2021年5月25日火曜日

木田智美『パーティは明日にして』(書肆侃侃房)

 

2021年5月4日火曜日

塩見恵介『隣の駅が見える駅』を読む

朔出版、 著者の第3句集。

帯の惹句に「平成を駆け抜けた「船団」時代を総決算」とある。文字どおり「船団」解散にあわせて、新たな旅立ちという思いの籠もった一冊ということだろう。
構成が変わっている。二章構成で、Ⅰ 四月のはじめ~八月のおわり、Ⅱ 九月のはじめ~三月のおわり、となっていて、後書きにあるとおり、句作の現場であった大学の二期制にあわせたもの。

まずはざっと目に付いた句を。

#STAY HOME スイートピーが眠いから  Ⅰ

レタスから夢がこぼれているところ

犬動画見て猫動画見て日永

縄文の空に野生の虹を飼い

ポケットにいつの胃薬夏の月

女子力の高い団扇の扇ぎかた

中年は急にトマトになるのかも 

世の中をちょっと明るくする水着

廃船に汽笛の記憶草いきれ

ぷかぷかを悩む水母に陽が届く

いちじくはジャムにあなたは元カレに  Ⅱ

月ノ出ルアッチガマンガミュージアム

橋を焼くように別れて芒原

むく鳥は空消した消しゴムのかす

消化器のなかが霧笛であったなら 

コロッケのぬくさは正義冬めいて

虚子以後を小さなくしゃみして歩く

熱燗のそれぞれに貴種流離譚

初夢がめっちゃ良くなるストレッチ

燕来る隣の駅が見える駅

中高で専任教員として多忙を極めるなか、京都の女子大学で講師体験が長いせいか、ターゲットのみえる句が散見される。
日常的な「あるある」で笑いを取りにいっているような句も多く、機知と日常詠が本集の基調をなしているといえる。そのなかで「胃薬」「熱燗」の句は「中年」の現実といえるかもしれない。
そうした日常詠が多いなかで注目できるのは、「縄文の空」「廃船に」「橋を焼く」「むく鳥は」「消化器の」のような、ロマンティックな見立ての句だ。壮大さと繊細さが同居していて、作者の詩質が本質的に叙情にあることを思わせる。
「ぷかぷかを悩む水母に陽が届く」は、作者の想像力と日常的ユーモアの、中間的位置づけかもしれない。一見軽いが、「陽が届く」の優しい明るさが心地よい。

見逃せないのは、

白南風は地球の欠伸モアイ像  Ⅰ

爽やかや象にまたがる股関節  Ⅱ

印度全土の全印度象嚔

耕して地球にファスナー付けてゆく

蒲公英を咲かせて天と地の和解

などの、地球規模の視点をもった句。どれも壮大な比喩、想像力で気持ちが良い。

アウンサンスーチー女史的玉葱S   Ⅰ

びわゼリーちょっとセリヌンティウス風 

固有名詞を「~的」「~風」で形容詞に使う手法は船団のなかでも一時流行したが、解釈の幅が自由すぎて成功例は少ないように思う。
「アウンサンスーチー女史」は、何故か女史という敬称が必ず付けられる違和感とともに「玉葱S」の謎が重ねられていて、ちょっと複雑な句である。

それから、本集には一時期作者が集中して作っていた「雪女」の句がわずか二句(牛乳のちょっと混じった雪女、眼鏡だけ残して消えし雪女)しか収録されていなかったが、その代わりでもなかろうが宗教・オカルトめいた句がいくつかある。

守護霊がおられるのですビールに泡

サイダー、サイダァー、ってずっと言うイタコ

秋澄んで石触ったり拝んだり

風刺的ではあるものの否定的ではないあたりが作者の愛情かもしれない。

後書に「幼小中高大学生という年下の方々と教育現場で、あるいは、地域の若い社会人や熟した人生を送られている先達の方々とカルチャーセンターで」作られた句をまとめたという。著者の多忙ぶりは、私も仄聞するばかりだけれど、おそらく日本で一番バラエティゆたかな年齢層と句座を重ねている作家ではないだろうか。
表現に野心的な専門家が集まる句会ではなく、さまざまな年齢の人々と交流するなかで生まれた句集であるということが、現代俳句の、ある意味ではもっとも実践的な場で磨かれた表現でありうるということを実感させられる。


2021年3月26日金曜日

天狼を読む会


雑誌、天狼のバックナンバーを読む会が発足しました。

雑誌「天狼」は、山口誓子を中心に、西東三鬼、橋本多佳子らが集い、戦後まもない昭和23年1月に刊行されました。
誓子は巻頭言で「天狼」を「友情的俳句雑誌」と規定しながらも「酷烈なる俳句精神」「鬱然たる俳壇的権威」を備える雑誌を目指すと宣言し、そのとおり戦後俳句をリードする俳句雑誌に成長します。
やがて「天狼」やその僚誌からは、永田耕衣、細見綾子、鈴木六林男、鷹羽狩行、辻田克己、上田五千石といった人びとが育ちました。

神戸大学山口誓子記念館には、「天狼」創刊号から終刊号までのバックナンバーがそろっています。この貴重な資源を生かすため、「天狼」を読む会を発足しました。
現在、毎月1回オンラインで、1号ずつ雑誌を読んでいく読書会をおこなっています。
参加者の興味関心に応じて作品や散文についての感想、意見を交換する勉強会で、研究者、実作者、学生や社会人などいろいろな人が集まっています。

「天狼」を読む会に興味がある、参加したい、という方がいましたら、亭主(久留島)宛にご連絡ください。zoomの招待メールと、資料をお送りします。

 CQA21226◎nifty.ne.JP(◎を@に、JPを小文字に変換してお送りください)

次回は、5月8日(土)13:30~、「天狼」3号の内容を読む予定です。


本日三月二十六日は、山口誓子(1901-1994)の命日でした(すっかり忘れていました)。

誓子が亡くなった翌年が阪神大震災で、住む人もいなかった誓子の住居は全壊しました。
誓子の義弟(妻、波津女の弟)の紹介により、誓子・波津女の遺産はすべて神戸大学に寄付され、同時に蔵書や著作権を大学が一括して管理し、今後の俳句研究の拠点として整備することになり、住居の一部も大学が復元移築しています。


2021年3月16日火曜日

【転載】京都新聞2021.02.08季節のエッセー(19)

 「置き忘れ」

 忘れ物が多い。

特に、傘の置き忘れ。誰しも一度は覚えがあるだろうが、私の場合、残念ながら一度や二度ではない。

二年ほど前になるが、電車に乗ったところで長傘を書店に置き忘れたことに気づいた。幸い、店主とは親しかったのでSNSで連絡しようと思った、そのとき。驚くべき事実に気がついてしまった。
なんと、「傘を忘れたので、後日取りに行きます」という連絡を、その一年半ほど前、同じ店に入れていたのだ。

しばらく迷ったが、恥を忍んでまったく同じ連絡を入れた。
店主は笑って保管しておいてくれ、後日取りに行くと「こんなこと滅多にないから、笑い話にしたほうがいい」とアドバイスをくれた。
スマホには履歴が残るが、私のほうは進歩がない。

いま使っているものの中では妻からもらった名刺入れが、比較的長持ちしている。あちこちで置き忘れたが、名刺のほかにポイントカードなど個人情報をたどれるものが入っているので、万が一置き忘れてもすぐに気づいて、慌てて取りに戻る。
個人情報といえば、一度、携帯を新幹線のホームに置き忘れたときには、東京駅の忘れ物係から郵送してもらった。

ちなみに鉄道で多い忘れ物のランキングは、例年傘が第一位。年間数十万本が廃棄されるという。もちろん携帯やスマホ、意外と現金も上位に入るそうだ。
冬から春先にかけてよく見かける落とし物といえば、マフラーや手袋。
ガードレールや電柱に結びつけてあるのもしばしば目にする。道で拾った人が目立つように配慮したのだろう、同じ道を行きかう人同士の、無言の会話のようなもの。
いかにも俳人好みの素材だと思うが、成功した句を見たことがない。誰もが目に留めることをオリジナルな表現で言い止めるのは至難の技なのだ。
なくすことが多いせいか、物への愛着は薄くなりがちだ。
文筆業の人だと筆記用具に愛着をもつ人も多いのだろうが、私はなくしたらあきらめて同じメーカーの品を買い直してしまう。
たとえば私が死んだあとも、思い出深い愛用の品というものはたぶんあまり残らない。
以前は我ながら寂しい気もしたが、もしかすると、とても潔いことかもしれない。
そう思うとちょっと愉快な気もする。


※追記。ちなみに、文中に登場する「書店」さんは、葉ね文庫さんである。
※追記。このエッセーを読んだ姉から、「私が東京駅に携帯を行った気がする」といわれた。そういえばそんな記憶がある。
証明が必要だから直接取りに行かないといけないと言われて、取りに行ってもらったのかもしれない。そうすると、郵送してもらったのは姉から郵送してもらったことになるので、上の記憶はやや間違いがある。

2021年1月18日月曜日

【転載 京都新聞 2020.12.21 季節のエッセー(18)】

「袋回し」

十二月といえば袋回し。
俳人共通というわけではないけれど、我々のグループでは、いつからかそういうことになっている。

 袋回しというのは、俳句を作って読みあう句会形式のひとつだ。
 参加者全員に封筒(袋)をひとつずつ渡し、それぞれが封筒の表に俳句の題を書き込む。題は季語でも何でもよい。季語以外の名詞、「走る」「笑う」などの動詞、漢字一字や、「カタカナを使った句」「京都らしい句」のようなテーマでもよい。

 自分の書いた題を詠みこんだ句を封筒に入れ、時計回りに隣の人に渡す。
 すると次の題がまわってくるので、また一句作り、次へ渡す。
 一巡したら封筒をひらき、句会開始。どんな題が来るかは、封筒を見るまでわからない。題詠の瞬発力が試される。

 句会ではお互いよいと思う句を選び、高得点句から順に批評しあっていくのだが、なにしろまず参加者と同じ数の題で句を作らなくてはいけないから大変だ。時間制限を設ける場合もあるが、隣の人が即吟派だと、次々に順番がまわってきて宿題のように封筒が重なっていく。
 一方、反対側の人は暇そうに、お菓子なんかを食べ始める。
 プレッシャー。
 推敲している暇はない、どんどん作ってどんどんまわす。語彙が出なくなり、季語を思いつかなくなってからが本当の勝負。はじめは和やかだった場が荒れ、悲鳴や苦悶の声が漏れだす。
 句会が始まってから、しまった五七五を数え間違えた、何度も直していたら肝心の題を入れるのを忘れていた、なんてミスに気がつくのもよくある話だ。

 ある年の暮れ。幹事が「袋回しの最高得点の景品に蟹のセットをプレゼントする」と宣言した。知り合いの伝手で安く手には入るらしい。
 ただでさえ忘年会を兼ねて出席者が多いところ、景品を聞いた参加者が増えて三十人近い人数になり、狭い会議室のなか、すし詰めになってひたすら句を作った。作句時間が終わると、みんなが一斉にため息をついた。しかし句会はここからだ。全員の句、つまり参加者の人数の二乗ぶんの句を読んで選ぶ。あの日景品を手にしたのは誰だったか。終わるころには疲れ果てて、まるで運動会のあとのようだった。

 袋回しは、発想を飛ばして普段の自分ではない表現に出会うための実験だ。またあのスリリングな運動会を体験したい。

2020年12月21日月曜日

【転載 京都新聞2020.11.16 季節のエッセー(17)】

 「黄落期」

 歳時記では、立冬から節分までを冬季に分類する。今年は十一月七日から冬になった。お約束なので仕方がないのだが、困るのは「紅葉」が秋季に分類されていることだ。
 紅葉が秋なのは当たり前だと思われるかもしれないが、例年、紅葉のピークはどう考えても十一月半ばから後半、つまり歳時記では初冬。一足早く冬の訪れを感じたい時季なのである。「冬紅葉」という季語もあるが、どちらかというと寂しい雰囲気。「錦秋」とも呼ばれる紅葉の華やさは失われてしまう。

 多くの俳人は、嘱目()といって目の前の題材や季節感を詠み込むときは「紅葉」季語のイメージを大切にしたいときは「紅葉」と、使い分けているのが現状かと思う。

 銀杏などの黄葉をあらわす「黄落」という季語もある。「黄落期」となれば十一月も後半で、季語としては晩秋だが、世間的にも冬を感じ始めるころだろう。今年は寒くなるのがはやいようなので、紅葉も冬の訪れも、少しはやくなりそうだ。

 学生時代、地下鉄の今出川駅から地上へ出ると、ちょうど京都御苑の木々が目に入った。初冬の青空に銀杏の黄葉が映える様は、とても見事だった。講義がはやく終わって時間があるときは御苑を抜けて、四条まで歩くこともあった。御苑はお金をかけずに季節を感じることのできる、一番身近なスポットだ。

 今から思うと、学生時代はよく歩いた。
 京都大学のある百万遍へはたいていバスに乗らず歩いていたし、北大路でひらかれる句会へも、歩いて通っていた。
 地下鉄に乗れば五分、歩けば十五から二十分。コートのポケットに手を突っ込んで、その日出さなくてはいけない俳句を考えながら歩き出す。目につく言葉を口ずさみ、題材を探す。初冬の季語か、まだ晩秋の季語は使ってよかったか。

 鞍馬口の古本屋を通り過ぎ、紫明通りの銀杏並木が見えればもう半分。北大路通りを渡り、北文化会館へ急ぐ。

 そういえば京都の人に今出川から北大路まで歩くと言ったら、上り坂だから大変でしょうと言われたことがある。上り坂? 言われてみれば、確かに。
 坂の多い神戸生まれの私はちっとも気にしていなかったが、擦れ違う自転車はスピードを上げ南下していく。北山へ向かって、少し傾斜があったのだ。
 やはり町のことは、歩かなくてはわからない。


2020年11月9日月曜日

【転載】京都新聞2020.10.13 季節のエッセー(16)

「正倉院展」 

奈良国立博物館の正倉院展は今年、七十二回目を迎えるという。

NHKの紅白歌合戦が七十一回目だそうなので、それより一回多い。
そろそろ年中行事として歳時記に掲載されてもよいのではないか。

ご存知の通り、正倉院は聖武天皇遺愛の品などを中心に収蔵した東大寺の宝物庫。
そこから特に奈良時代の息吹を感じられる名品だけが選ばれる展示会なので、大変なにぎわいになる。
私は行ったり行かなかったりだが、例年、NHKの番組でとりあげられた翌日は長蛇の列ができ、一時間、二時間待ちも覚悟しなくてはいけない。
奈良国立博物館は京都に比べ、どちらかというと地味、といって悪ければ通好みの企画展が特徴だと思うが、正倉院展だけで一年の収益をほとんどまかなっているのではないかと疑っている。

幾何学模様を組み込んだ華麗な毛氈。
鮮やかで緻密な螺鈿細工。
輝く象牙の調度品。

大陸から渡来したものも多い。

ガラスケースのなかに鎮座する名宝をぐるりと取り巻いた観覧客が、口々に嘆声をあげる。

「昨日テレビで見たやつ」
「すごいねえ」
「きれい」

古代の美に圧倒されながら、現代では失われた技術を思う。時代が進んでいると思っているのは現代人のおごりで、進化したのではなく比重が変わっただけかもしれない。

聖武天皇が積極的に仏教をとりいれた理由もよくわかる。
国際化が叫ばれて久しいが、日本史上、もっとも国際的に開かれたのは奈良時代だったのではないだろうか。
唐風の都大路に仏教寺院、大陸趣味の調度品をとりそろえ、きっとかなり背伸びして、異国文化になじもうとしていたに違いない。
現代では使い方がわからない小物もあるが、そもそも当時の日本人たちはどこまで使いこなしていたのだろう。

ところで奈良国立博物館のミュージアムショップでは仏足石や蔵王権現、天女像などしぶい仏像をゆるキャラっぽく描いた「元気の出る仏像」シリーズが人気で、オリジナルのスタンプやTシャツが販売されている。
今も毎年正倉院展に通っている妻は、「走り大黒」がお気に入りなのだが、近年この像は中国の感応使者という神像ではないかとされるようになった。
渡来の神像が日本で別の神格である大黒天だと思われたうえ、現代ではゆるキャラに生まれ変わった。

悠久の歴史は、そんな転生譚も伝えている。