賀詞、いちおう毎年変えてるんですよこのblogで。
昨年はちょっと休んだのですが、今年は原点回帰でわりとわかりやすいものを。
というわけで明けましておめでとうございます。
気づけば開設当時はにぎやかであった俳句評論系のblogも、ほとんどは休眠状態、書き手の方々も、もっぱらSNSなどに移行している感じがいたします。
いや、むしろ紙媒体へ移行されている、のでしょうか。各総合誌の時評子なども、顔なじみ・世代の近い書き手が増えてきたように思われます。
世代交代の遅い俳句界にも、少しずつ変化が生まれてきているのでしょうか。
昨年末、Twitter上で、青木亮人さん、関悦史さんたちと直近俳句史について意見交換する機会があり(トゥギャッターまとめ 現代俳句史のための材料集め)、私が俳句界に足を踏み入れてからの十数年も、確実に歴史は変わってきているなあと実感。
一方で私のほうは相も変わらず関西で好き勝手やっておりまして、昨年はついに関西現代俳句協会青年部部長という肩書きになってしまいました。おかげさまで昨年は2回の勉強会を主催しましたが、周りからはイベントよりも俳句を発表しろと怒られております。
考えてみると私が定期的に発表する媒体は「船団」のみ。これが年4回の季刊で、一度投稿を忘れてしまいますとたちまち半年くらい音沙汰不明になるわけですね。それ以外の媒体は、なにしろ依頼が来ませんから、発表したくても発表しようがない。
あとはこのblogかtwitterくらいでしょうか。
昨年はひきつづきなかなか句会にでる機会も作れず。大学の講義で俳句創作なんかを任されている手前、句数だけは作りましたが、顕著なもので、緊張感のある句会へ出ていないとやはり実力は鈍るようです。
一年間これといったヒットもなく、うーんどうしたものかな、と。
あ、そういえば私、俳句は第四回俳句甲子園からですから15年ほどやってることになりますが、年末恒例の「年鑑」に名前が載ったのはたぶん一度もないです、はい。
正直言って、私の知名度も実力もその程度です。ですが、ありがたいことに大学の講義や俳句ラボ、それに現代俳句協会など、俳句について考える機会はずっと与えてもらっているし、俳句を読み、詠むことはずっと続けている。
昨年夏には、編集委員として関わった『坪内稔典百句』(創風社出版)も刊行されましたし、おかげさまでずっと俳句について考える機会はあった。
塩見先生発案の「伊丹俳句ラボHP」(名称は俳句ラボだが柿衞文庫とは無関係、俳句ラボ有志のあつまり)で句集一冊を読むという企画をやったのも、こっそり力になっている気がする。なかなか句集一冊しっかり読んで文章にまとめる機会も少ないですからね。(バックナンバーで公開中)
負け惜しみ程度のことを言うと、俳句を続けてきた15年間、個人的な好不調は何度も味わっていて、ただ止めようかとはならなかった。たまたま環境が良かった、チャンスがあった、ということもありますが、さすがにこれからは、環境が変わっても俳句をやめることはないだろうと思っています。
研究と同時に創作に関わっていること、そして創作の第一線にかかわる人たちの息吹を知っていること、これは私にとってとても貴重な財産だと思っています。
だからね、私からすると、作品ごと、一句ごとに勝負をかけたい作家的態度と、ずっと俳句にかかわりたい、楽しみたい、という俳句愛好の立場は、共存するし、入れ替わるし、どちらか一方を強いられるものではないと思うのです。
俳句って、先も長いですからね。
関連:関西現代俳句協会 エッセイ チョコを食べるのをやめてしまった 久留島元
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さて、そう言いながらありがたいことに、今年は年始に紙媒体でのお仕事をいくつかいただいています。
まず、同人誌「里」2017年1月号で、瀬戸正洋句集『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』(邑書林)より一句鑑賞。すでに刊行されています、拝受しました。ありがとうございます。
松本てふこ(同時)(ホントは童子)、石原ユキオ(憑依系俳人)に囲まれて、これはどこの庫内灯?と思う顔ぶれですが、楽しく鑑賞書かせていただきました。
また、これはちょっとイレギュラーですが、神戸新聞文化欄の正月特集「新子を読む 新子へ詠む」に登場します。掲載は、1月6日の予定。
この特集は時実新子没後10年の企画ということで、5回連載のラスト。ほかの顔ぶれは八上桐子ほか川柳界の錚々ということなので、ひとり場違い感がハンパないのですが、ほとんど初めて、新子川柳に正面から向き合いました。
機会があればお手にとっていただけると幸いです。
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期せずして回顧と展望的な話題に。
俳句の片隅で俳句を続けていく所存です。本年もよろしくお願いいたします。
亭主拝。
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