2017年1月30日月曜日

句集は無料


ネットで賛否両論やかましい、こちらの話題。

炎上芸人・キングコング西野亮廣、2000円の絵本『えんとつ町のプペル』無料公開で物議! 称賛の声の一方で批判も殺到

これ、句集の話にもつながるよね、たぶん。

句集が、ほとんど自費出版・仲間うちの贈答文化のなかで消費されて、つまり作家の自己負担のうえ、「無料」でやりとりされているものだ、というなかで、でも本屋でバーコード付けて売っている、という事実。

建前としては読むべき句集ならちゃんと買いますよ!と言いたいところだけど、本音を言えば、読みたい友人・知人の句集は、もらえるとたいへん助かる。ありがたい。
特に、さほど親しいつもりもなくて、買うつもりだった句集が不意に送られてくれば、それは大変ありがたく、助かるわけです。
とはいえ、私は句集として一人の作家の作品をまとめて読むのが好きだし、本棚に並べるのも好き。
だから、作家として尊敬している友人、知人、先輩、後輩の句集が出たら、その作品に、対価を払うことになにも不都合は感じないし、読みたい句集なら絶対に買う。
男波弘志句集『瀉瓶』のように、定価壱萬円、とか言われたらさすがに買えないですけれども)
たまに「読みたいから下さい」と作者に言う人を見かけるけれど、私自身はかなり抵抗がある。読みたいなら、基本はやっぱり「買う」でしょ。

でも、どうなのかなあ。

実際問題として、陸続と出版される句集の山を、正直に買ってたら破産します。
一冊2000円前後、高いものは3000円くらいするわけで、しかも俳句仲間というのは年をおってどんどん増えて広がっていくわけで、どんどん買い続けなくてはいけないのは、経済的に相当負担。

よく言うように、句集出版が「多くの人に読まれたい」、つまり、情報として多くの人に共有されることだけを目的にするなら、ネット公開のほうがよほど多くの人に読まれるのではないか。
ネットを使わない人に対しては、郵送なりメール添付なりで直接送ってさしあげてもよい。

実際、先般句集『ただならぬぽ』(ふらんす堂)を公刊された田島健一さんは、無料電子書籍を継続的に公開しつづけていた。
「たじま屋ebooks」

外山一機さんの『平成』『御遊戯』は、週刊俳句からダウンロードできる。
週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第317号 2013年5月19日

石原ユキオさんや岡田一実さんも、期間限定だったのでいまは公開されていないが、定期的にネット上で配信しており、愛読者にとってはうれしい。

でも、どうなのかなあ。

句集というのは、本として形に残る。というところに付加価値があって、ふらんす堂さんなどはその製本技術にたいへんな矜持を持っている。
曾呂利亭雑記: 活動記録
(ふらんす堂山岡社長も登壇した船団フォーラムの記録)

私自身は、どちらかというと本好きではなく読書好きであって、好きな作家の本でも文庫や廉価版で手に入れて読めればいいタイプ。装釘や初版にこだわる、いわゆるビブリオマニアな趣味には遠く、書誌的な関心は薄い。
それでも電子書籍よりは、本という形で読むのが好きだし、本にかける人がいて、たくさんの人の手をわずらわせながら一著に成るという行程も嫌いではない。
だから、句集として残す、というところに意義をかける作家が多いことはわかるし、そこを助ける本屋と、本屋を助ける意味でも書籍流通の場は機能していってほしい。

ネットの無料公開というのは、その行程をすっ飛ばしてしまうことになるし、作品を売って生活する職業作家としての意義も、その作品を売るマーケットを支えるさまざまな業種の人たちの価値も、全部無意味だ、無効だ、作品が情報としてだけ共有されればいい、という態度に見えてしまう。

それはちょっと、(西野問題でも明らかになったように)いただけない。
私たちが好きな「本」にまつわるあれこれに対するペイは、決して「お金の奴隷」ではなく、必要な対価であり、正当なものだと思う。

でも、どうなのかなあ。

思い出として、内外に残すために作るなら、私は句集の数はもっと少なくてよいと思う。

建前として「句集」にかける、「句集」に残す意義が喧伝される一方で、実際問題としてひとりの作家が出している句集の数は、それだけの理想や意義を超えた分量だと思うのですけどね。
鷹羽狩行句集『十七恩』平成22年から24年までの401句を収める第17句集。
中原道夫句集『一夜劇』 第十二句集

うーん、なんなんだろう、このもやもや。

ある意味で「売れる」のだから、作家として「売れる」ために書き続ける、出し続ける、というのは、いいことなのかな。

俳句にはもうひとつ、「文台引き下ろせば反古なり」という言葉もあって、
というか「句会が大切」「句会こそ俳句」なら、なんで私たちは句集という形で句を読み、句集という形を大切にしてきたのだろう、という、俳句特有の問題もある。

実際のところ、俳句・俳諧というのは、江戸の昔から出版業界と密接な関係にあって、「座の文芸」であると同時に、出版メディアと不即不離で発展してきた分野である。
本読みのための 大阪まちある記 〜活字メディア探訪第4回 大阪の出版文化をリードした俳諧師たちとは(前編)
本読みのための 大阪まちある記 〜活字メディア探訪 第5回 大阪の出版文化をリードした俳諧師たちとは(後編)

「俳句」の流通に、どのような「メディア」がふさわしいか。

それって、俳句の歴史と意外に深く関わっているのではないだろうか。

参考.
キングコング西野の件は「炎上」では足りない
ハックルベリーに会いに行く キングコング西野さんの絵本の売り方について(3,823字)

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