ふッふッふゥ~、ずッ、ずずゥ~~)グニャグニャやがな(ずずゥ)かっらぁ~……、引っ張りなっちゅのに、そない食いたいのんか? 食いたけりゃ食ぅたらえぇがな「食ぅがな、食ぅがな、食わいでかい」
★何言ぅたはりまんねん、誰ぁれも居てはれしまへんやないか、大丈夫でっか?


一言で言えば、上方のほうが「やかましい」。
現在の漫才・お笑い文化とも、このあたりは一脈通じているだろう。




「上方落語」という言い方は意外と新しく、昭和7年、雑誌『上方』で使われたのが最初だという。(Wikipedia 上方落語
それまで京都落語、大阪落語だったものが、京都落語の系譜が途絶えたことから一括して上方という呼称が広まったようだ。
ただ、言えることは「上方」はやはり「大阪」「京都」の二つの拠点があり、「東京」の一点集中とは違う、ということだ。
 

よく、金子兜太氏や宇多喜代子さんが、かつての関西俳壇の様子を評して「何でもあり」だった、というようなことを言う。
党派意識が希薄で、ホトトギス系の伝統作家、西東三鬼のような前衛・新興作家、一方で橋カン石のような独立独歩の作家がいたり、お互いがお互いを認め合っているような雰囲気があったようだ。

宇多さんなんかはそのあたりを上方の「町民文化」と言うのだが、私は別の側面も考えている。つまり、「京都」、「大阪」、それに俳句の場合は「神戸」と、移動可能なところに都市が3つ併存していて、それぞれ文化圏が違うのが「関西」なのである。
「東京」のように小さな街に一極集中すると、ヒートアップは早そうだけれども、傍からはどうも逆上せすぎじゃないか、と見える時がある。そんなとき、ちょっと茶化してみているのが「関西」だ、ということだ。

結論から言うとわりと紋切り型のケ○ミ○ショー的話題なのだが、東京の若手と交流していると、よくそんなことを思う。どちらもいいが、どちらの良さも、刺激しあえればもっといいのに、と。

 

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