2013年9月20日金曜日

俳句ラボ

「俳句ラボ」、9月からは久留島が担当します。

初回は9月29日(日) 14:00~。

よろしくお願いします。


若手による若手のための俳句講座「俳句ラボ」


関西在住の若手俳人 塩見恵介、中谷仁美、杉田菜穂、久留島元の各講師が、俳句の作り方や鑑賞の方法などについてわかりやすく、楽しく教授。
魅惑的な俳句の世界へエスコートいたします。句作経験が無くても大丈夫。
実作を中心に実践的な句会を体験していただく、ユニークな内容を予定しております。

対象:45歳以下で俳句に興味がある方ならどなたでも。
内容:各月の最終日曜日、2時から5時
基本を学ぶ(6・7・8月 講師:杉田菜穂)
どんどん作って上達(9・10・11月 講師:久留島元)
楽しいイベントと句会(12・1・2月 講師:塩見恵介・中谷仁美)
※3月には、全講師参加による総括句会を予定しております。
※受講者は、講座終了時に作成する作品集(講師、受講者の作品などを掲載予定)に作品をご掲載いただけます。
受講料:
  1、2、3すべて受講:5000円
  1、2、3いずれかを受講:1期につき2000円
問い合わせ・申し込み:

  電話(072−782−0244)で公益財団法人柿衞文庫まで

2013年9月17日火曜日

『WHAT 2013 Vol.1』を読んだ


『週活句会メンバーによる合同句集 WHAT 2013 Vol.1

201391日、マルコボ.コム発行。
概要は表紙に印刷されているとおり。
Weekend Haiku AcTivities 18歳から20代までの方のインターネット「週末俳句活動句会」略して「週活句会」メンバーによる合同作品集

18歳から20代、具体的には俳句甲子園世代(出場の有無を問わない)によるメール句会から、有志16名が15句ずつ持ち寄って作った作品集、ということのようだ。

きわめてシンプルなデザインのお手軽句集だが、夏井いつき率いる「100年俳句計画」の一環として始動した「句集Style」シリーズのひとつらしい。
135mm×135mm36ページ。

目次
 指先に空   小鳥遊栄樹
 水の記憶   安里琉太
 硯の海   森直樹
 感覚的宇宙   雀子
 自由   ひで
 リメイク   仮屋賢一
 靫草   京極堂
 何色   紫音
 持ち帰る   希望峰
 かさぶた   晶美
 憶ゆる躯   川又夕
 蛇口からポンジュース   夕加
 水蜜桃   正人
 朝との境   若狭昭宏
 眼鏡の縁   ゆまるばたこ
 ユニセックス   夕雨音瑞華


本書の購入方法、「句集Style」シリーズに関する詳細はマルコボ.コムHPを参照。

 

何人かとりあげて鑑賞してみよう。

  パレットは真つ青 春の水流る  小鳥遊栄樹
  のど飴を噛み砕きたる夏の果
  小春日やパウンドケーキに気泡あり

破調気味の句をふくめて、どれも素直な詠みぶりといっていい。
言葉に無理をさせないというか、等身大の日常雑感に対して、やわらかい季語をうまく取り合わせた、という句が多い。句意も平明、明快で、いたって健康的な、若い作者の日常がうかがえるという点、実に嫌みがない。
とはいえそのぶん、力強さやインパクトもあまり感じられない。そのなかで印象に残ったのは次のような句。

  夏空を舐めた味するやうな朝
  サンダルに流星蹴つたやうな傷

似た形の句で、作者の得意なパターンなのかもしれない。
実際にパターン化してしまってはおもしろくないが、「夏の朝」や「サンダルの傷」という日常的な世界を、かなり強引で抒情に過ぎる比喩の世界にもちこみ、無理矢理まとめあげる体言止めの作り方は、はまれば強い。


悔しいけど君と私は似ていて春雷  雀子
ラズベリータルト晴天でよかった
蟷螂が死んだ何も言えずに死んだ

小鳥遊に比べ、季語の世界を超えた饒舌さが際立つ。
作者を中性的な、スイーツ系男子ととってもよいが、この饒舌さはやはり若い女性と見るべきか。加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』を読んだときのような読後感。
(「いくつもの言葉を知ったはずなのに大事なときに黙ってしまう」「嘘をつくときが一番やさしかったあなたのことを恨んでいない」など)

そんななかで、

木星から帰ってこれないパプリカ

の舌足らずな突き放し方が一番俳句っぽいのでは、と思った。
色彩鮮明な「パプリカ」が、ガスに覆われた「木星」へ行ってしまうことも突飛だが、「帰ってこれない」状況、しかしよく考えれば(たとえ事実でも)まったく問題ない。その肩すかし感が、作者の一人語りのような句群のなかでちょっと異彩を放っている。


排気筒ふるはせ野焼見てをりぬ   正人
クロッカスクロッカス終戦はまだですか
鳥一羽ぶち込んで炊く立夏かな  

本書の参加作家のなかではもっとも安定して好きな句が多かった。
「排気筒」の、何も言わず叙景に徹しながら「ふるはせ」の一語に心情を沿わせた一句。「クロッカスクロッカス」とほとばしるように口ずさむ、軽さと思いの深さ。「鳥一羽」の文字通り豪快な、おいしそうな感じ。
他には、

  愛の詩を噛むブロッコリブロッコリ

もいい。上五からのうっとうしい、臭すぎる流れを「ブロッコリ」の軽さにつなげる。「ブロッコリ」のリフレインは、ブロッコリを噛むあの食感にも似て、青臭くも楽しい。


そのほかの作家から。

人参の顔とおぼしき箇所摘む  安里琉太
雀の子実家の時計遅れをり  森直樹
ずんずんと花野へ進む取材班  ひで
台車に虫ゐて今日から村に住む  仮屋賢一
月は多分一穿ちの穴なんだらう  京極堂
クロッカスわたしの好きな色よ咲け  紫音
雷やダーツ孤独を知つてしまふ  喜望峰
やはらかに闇はがしけり雛の燭  晶美
男ども通り過ぐ朝髪洗ふ  川又夕
結婚やしますしました青嵐  夕加
鳥の巣の蓋を探してゐる子ども  若狭昭宏
観月のおもちゃ箱よりシンデレラ
サングラスはずして会いたい人は誰  ゆまるばたこ
逃避願望果ては現実冬菫  夕雨音瑞華
ぞつとする明るさに溺れる四月


 

2013年9月10日火曜日

9/9連句の日


連9、で「連句の日」(だった)らしい。
まだ普及していませんが、そうらしいです。小池正博さんに聞きました。



先月の末「大阪連句懇話会」というところにお邪魔してきました。

小池正博さんからお誘いをいただいて、前半「俳句甲子園世代と若手作家の現状」ということで小一時間ほど話させてもらい、後半は連句の座にも参加してみました。

もちろん私、連句はまったく初心者。
この日のために一応いくつか指定された本は読んでいったものの、実際やってみるまではまるでわかりません。
ところが、当日はゲストということで発句をもとめられたので、

  三つめの目の玉ひらく秋暑し  元

と作り、ひとまず皆さんのやり方を見学することに。

言い忘れましたが、私の本業が「お化け」研究だということで、これも小池さんの提案で「妖怪」しばり(賦物というそうです)の半歌仙(歌仙三十六句の半分、十八句)になっております。従って、「月の座」も「花の座」もすべて「妖怪」がらみになるはず。

この日は5、6人ごとのチームにわかれ、それぞれ別々の歌仙を巻く形式。チームによって「和漢聯句」や「短歌行」を行っているところもあり、同じ会場にいながらバラバラというのも、なかなか不思議な気分。

こちらの「妖怪連句」では、まず「捌き手」、宗匠役の小池さんが「脇句(二番目)」を出します。
    あやしの里を照らす月光  正博

うむ、「妖怪連句」らしいスタート。
ふつうの歌仙ではもう少しあとに出す「月」を、今回は「秋」で月の季節なので早めに作った、のだとか。

ここからは歌仙の参加者が、それぞれ出来た句をどんどん提出し’(出勝形式)、「捌き手」がルールや展開をふまえながら選び、「付けて」いきます。
もちろん作るのは無作為に作るわけではなく、たとえば第三句は発句・脇をうけながら次の展開をみせる、季節はまだ秋のままで、などの条件があります。

この第三句あたりから、だんだん「連句」らしさが出てくるのだろうと思いますが、この時点で、「俳句」の人間としてはずいぶん雰囲気が違うなぁと驚きます。

まず投句に時間や数の指定がない。
作りながら皆さん、お茶飲んだりお菓子食べたり、けっこうのんびり雑談を楽しまれている。作るヒントを探しているのもあるんでしょうが、全然関係ない話題も多い。
私も結構お化けの話をしたり、俳句の話をしたり、のんびり過ごさせてもらいました。この雰囲気は、句会で〆切直前の緊張感とは全く違います。
芭蕉の時代なんかは数日かかって歌仙を巻いていますし、ネット上でも、長いときは数ヶ月にわたって続いていることがありますね。

だいたい皆さんが作って打ち止めになったと思えば、「捌き手」が、出た句のなかからふさわしいものを選んでいくわけですが、今回は通常の歌仙ルールに加え「妖怪」しばりなので、参加者も頭を悩ませています。
選ばれたのは、「なま臭き風吹き渡る薄原 品部三酔」でしたが、作者と捌き手が相談して、次の句に続きやすいように添削が行われました。

      あやしの里を照らす月光  正博
    薄分け生臭き風吹き渡り   三酔

連句は前句との流れと展開を重視するので、前の句に使われた語を使うのはアウト。直接使うだけでなく、発句が「三つ目」なのでしばらくは数字は使わないとか(「一反木綿」とか「一本足」なんて使えないわけです)、前の句で「人物」が登場したらしばらくは「風景」にするとか。
重複を嫌うのは、「連句」として一つの作品が完成したときにマンネリ、中だるみを防ぐためなのだろうと思われます。
しかし、句を選ぶのも「捌き手」なら、句を棄てるのも「捌き手」です。棄てられた句はもう日の目を見ないわけで(もちろん改作して再利用は可能ですが)、連句の座における「捌き手」は、初見の限り絶対君主のごとし。
最終的に完成する歌仙の性格は、すべて「捌き手」にかかっていると言ってもいいわけです。
たとえば第四句では

    薄分け生臭き風吹き渡り  三酔
     おいてけ堀にぷくり泡立つ  なおみ

と付いたのですが、脇句の「あやしの里」が場所、地名だとすると「おいてけ堀」の地名はかぶるのではないか、という見方もあるらしい。(一句おいてカブるのを打越と呼ぶ)
これを許すも許さないも、「捌き手」のさじ加減ひとつであり、まったく「作者の作品」という考えが、通用しない。

俳句の場合、たとえ主宰に選ばれなくても、あとから句集に忍ばせるとか、お勧めしませんが別の句会で出すとか、自分で発表することが可能です。
しかし、たとえば先の「おいてけ堀に」が棄てられたとしても、あとで前後の句から独立させて発表する・・・ということは、ない。できない。

ううむ。「俳句は座の文芸」と、私も人並みに唱えたことはあるが、やはりホンモノの「座の文芸」に参加してみると、個人主義の文学とはかなりの懸隔がある。

一方で、では「作者」個人を感じる瞬間は無いのか、というと、それも違う。第五句は

     おいてけ堀にぷくり泡立つ   内田なおみ
    飛び上がる河童の皿にりぼんあり  もりともこ

と展開したのだが、本所七不思議の、よどんだ「おいてけ堀」から、「河童のりぼん」への飛躍はお見事で、発句からの江戸情緒的な雰囲気が一気に変わってしまった。

まだ連句の世界は一度、入り口からのぞいただけなのでわからないこと、誤解していることが多そう。

「連句」のルールも含めて、もう少し確かなことが言えるようになったら、またご報告したいと思います。



さてさて、連句懇話会で話題になったのが、今の俳人で連句人は誰でしょう、という話題。

当日もお会いした連句協会の会長、臼杵遊児さんは俳句は「春燈」に属しているそうで、また「船団の会」の梅村光明さん、赤坂恒子にもお会いした。
ただ、いま連句と俳句の二刀流で有名人は少ないようだ。俳句のほうでは小澤實さんや品川鈴子さんが知られているが、協会に属さずやっている人も多く、相互の交流は盛んではないらしい。

と、そこで思い出したのが橋閒石
一般には
  蝶になる途中九億九光年
  階段が無くて海鼠の日暮かな
   噴水にはらわたの無き明るさよ
  銀河系のとある酒場のヒヤシンス

あたりが有名だろうか。
晩年になって蛇笏賞で知られるまでは、英文学者として、また俳諧・俳句の研究で知られていたのは周知のとおり。
もともと印象的で好きな句が多かったこともあり、連句会で名前が出たことなど、いろいろの都合で詳しく読みたくなり、図書館で『橋閒石全句集』を借り出すことにした。

さいわい橋閒石は神戸の大学で長らく教員をしているので、神戸市立図書館には蔵書が多いわけである。

そしたら、出るわ出るわ。
「俳壇」とまったく交流のなかった初期から、面白い句がたくさんある。

  目つむりて剃られゐる子よ朝燕  『雪』「道程」
『雪』の発行は昭和26年、「道程」は昭和23年以前の句だそうですから、明らかに寺山より早い。(寺山は昭和10年生まれ。第一句集『我に五月を』は1957年刊)
少女が襟足を揃えてもらっているのか、それとも少年が生えかけの髭を剃られているのか。
すこしエロチックな感じの句です。

かと思えば、
  子と遊びたく春宵を酔うて帰る   『雪』「彩雲」
どこかの酔いどれ俳人を思わせるような(固有名詞は避けます/思い当たる人名はたくさん)句もある。

  現れし漢いきなり野火放つ  『雪』「彩雲」
のような乱暴な句もあれば
  雲うすく芽木にかかれば帰りたし
と湿っぽく、
  靴下のどれも濡れをり梅黄ばむ  『朱明』
    生欠伸とめどなし含羞草に触れ
のようななさけなく可愛らしい句、
  露早き夜の鉛筆削り立て
  螻蛄の夜のどこかに深い穴がある
  すいと来る夜をふかぶかと沈む椅子
と奇妙な感覚で作られた句もある。

うーむ、このバラエティ。侮りがたし。

まだまだ晩年にむかって句集は続くので、じっくり楽しみたいと思います。  

※ 9/12、補足追記

2013年9月4日水曜日

告知、船団フォーラム

告知が続きます。

船団俳句フォーラム 第2回
講演とシンポ
 「女たちの俳句」を読む

 坪内稔典が雑誌「俳句」(角川書店)に「女たちの俳句史」を連載しています。女性の俳句についての新しい見方が示されており、何かと刺激的です。今回の俳句フォーラムでは女たちの俳句に焦点をしぼり、女たちの俳句の現状と未来を考えます。

日 時: 9月14日(土)14:00~17:00
場 所: 園田学園女子大学 30周年記念館 3階 大会議室
阪急神戸線塚口駅下車西南へ徒歩10分 アクセス
電話: 06-6429-1201


 講演とシンポ 

講 演 : 「女たちの俳句―現状と未来」
神野紗希(俳人)(こうの・さき)
シンポジウム: 「女たちの俳句史」を読む
中原幸子・小枝恵美子・わたなべじゅんこ・工藤惠
木村和也(司会)

参加料 船団の会会員 500円 / 一般1000円
 参加される方には、会場で、「女たちの俳句史(1)~(17)のコピーを差し上げます。
参加申し込み: 不要
問い合わせ: 船団の会(電話:072-727-1830)


船団フォーラムに、神野紗希さんが登場。

そういえば私もお会いするのは久々かも。
紗希さんのテーマのひとつ、「女性俳句」に関する講演と、シンポジウム。
楽しみです。


愛媛大学准教授で、今年俳句甲子園の審査員をつとめた青木亮人さんによる、俳句甲子園レポートが愛媛新聞に掲載されました。多くの出場者、関係者にインタビューされた成果です。

愛媛新聞ONLINEで読むことが出来ます、こちら

 出場者の大部分は高浜虚子や高柳重信などの俳句史をほぼ知らない。・・・・・・ 
 これらに対し、「俳句甲子園は狭い世界にすぎず、それ以外の俳句観もあることを知らない」との批判もある。しかし、考えてみてほしい。彼らは普、通、の高校生であり、俳句に人生を賭けた俳人ではない。たまたま学校が俳句甲子園に縁があったため参加したとか、人数が足りないので友人に誘われた出場者もいる。いつもは運動部に所属し、ライトノベルを読んだりJ-POPを聴く普通の高校生が、自分なりに良い句を詠もうと時間を費やした結果が多くの作品なのだ。その彼らが大会に出場し、勝利するとガッツポーズを決め、敗北すれば泣き崩れる。スポーツならまだしも、平成期の日本で俳句にこれだけ一喜一憂する高校生が集う大会があることがどれほどすごいことか、簡単に批判する論者はその意義を実感できないのだろう。 
その後の青木さんのツイートもふくめて、どうぞ。

俳句甲子園が、数パーセントの「ゼロ年代俳人」だけで語られることはあってはならないし、彼らを生むためだけに俳句甲子園があるのではない。出場者すべてが、人生かけて俳句に打ち込む必要はないし、誰もそんなこと望んではない。
それは、出場者たちが一番よく知ってる。わかってないのは、現場で見たこともない「俳人」だけだと、思うんですけどね。

ただし、これからの俳句甲子園がどういう方向へ転がっていくか。
回を重ね、純化して洗練していくにつれて、失うものもあるだろうし、一方で「俳句」甲子園であることを捨てては意味がない。

どうなるかな、これから。