2013年9月10日火曜日

9/9連句の日


連9、で「連句の日」(だった)らしい。
まだ普及していませんが、そうらしいです。小池正博さんに聞きました。



先月の末「大阪連句懇話会」というところにお邪魔してきました。

小池正博さんからお誘いをいただいて、前半「俳句甲子園世代と若手作家の現状」ということで小一時間ほど話させてもらい、後半は連句の座にも参加してみました。

もちろん私、連句はまったく初心者。
この日のために一応いくつか指定された本は読んでいったものの、実際やってみるまではまるでわかりません。
ところが、当日はゲストということで発句をもとめられたので、

  三つめの目の玉ひらく秋暑し  元

と作り、ひとまず皆さんのやり方を見学することに。

言い忘れましたが、私の本業が「お化け」研究だということで、これも小池さんの提案で「妖怪」しばり(賦物というそうです)の半歌仙(歌仙三十六句の半分、十八句)になっております。従って、「月の座」も「花の座」もすべて「妖怪」がらみになるはず。

この日は5、6人ごとのチームにわかれ、それぞれ別々の歌仙を巻く形式。チームによって「和漢聯句」や「短歌行」を行っているところもあり、同じ会場にいながらバラバラというのも、なかなか不思議な気分。

こちらの「妖怪連句」では、まず「捌き手」、宗匠役の小池さんが「脇句(二番目)」を出します。
    あやしの里を照らす月光  正博

うむ、「妖怪連句」らしいスタート。
ふつうの歌仙ではもう少しあとに出す「月」を、今回は「秋」で月の季節なので早めに作った、のだとか。

ここからは歌仙の参加者が、それぞれ出来た句をどんどん提出し’(出勝形式)、「捌き手」がルールや展開をふまえながら選び、「付けて」いきます。
もちろん作るのは無作為に作るわけではなく、たとえば第三句は発句・脇をうけながら次の展開をみせる、季節はまだ秋のままで、などの条件があります。

この第三句あたりから、だんだん「連句」らしさが出てくるのだろうと思いますが、この時点で、「俳句」の人間としてはずいぶん雰囲気が違うなぁと驚きます。

まず投句に時間や数の指定がない。
作りながら皆さん、お茶飲んだりお菓子食べたり、けっこうのんびり雑談を楽しまれている。作るヒントを探しているのもあるんでしょうが、全然関係ない話題も多い。
私も結構お化けの話をしたり、俳句の話をしたり、のんびり過ごさせてもらいました。この雰囲気は、句会で〆切直前の緊張感とは全く違います。
芭蕉の時代なんかは数日かかって歌仙を巻いていますし、ネット上でも、長いときは数ヶ月にわたって続いていることがありますね。

だいたい皆さんが作って打ち止めになったと思えば、「捌き手」が、出た句のなかからふさわしいものを選んでいくわけですが、今回は通常の歌仙ルールに加え「妖怪」しばりなので、参加者も頭を悩ませています。
選ばれたのは、「なま臭き風吹き渡る薄原 品部三酔」でしたが、作者と捌き手が相談して、次の句に続きやすいように添削が行われました。

      あやしの里を照らす月光  正博
    薄分け生臭き風吹き渡り   三酔

連句は前句との流れと展開を重視するので、前の句に使われた語を使うのはアウト。直接使うだけでなく、発句が「三つ目」なのでしばらくは数字は使わないとか(「一反木綿」とか「一本足」なんて使えないわけです)、前の句で「人物」が登場したらしばらくは「風景」にするとか。
重複を嫌うのは、「連句」として一つの作品が完成したときにマンネリ、中だるみを防ぐためなのだろうと思われます。
しかし、句を選ぶのも「捌き手」なら、句を棄てるのも「捌き手」です。棄てられた句はもう日の目を見ないわけで(もちろん改作して再利用は可能ですが)、連句の座における「捌き手」は、初見の限り絶対君主のごとし。
最終的に完成する歌仙の性格は、すべて「捌き手」にかかっていると言ってもいいわけです。
たとえば第四句では

    薄分け生臭き風吹き渡り  三酔
     おいてけ堀にぷくり泡立つ  なおみ

と付いたのですが、脇句の「あやしの里」が場所、地名だとすると「おいてけ堀」の地名はかぶるのではないか、という見方もあるらしい。(一句おいてカブるのを打越と呼ぶ)
これを許すも許さないも、「捌き手」のさじ加減ひとつであり、まったく「作者の作品」という考えが、通用しない。

俳句の場合、たとえ主宰に選ばれなくても、あとから句集に忍ばせるとか、お勧めしませんが別の句会で出すとか、自分で発表することが可能です。
しかし、たとえば先の「おいてけ堀に」が棄てられたとしても、あとで前後の句から独立させて発表する・・・ということは、ない。できない。

ううむ。「俳句は座の文芸」と、私も人並みに唱えたことはあるが、やはりホンモノの「座の文芸」に参加してみると、個人主義の文学とはかなりの懸隔がある。

一方で、では「作者」個人を感じる瞬間は無いのか、というと、それも違う。第五句は

     おいてけ堀にぷくり泡立つ   内田なおみ
    飛び上がる河童の皿にりぼんあり  もりともこ

と展開したのだが、本所七不思議の、よどんだ「おいてけ堀」から、「河童のりぼん」への飛躍はお見事で、発句からの江戸情緒的な雰囲気が一気に変わってしまった。

まだ連句の世界は一度、入り口からのぞいただけなのでわからないこと、誤解していることが多そう。

「連句」のルールも含めて、もう少し確かなことが言えるようになったら、またご報告したいと思います。



さてさて、連句懇話会で話題になったのが、今の俳人で連句人は誰でしょう、という話題。

当日もお会いした連句協会の会長、臼杵遊児さんは俳句は「春燈」に属しているそうで、また「船団の会」の梅村光明さん、赤坂恒子にもお会いした。
ただ、いま連句と俳句の二刀流で有名人は少ないようだ。俳句のほうでは小澤實さんや品川鈴子さんが知られているが、協会に属さずやっている人も多く、相互の交流は盛んではないらしい。

と、そこで思い出したのが橋閒石
一般には
  蝶になる途中九億九光年
  階段が無くて海鼠の日暮かな
   噴水にはらわたの無き明るさよ
  銀河系のとある酒場のヒヤシンス

あたりが有名だろうか。
晩年になって蛇笏賞で知られるまでは、英文学者として、また俳諧・俳句の研究で知られていたのは周知のとおり。
もともと印象的で好きな句が多かったこともあり、連句会で名前が出たことなど、いろいろの都合で詳しく読みたくなり、図書館で『橋閒石全句集』を借り出すことにした。

さいわい橋閒石は神戸の大学で長らく教員をしているので、神戸市立図書館には蔵書が多いわけである。

そしたら、出るわ出るわ。
「俳壇」とまったく交流のなかった初期から、面白い句がたくさんある。

  目つむりて剃られゐる子よ朝燕  『雪』「道程」
『雪』の発行は昭和26年、「道程」は昭和23年以前の句だそうですから、明らかに寺山より早い。(寺山は昭和10年生まれ。第一句集『我に五月を』は1957年刊)
少女が襟足を揃えてもらっているのか、それとも少年が生えかけの髭を剃られているのか。
すこしエロチックな感じの句です。

かと思えば、
  子と遊びたく春宵を酔うて帰る   『雪』「彩雲」
どこかの酔いどれ俳人を思わせるような(固有名詞は避けます/思い当たる人名はたくさん)句もある。

  現れし漢いきなり野火放つ  『雪』「彩雲」
のような乱暴な句もあれば
  雲うすく芽木にかかれば帰りたし
と湿っぽく、
  靴下のどれも濡れをり梅黄ばむ  『朱明』
    生欠伸とめどなし含羞草に触れ
のようななさけなく可愛らしい句、
  露早き夜の鉛筆削り立て
  螻蛄の夜のどこかに深い穴がある
  すいと来る夜をふかぶかと沈む椅子
と奇妙な感覚で作られた句もある。

うーむ、このバラエティ。侮りがたし。

まだまだ晩年にむかって句集は続くので、じっくり楽しみたいと思います。  

※ 9/12、補足追記

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