2013年10月12日土曜日

つくる


ネット世界によって領導されつつある、俳句の「読む」方向への流れについては、当ブログでも再三言及してきた。
 曾呂利亭雑記 俳コレからスピカ「読」を分解する

筑紫磐井氏による「「結社の時代」とは何であったのか」で明らかにされたことは、昭和60年代から俳句総合誌(特に秋山みのる編集の角川『俳句』)によって「俳句上達」「俳句入門」の風潮が形成され「結社の時代」というキャッチフレーズに至ること、現在まで実作に偏した、それも「先生(入門書)に教えてもらうことで上達していく」ような、受け身の実作者を養成する体制が整備されてきたこと、であろう。

俳句界において、自分の作品を読んでもらいたい「作者」はたくさんいるが、人の作品を読み、鑑賞する「読者」はほとんど存在しない。

そのアンバランスについての反動が、現在の「読む」流れを生んでいる。

俳句にかかわる、いわゆる「俳人」としてならば、「読む」流れへの共感だけですむ。
しかし一方で、「俳句作家」の一員としては、「読む」流れへの共感だけですませるわけにはいかない。
つまり、「読む」意識の関心の高まりを「作る」側の理論へ、とりこみ、消化する必要があるだろう。

同時に、「読む」意識を取り込むことをしない、端的に言えば「読者」を必要としない句について、我々はもっと思考するべきなのかもしれない。



俳句は、「作る」面と「読む」面が相補されて成立している。

ほかの文芸も基本的には同じ構造にあるが、俳句が顕著であるのは「句会」という場において「作る」行為と「読む」行為が交錯し、作者の目の前で作者から離れて作品を「読む」ことが原則となっているところにある。
むろんその功罪もあるのであって、俳句は基本的に「作る人」=「読む人」になってしまうので、純粋読者が育ちにくい、さらに専門集団による符牒のやりとりのような、身内ウケの自家中毒のような作品が量産される、という問題がある。

「読む」意識の高まりは、俳句を外へ開く、きっかけともなったはずである。

しかし同時に明らかになったのは、同じ「読む」行為に含まれる、二方向の隔たりではなかっただろうか。
「句会」において、目の前に作者が居る前提(作者の風貌・人格を知っている)で、複数作者の句がランダムに並ぶ清記用紙のなかから、句を選び鑑賞するという行為と、
句会を離れて、句集ならば句集に向き合い作者の句を「群」として通読する行為、あるいは一句鑑賞のため一句に向き合い、鑑賞する行為。

体感として、やはりそこには差がある。

そして、関連して言うならば、句会ごとに兼題や席題に応じて、あるいは当座の季節に応じて、目の前にいる句会仲間にむけて「作る」句と、
句会という場を経ることはあってもその後さらに賞への応募や寄稿という形で、あるいは句集にまとめて、「発表する」句と、
意識のなかで相当の差があるのではないか。

毎月の「句会」のための、あるいは投句〆切、あるいは日記、あるいはつかの間の息抜き、のために日々量産される「句」について、その表現がどのようなものであれ、作者と、「句会」をともにする人々が楽しんでいる限り、その句には明確に存在意義がある。

それらの句の「読者」は、あるいは結社の主宰であり、あるいは句会の先生であり先輩であり、あるいはもっと身近な家族だけかも知れない。
それらの「読者」は、いわゆる「精読者」ではないかもしれないし、また作品も「精読者」の目に耐えうる作品では無いかも知れない。
しかし、表現の未熟や発想の類型を指摘することが無意味でしかない、日々量産され消費されきえゆく俳句が、まことに陳腐な比喩で恐縮ながら「肥やし」となり、「俳句」という形式を存続させてきた事実を無視してはならない。

多くの先達がその糧としてきた『ホトトギス雑詠選集』、
現在そのもっとも優れた水先案内人である岸本尚毅氏が注目する句、
あるいは外山一機氏の連載「百叢一句」に取り上げられる無名作家たちの句、

表現史を志向しない、その意味では底辺を支えている句、日々「作られる」句によって「俳句」という表現形式が認知され、その認知のうえに、はじめて俳句の表現史が形成されているという事実について、我々はもっと真剣になる必要がある。



spicaで始まった冨田拓也氏の連載「書架の前にて」に、ある種の恐怖を覚えるのは私だけだろうか。

この連載は、冨田氏が書架から気ままに選んだ一冊の本をもとに一句作り、関連する文章を掲載する、という形式になっている。(相変わらず否定や曖昧な修飾の多い独特の佶屈な悪文ではある)

いわば関悦史氏が行った「もはやない都市 読まなくてもよい書物」と同趣向といえるが、しかし、一連の句を並べたとき、その違いは歴然とする。

  宇宙人を食うて緑となりにけり  関悦史  2012年1月27日
  遍歴の銀漢に寝む逗子に寝む  2012年1月19日
  猿のゐし雑居ビル消え踊る二人  2012年1月1日


  『黄金時代』秋声にひらきしは  冨田拓也  10月4日
  こだまなす『俳句とは何か』秋深し   10月8日
  秋昼寝『高濱虚子』と詠まれし句    10月12日

ご覧のとおり、冨田氏の作品には書名がそのまま取り込まれ、しかも当季の季語(秋)を加えて作られている。
つまり、極端に言えば10月2日<露の夜『一千一秒物語』>のように、「季語」+「書名」だけで句が量産されてしまうのだ。

普段「俳句」を人にすすめるときに、「取り合わせ」によるもっとも軽便な方法を愛好している私としては、一概にこの作句技法を否定することはできない。
さらに言えば、私自身、同じコーナーで「妖怪俳句」なる枠組みを設定して一ヶ月間悪戦苦闘し、spica三姉妹から厳しい批評をうけたことを思えば、冨田氏の連載についてとやかく言うべきではないかもしれない。

しかし、それでは「冨田拓也」という作家にとって、その「つくる」行為、そしてその句をウェブ上にせよ「発表する」行為、とは何なのだろうか。

そこに果たして、「読者」はいるのだろうか。
 

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