俳句の歴史を、伝統と前衛、守旧と新興との対立図式の変遷に見ることは今日、常識的に行われている。
この対立図式はまた、「俳」と「詩」、「俗」と「雅」とも同義ととらえられ、容易に換言して適用されがちである。
第一に、その言い換えが、はたして妥当であったかどうかが問われなくてはいけない。私がそのとき見つけた法則は、詩人の私が俳句に深入りするようになったことと強く関連するもので、俳句を律する二要素に詩と俳(新と旧)の因子をとり出し、その二因子の相克によって、近代の俳句史が展開してきたとするものであった。後に知ったことだが、復本一郎氏も近世俳諧に関して、反和歌と親和歌の二因子による展開を見ておられ、私の視点がただちに近世にもつながることがわかったが、それはさておき、私の法則を近代俳句史に適用すると次のようになる。
平井照敏「現代俳句の行方」『現代の俳句』(講談社学術文庫)
まず考えるべきは、「旧」い「伝統」とされるものが、「俳句」の伝統なのか、「俳句」以前の「俳諧」の伝統なのか、さらに「親和歌」の伝統なのか、ということである。
伝統を近代以前の「俳諧」に求めるとすれば「俳」につながるだろうが、「和歌」的美学に求めるならばむしろ、小西甚一の理解にそえばそれは「雅」(永遠美)に至る。
しかしそうしたおおざっぱなくくり方では、たとえば金子兜太の若き日の煩悶は救えないだろう。
(注、第二芸術論の)決め付けの猛猛しさ潔さに、私は、ああ戦後だなあ、とこれまた実感を募らせつつも、しかしおかしい、とおもっていたのです。フランス文学と比較しただけではわからない世界が、俳句と人人との結びつきにはある。その世界は、桑原や中村草田男のインテリジェンスよりも、もっとしぶとい肉体を持っているのかもしれない。そして、そこに開花している句をいきなり、詩ではない、芸術ではない、といいきれるものなのか。句を通じて、人人の中に心情のふれあいがあり、そこに感銘の熱さが得られているとき、それをしも詩ではないといいきれるのか。詩の高さ、とはなんなのか。
金子兜太『わが戦後俳句史』(岩波新書)
「秩父の子」金子兜太は社会性、文学性を問い詰めながら、一方で「人人との結びつき」、「土の思想」に強く共鳴する。そうした中での「俳句」を愛する。それは「俳句」ではないのか。
むろん、「土」にまみれていない都会にも、「人人との結びつき」は存在する。そしてむしろ「俳諧」という文化は、江戸や大坂の「町」で栄えた文化であった。俳諧のルートはそのまま文化のルートであり、近世には俳諧師がさまざまな都市文化の伝播者となったのである。
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「伝統」とか「守旧」とか言ったとき、そこに通底するものは何なのか。
あるいは「俳」という抽象概念で名指されているもの、こと、つまり端的に言って、我々が「俳句っぽい」と感じる、そのもっとも濃厚な部分は、なんなのか。
高浜虚子と河東碧梧桐の句を比較し、虚子の句をより「俳句」だと思う。
あるいは、角川春樹の軌跡を「毎年刊行した句集の一冊ごとに急速に伝統俳句化」した、と評する(平井照敏、前掲書)。
あるいは、坪内稔典の全句集をして林桂氏が看取した「大方の先達俳人が辿ったものと同じ」変遷、また「坪内を迎え入れた」とされる「規範」の存在。(―俳句空間―豈weekly: 静かなる常在戦場 林桂『俳句此岸 ’04~’08』を読む・・・高山れおな)
あるいは、高柳重信が晩年に五七五定型を発表する際に用いた山川蝉夫の句を引いて、芭蕉の境地を思う根拠(冨田拓也、百句晶晶)。
これらは、(そのすべてを同一視することはできないにしても)いったい、なにものであるか。
断っておくが、私は別段我々の考えるものとは違う「俳句的なるもの」が「俳句」のなかに本質的に内在する、などとは考えていない。
むしろ、現在の我々が感じるところの「俳句っぽさ」が知りたいのである。
現在の私たちが感じる「俳句っぽさ」、俳句的somethingとは、明治以降、様々な作家、評論家たちによって常に更新され補強され、歴史的に形成されてきたはずのものであり、私が知りたいのはその形成の過程であり、結果としての「俳句っぽさ」なのだ。
我々が読み、我々が作り、我々が関わり続けているこの、「俳句」という形式、あるいはジャンルについて、我々はさらに自覚的であっていいのではないか。
それを知るためには、目の前にある過去膨大な俳句表現そのものを、つまりすでにそこにある俳句を、もっともっと、読んでみるべきではないか。
「俳句」とはこうである、という定義から選別するのではなく、先行者たちが「俳句」と名付け、名乗った、その表現の山に、まず分け入ってみるべきではないか。
演繹ではなく帰納で、「俳句」を考える。
これはもちろん、子規も、山本健吉も、三橋敏雄も、やってきたはずのことだが、そしてその成果として導かれる諸々こそ「俳句っぽさ」と思われる最有力候補であるが、それでもなお、我々は、その人たちの仕事を遡り、検証しなおすことから始めるべきなのだろう。
いやいや、私が言うのはそんな大それたことではない。たとえば身近な作家の句業を「すべて読む」というような、そんなところからでも、現代俳句の沃野を概観していきたい、と、ただ、その程度のことなのである。
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