岩波文庫『不幸なる芸術・笑いの本願』に収められており、タイトルだけではわからないけれども初出は『俳句研究』二巻四号(1935年4月)で、全体が俳諧論になっている。
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詩歌俳諧のたしなみなどと、昔の人は謂っていたけれども、漢詩は勿論のこと、歌と俳諧との間にも生き方はまるで違っていたように思う。早い話が花晨月夕、または祝言追善の筵へ出る者が、今宵は多分こういうことをいうだろうの予測は、歌ならばおおよそついていた。それを感吟する口上はさらなり、事によると返歌までも、用意して行くことができたかも知れない。・・・・・・是に比べると俳諧は破格であり、また尋常に対する反抗でもあった。何か意外な新しいことを言わなければ、その場で忘れられまた残ってもしようがない。だから世間見ずのよく吃驚する人の中へ、入って行って大いに持てようとしたのかとも思う。
昔も或る時制の最も強烈なる風潮に向かって、楯突きまた裏切る反感というものには、笑いより以上に有効且つ無害なる表白方法は無かったのである。無論その笑いが此方のものであれば、相手は憤り且ついよいよ圧迫したことであろうが、力ある人々には、物の形の整うのを愛すると同程度以上に、笑いによって自信と勇気とを養われることを好む風潮があった。敵と対する場合にはそれが鬨の声となり、また口合戦の言い負かしとなったことは、記録にもありまた我々も小さな実験をしている。
自分はここで改めて芭蕉翁一門の俳諧が、新たに如何なる手段を講じて、我々を悦び楽しませようとしていたかと言うことを、自信の印象に基づいて正直に述べてみたかったのである。前置きがちとばかり長くなったによって、詳しいことは次の折まで延期しなければならぬが、大体から言って高笑いを微笑に、または圧倒を慰撫に入れかえようとした念慮は窺われ、しかも笑ってこの人生を眺めようとする根源の宿意は踏襲している。当代の俳諧に至っては、私はこれを論ずる資格がない。またそう手短に見通し得る問題でもないようである。一言だけ最後に言ってみたいことは、発句というものにどれだけの俳諧があるだろうかということである。自分などがみたところでは、二折四段三十六句の一巻は、連合して一つの効果を挙げようとしている。それを直ちに俳諧と呼ぶのは、用語の拡張になって原の意味に合わぬかも知らぬが、少なくとも個々の一句の任務は分担であって、それがおのおの俳諧をしたならば、ちょうど芝居の馬の脚が嘶くようなものである。
人生には笑ってよいことが誠に多い。しかも今人はまさに笑いに餓えている。強い者の自由に笑う世は既に去った。強いて大声に笑おうとすれば人を傷つけ、また甘んじて笑いを献ずる者は、心ひそかに万斛の苦汁をなめなければならぬ。この問において行く路はたった一つ、翁はその尤も安らかなる入り口を示したのである。それには明敏なる者の、同時に人を憫れみ、且つその立場から此の世を見ようとする用意を要し、さらにまた志を同じくする者の協調と連結とを要する。
柳田国男「笑いの本願」『不幸なる芸術・笑いの本願』(岩波文庫、1979)
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本書には主に、笑いと文学との関わりについて述べた諸論考がおさめられており、柳田独特の、エッセイとも批評ともつかぬ考察が展開されている。
『俳句研究』の古い号を見ていると、柳田国男は結構よく執筆している。
「俳諧と日本文学」と題された『俳句研究』(1940年10月)の座談会になると、柳田国男、折口信夫、風巻景次郎、谷川徹三という顔ぶれで、古典文学を学んでいる人間としてはラインナップを見ただけで背筋が伸びる思いがする。
俳句作家で民俗学というと、単純には『民俗民芸双書15 俳諧と民俗学』の著書もある清崎敏郎あたりが思いつく。ほかには軍記研究で知られる角川源義だろうか。
三村純也氏は慶應で芸能史だから民俗学にも通じているだろう。もちろん、季語にまつわる知識などはまさに民俗学的蓄積が問われるところであり、茨木和生氏らの古季語探索活動なども思い浮かぶ。そしてこうした人々の周辺にも、民俗学的造詣に深い人が多いに違いない。
最近の総合誌では、そういった民俗や古典文芸に関する知見が掲載されないのは、専門の近い人間としては物足りないというか、残念ではある。
とはいえ、民俗学というものはある種のロマンティズムに陥りやすい学問でもあり、誤解を招きやすい学問でもある。これは柳田自身にも言えることだが、現代民俗に伝わる事例をついつい古代中世まで敷衍して同一のように錯覚してしまったり、あるいは民俗の事例が政治や社会の動きと全く無関係に自発的に発生するかのように語ってしまったり、といったことがありうる。
さかのぼれば近世において俳諧を通じたネットワークが、地方と中央との知の交流をもたらしていた、その交流のなかで「地方」「郷土」への関心が深まった、ということがある。(田中優子『江戸の想像力』など)
「地方」「郷土」への着目、という行為そのものが、俳諧のような、近世のきわめて都会的なニーズに刺激されて、というかもっと言えば、地方の事例というのが「郷土の独自性」を見いだそうとする外圧によってあるとき突然生み出された可能性がある、ということだ。風土詠だとか季語と自然だとか、そういうことを言うときには充分、そのあたりを意識しないといけないと、これは単なる自戒である。
最近の民俗学では、そうしたロマンティズムとは距離を置いて、かなり冷静に歴史的分析もふまえた成果が蓄積されている。きっとそうした知見は「俳句」周辺の人々の関心とも近いはずなので、両者がもっと交差するとよいのだが。
とはいえ、柳田の文章はそういった面倒な理論的前提条件を乗り越える力をもっている。論の妥当性については留保しながら、なお、読むべき視座を含んでいると言うべきだろう。
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