2013年2月24日日曜日

宮本佳世乃句集『鳥飛ぶ仕組み』


「週刊俳句」に、宮本佳世乃さんの句集、『鳥飛ぶ仕組み』の感想を書かせて貰いました。


本文にも書きましたが、句集を恵投いただきながら、ついついお礼を出しそびれてしまっていたもので、それならいっそネットに感想アップしてしまへ、という。

宮本さん、楽しい句集、ありがとうございました。


上の感想を書く段階では、まとまりきらず書けなかったこと。
句集からは少し離れて、作家・宮本佳世乃、のポジションについて。

宮本さんは1974年生まれ。私(1985年の早生まれ)より11歳年長で、いわゆる「団塊ジュニア世代」である。
この世代は、とにかく分母が多いせいか、作家として最近目立っている人が多い。
おそらく特に俳句史上目立った若手発掘イベント(俳句甲子園とか新鋭句集シリーズとか50句競作とか)があったわけではないと思うので、そういう意味では特殊かもしれない。
西日暮里から稲妻みえている健康  田島健一(1973) 
のうえの気配なくなり猫の恋  岡村知昭(1973) 
砂粒の光り出したる水着かな  榊倫代(1974) 
オレンジのへそ雑音を閉じ込める  三木基史(1974) 
食べさせてもらうのが好き春キャベツ  工藤惠(1974)
と、こう並べてみると、関西で直接知り合う方も多いのだけど、たいへん気持ちの良い方々なのである。

もちろんそれぞれの作品のイメージは違う。
田島さんや岡村さんの句は、どこかしら屈折したり、ズレたりしていて謎めいている。
三木さんの句は、物静かだがしっかり形が決まっている。
榊さん、工藤さんの句は、それぞれ結社のいい部分が、まっすぐ出ているようだ。

にも関わらず、この世代の句を読むと、何か、この世代の作家たちはとても「健康」で、まっすぐに俳句の力を信じているような、俳句に軸足を置いて世の中を見ているような、そんな、ちょっとまぶしいような、見上げるような心地を抱いてしまうのだ。

もっともこれは印象論に過ぎない。
「俳句の力を信じている」のはこの世代に限った特徴ではないし、それぞれの作家のイメージも一括してしまえるようなものではない。
ないので、まだまとまっていないのだが、「同年代」への関心から俳句に接している私としては、直近の上の世代である「団塊ジュニア世代」に対する関心は、継続して持っていたいと思っているのだ。


※ 2/26追記。
田島健一さんがblogで「似た花がある」を発表されている。『俳コレ』発表時はそれなりに、屈折はしているけれど「健康」を表明する、裏返ったような明るさを感じたのだけれど、今回の場合はもう少し透明度が低い気がする。田島さんと宮本さんは同じグループでごく近しい友人関係にありながら句風が全然違うわけで、なかなか一筋縄ではいかないなぁ。
 
 

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