高柳克弘さんの句には表現の巧さやセンスの良さに加え、胡散臭さを感じます。悪口ではありません。自分には無い資質を持った若いライバルへの羨望と嫉妬ゆえの物言いです。・・・・・・俳句における「主観的な灌頂の発露」をひそやかなモノローグとして狭く捉えるならば、「劇の普遍性」を志向した俳句は芝居がかった、わざとらしい句に見えることでしょう。しかし、そこに俳句が渡るべきルビコン川があると考えてよいと思います。
岸本尚毅「相互批評の試み」第10回『俳句』2012年10月号
昨年、『俳句』誌上でこころみられた往復書簡形式の「相互批評の試み」はなかなか興味深かった。
宇井氏の問題提起に対して、岸本氏が具体的な作句技法や俳句鑑賞に落とし込みながら整理していくので、資質の違いが相互補完されて興味深かったのである。
(蛇足ながら、宇井氏はきわめて問題意識のたかい作家と思うが、本質を求めようとするあまり、議論が一周して月並というか言い古された結論に戻る、という印象がある。たぶん、私を含めて多くの読者は、今その問を発した先の「答」に期待しているのだが)
さて、そのなかで、高柳克弘さんの句に「劇」、ドラマ性を見るというくだりがあり、特に興味深く拝読した。
高柳さんの句には、ときにレトロな色合いを帯びる、わかりやすい浪漫志向がある。
いわゆる「普遍的な」=ベタな印象の「青春ドラマ」的な感性。
ことごとく未踏なりけり冬の星
木犀や同棲二年目の畳
それは一面では高柳さんの弱点だと思うが、別の見方をすると「俳壇」の「若手」代表である「高柳克弘」に対して、「読者」がいだく、当然の「期待」に応えた、きわめて「エンタメ」な作句態度だと思う。
ある種の「読者」を想定しつつ、「読者」の期待を一句の物語のなかに織り込む、そういう感覚をもって「劇」とか「ドラマ性」と名づけるとしたら、まさにそれは高柳克弘という「エンターテイナー」に特徴的な性質ではないだろうか。
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一句のなかに「物語」を仕掛けるという手法は、外山一機氏の試みがより先鋭的である。
初期の句、
川はきつねがばけたすがたで秋雨くる
大脱走あそび金玉ぶうらぶら
げらげら笑ふ神の後ろのめしの椀
などにおいて顕著であるが、たとえばこれらの句からは、落語「七度狐」、映画「大脱走」、「平成狸合戦」、服部幸雄、山本ひろ子らの指摘した芸能神「後戸の神」の儀礼などなど、さまざまな「物語」の破片を拾うことができる。
作者がこれらの物語を正しく利用しているのかどうかはともかく(別の物語の可能性もある)、無数の先行する物語を誘引し、包含するところに、外山句の特色がある。
これは、近時その全容が明らかになった「上毛かるたのうた」においても同様だ。
「上毛かるた」は「群馬県の子供にの名物、歴史などを教えるため」に作られた郷土かるたであり、群馬出身であればほぼ全て暗記しているという有名なエピソードがある。
(私は同じ大学で群馬出身の知人から直接聞いたが、のちに「ケンミンショー」でもとりあげられていた)
外山氏をして「上毛かるた」に向かわせたものが、「郷愁性」とか「古典を踏まえた」というキーワードですまされるなら、それは高柳重信から大岡頌司を経由して林桂の実現する手法であり、ただ外山氏の「師系」を追認するだけで終わる。
外山氏の手法は、むしろ、そうした「典拠」や「師系」という固有名詞や物語を読者に想起させることを目的とした句なのであり、想起したうえでどう摂取され、加工されているか、まさにtextとしての織り目の細やかさを楽しむものである。
それは、むろんこれまでも俳句表現史においてたびたび試みられてきた手法なのたが、現在までメインストリームとはなっていない。
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ウソかマコトか、俳句界の平均年齢は七十余歳であるらしく、そのなかにあって「若手」とは一体いくつまで含めればよいのか、若手アンソロジーと銘打たれた『新撰21』にしたところで、関悦史氏(1969生)から越智友亮(1991生)までは親子ほどの年齢差があることは、すでによく指摘されていることだ。
そんななかにあって、私自身が実感的に「同世代」と感じられるのは、高柳克弘(1980生)や御中虫(1979生)、冨田拓也(1979生)あたりを上限としている。
下限はどのあたりか、と考えると、どうも越智や黒岩徳将(1990年生)、福田若之(1991年生)に対しては「同世代」というよりは「後輩」という意識が強くなる。
一般論として言うと、人は自分より年下には「最近の若い者は」と怒るけれど、年上にはシンパシーを感じるものだ。小川軽舟氏「昭和三十年世代」にもそんな傾向が伺える。
スパンが短くなってしまうが、下限としては藤田哲史、生駒大祐(1987年生)、羽田大佑(1988年生)あたりが目安となるだろう。
(考えてみると藤田・生駒~越智世代までの間はすこし人材が薄いようである)
高柳克弘、御中虫、外山一機、冨田拓也に共通するのは、過剰なほど一句のなかに「物語」を囲い込もうとする姿勢だ。
ここに、佐藤文香や石原ユキオの名前を加え、外山氏にならって「消費世代」というキャッチフレーズをあてはめることも可能だろう。(外山「消費時代の詩ーあるいは佐藤文香論ー」『豈』2009.10。大塚英志『定本 物語消費論』角川文庫、2001)
だが、少し待ってほしい。
彼らを「物語消費」へ駆り立てる、その原動力は何だろう。
単純な「後発世代」としての自意識だろうか。
それだけならば、小川氏らが『現代俳句の海図』で描いて見せた「昭和三十年代俳人」たちの地平と何も変わってはいない。
それでは、何も変わらない。
それでも、彼らの「俳句」は、昭和三十年代俳人たちの句とは違う。
むしろ私にとっては、表面上はまったく違って見えるけれども、西村麒麟や、西川火尖、徳本和俊、野口る理まで含めた、共有の問題意識のようなものを感じているのだ。
おそらく、彼らを、いや、私たちを駆り立てているのは、「読者」なのである。
作家の、「表現者」としての欲望よりも直接に、わかりやすく、私たちの俳句に顕れているのは、「読者」の期待なのである。
言うならば、私たちの表現は、見られるため、読まれるために演じる「パフォーマンス」なのである。
私たちは、自分自身の表現欲と、読者の期待との均衡点に位置するところの「作品」を生み出すために「パフォーマンス」してみせている。
むろん、このような「読者」意識が、私たちにおいて特有だと自惚れるつもりはない。
「俳句」にはもともと「選」の意識が強いのは当たり前であり、また、活字で俳句を読むことが主流となった時代では「読まれる」意識が強くなるのは当たり前のことである。
あるいは摂津幸彦の含羞を含んだ「恥ずかしいことだけど、僕はやっぱり現代俳句って言うのは文学でありたいな」発言だって、すでにして「文学」の中に「含羞」が差し挟まれていることに着目したっていいのである。
だから、「読者」意識の高まりは、次第に深まったものなのだろう。
それに、作家ごとに濃淡があるのも当然で、世代と無関係である、とも言いうるだろう。
しかし、それでも私はあえて言いたい。
私たちの表現は、もはや「文学」でなくてよい。
そうではなく、私たちの「俳句」は、むしろ読者を充分に意識した、「パフォーマンス」としての自覚と矜恃において、先行世代と決別しうるのではないだろうか、と。
※追記。 考えてみると私は1985年早生まれなので、1979~1989年あたりが「同じ時期に小学校に在籍できる」世代であり、「同世代」と体感できるのは当たり前なのだ。したがって、下限は羽田大佑・山本たくや、といったあたりになるが、彼らに上のような危機意識があるか、といわれると、むしろ下の世代、越智・黒岩らに近い気もして、やや微妙である。
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