2011年1月4日火曜日

関西俳句なう

 
関西俳句なう

今のところ順調に起動しています。

今日は私の担当初日、西川火尖氏の作品を紹介。
今回は新年の挨拶なので、「漫画的一句」の基準とかはおいおい。

見た目がちょっとシンプル過ぎますかね。
レイアウトとかフォントとか、見やすいように随時変更していったほうがいいのだろうなぁ。



そういえば。
今年も「週刊俳句」新年詠に参加させていただきました。
新年特別作品も含め、豪華デス。

週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第193号 2011年1月2日

2011年1月1日土曜日

慶賀新年

 
明けましておめでとうございます。


昨日だらだらと書いてしまったので、新年のご挨拶は省略。
ついでに昨日の記事の誤植や誤解を生むところなどいくつか訂正、追記も入れておきました。


読みにくいことおびただしい、更新も不定期なよくわからないblogではありますが、今年もおつきあい願えれば幸いです。



さて、新年早々、新しい企画をスタート。

関西俳句なう

と称して、「船団」の若手グループでHPを立ち上げました。


それぞれ曜日ごとに担当するテーマを決めて、毎日更新で俳句を紹介していきます。
基本的には今まで注目されにくかった、関西圏、あるいは西日本在住の若手俳人の作品を中心にとりあげていく予定です。

私のテーマは、「漫画的俳句」。
実はこのテーマは師匠から提案されたもので、正直どうなるかわかりませんが、絶対紹介したい句を思い出すとこのテーマは意外にありかも、と思っています。

ほかの人たちもそれぞれ独自の視点からお届けする予定ですので、ご覧頂ければ幸いです。
また、勉強不足で見落としてしまう作品も多いと思いますので、「こんな面白い句がある!」「この人はマンガ的!」みたいな情報があれば、どんどんご紹介いただければ幸いです。

ともかく当blogとは違って、情報サイトとしては見ていただかないと意味がないので、よろしくお願いいたします。

 

2010年12月31日金曜日

回顧と展望(2)

 
承前。
 
8月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_08_01_archive.html
更新回数6回。セッション964。
八月は、俳句甲子園の月。
しかし今年も残念ながら参加できず。
旧稿「山口誓子『構橋』を読む―後期誓子俳句読解の試み―」を転載。続稿が載る予定の同人誌は未刊なので転載はもう少し先になりますね。また、「週刊俳句」で「俳句界」を読んだレポートを掲載いただきました。

忘れられないのは、月末に山口優夢角川俳句賞受賞の知らせが飛び込んできたこと。
俳句甲子園出身者では初の受賞者。いや、何度祝ってもめでたいです。

※追記
そういえばこの頃話題になった、俳句甲子園の句碑問題についてもうにゃうにゃ書いた。自分で乱暴にまとめると俳句甲子園は「クールなゼロ年代俳人」養成機関ではなく、文部科学省もお墨付きの教育事業であって高校生と俳句とを出会わせるのが目的の場なのだから、野暮なのは当たり前、自分たちのスタートとして句碑を作ってくれるならそれはそれでいいじゃないかとやかく言いなさんな、と、まぁ書いたわけです。
この問題からは後に橋本直氏がもっと緻密な議論を展開されていてこちらのほうが面白いので、一読をオススメします。

9月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_09_01_archive.html
更新回数6回。セッション892。
湊さんの「s/c」、藤田・越智の「傘」、中村安伸氏と宮崎斗士氏の「俳句樹」、と、新設サイトやユニットの告知があいついだ月。
青木亮人さんがツイッターで独自の写生論を展開され、私的にまとめさせていただく。実作の手法としてでなく、形式にかかわる問題として写生を捉えなおすという視点。
また坪内稔典『現代俳句入門』の感想をアップ。

10月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_10_01_archive.html
更新回数3回。セッション812。
全然更新できなかった月ですね。前々から宿題にしていた、藤田、越智両名のユニット誌『傘』vol.01の感想をアップ。かなり批判的に書きましたが、長々書きすぎて嫌味なだけだったかも。関係各位、不快に思われたらお詫びしたい。

11月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_11_01_archive.html
更新回数8回。セッション888。
前月の反省から、短い記事でできるだけアップするように努力しました。
この月3日、鬼貫賞を受賞。因縁深い賞だったので(笑)、嬉しいというよりもようやく獲った、という安堵の気持ちが強かった日でした。各方面からお祝いの言葉を賜り、賞自体よりもそっちのほうが嬉しかったり。
また、このときの実感をもとに、「選考会」の在り方についてだらだら述べてみました。

要するに選者ひとりの絶対的基準で選んだら、それは結社と変わらないだろう、と。
それでもかなりの幅を許容して、俳句の裾野を広めつつ現代俳句の旗手を発掘し続けたところにホトトギス主宰高浜虚子、という人のすごさがあるわけです。ちなみに虚子に次ぐのは俳句研究編集長・高柳重信だろうと思いますが、俳句の大衆化という面でははるかに及びませんでした。
現代において、よくも悪くもひとりの選者の絶対的基準を信じるというのはかなり難しいし、「裾野拡大」と「新人発掘」とを高水準で並行できる選者って、一体誰になるのか、ということになる。
この難しさ、に「結社の時代」の分岐点を見る言説が生じるわけで、結社を超えた「賞」ではなおさら。むしろ同格・複数選者の価値のぶつかり合いによって、つまり「句会」によって決まることが、「俳句」作品にとっていい結果なのではないか、選者もその覚悟をもって、自他の出会う場として選考会に臨んでほしい、
という、
そういった考えが、だいたい頭のなかにあって、わかりきったことをぐだぐだ書いたのだと思ってください。

この月は川上弘美『機嫌のいい犬』も発刊。
今のところメディアで大きく取り扱われたという話も聞きませんが、私見ではこの本こそ俳句メディアは大きく取りあげて、特集でも組んで一気に読者層拡充に努めて欲しいと思います。
俳句人口1000万伝説を唱え、俳句上達の大衆路線を邁進するなら、こういうところでがっつり行かなくちゃいかんだろう、と。「芥川賞受賞につながった俳句」。「創作の基本は取り合わせ」。なんでもテキトーに惹句つけろ(暴論)。
まぁ、冷静にいうと俳句畑でない方を引きずり込むのは相手もあることで難しいのかもしれませんが、川上弘美氏の句集は句集としても普通に面白いのであり、また本人後書き「俳句を、つくってみませんか」は、俳句入門には最適の一文だと思います。だからこそ、俳句メディアももっと歓迎してよいと思うのです。


さてさて、12月は告知しかできてないので省略するとして、以上、一年を振り返ってみました。
こうして見るとblog的には下半期は事件もなく落ち着いてますね。
俳句活動としては、なにより賞をいただいたということで自分の路線に自信をもったというか、まぁもとより明日の俳句を一手に担うほどの気概も根性もないわけですが、俳句の中で自分の居場所があってもいいと思えた、あるいは居場所を守っていくだけの自信は与えてもらった、という気がします。
賞をきっかけに、ということなのか、来年はいくつか表に出るお仕事も頂いたので、与えられた仕事をこなしつつ、自分のやりたいようにやっていくつもりです。関西の若手をつないでいきたいというのも水面下で進行中なので、こちらもおいおい。

当面の課題は、坪内稔典氏の言説史の再検討と、実作面での追っかけ、ですね。

それでは皆さま、この一年、長文駄文書き散らかすblogにおつきあい頂きありがとうございました。来年もおつきあい願いましたら幸いです。
良いお年を。
亭主拝。

回顧と展望(1)

 
間が空いてしまいました。
ドラえもん特番のない大晦日、みなさまこんばんは。

さて、一年の終わりということで私的に今年の回顧と展望を述べておこうと思います。

実は今年からgoogle Analyticsとやらを導入したので、アクセス数とかがわかるようになりました。
とはいえイマイチ用語も見方もわかってないのでテキトーですが、当blog、だいたい毎日訪問して下さってる方が20~30程度いらっしゃいます。ありがとうございます。ギリギリ指で数えられるくらいなので、直接顔で確認できる範囲、同人誌の会報クラスですね。

この一年は「週刊俳句」とか、たまに書かせていただいたので、そういうときはグンと延びますが、それでも70~80程度、三桁にはほとんど達しません。トラックバックとかきちんとできればもう少し変わると思いますが、どーもよく使い方がわかってないので、こちらからのリンクばかりで相互リンクまではほとんどしてません。
そういうわけでプレッシャーもなく自由に垂れ流していて、このあいだ師匠にも
「キミの文章は長いから読んでるとコーヒーが冷める」
と言われてしまいましたが、思わぬ方からフイに「見てますよ」と声を掛けられ(釘を刺され?)たりするので、ネットは油断がなりません。


前置きはそのくらいで、月ごとに更新記事を振り返りつつ、今後の展望を述べていきたいと思います。


1月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_01_01_archive.html
更新回数3回。セッション630。(ただし11日からのカウント)
週刊俳句新年詠、「新撰21を読む」に参加させていただく。
同時に、haiku&me主催のツイッター読書会について言及したところ、思わぬ反響。blog開設以来のコメント数を記録。
こちらのツイッター読書会はその後順調に14回まで続き、それぞれのまとめが公開されています。
私もまとめを読ませて貰っていたのですが、結構おもしろい意見もあって、試みとしては充分成功したようです。当初否定的な意見を述べたのは早計だったかもしれません。リアルタイム読書会は「句会」的で馴染みやすかったという面もありそうです。
ただ改めて見直してみたとき、個々の作家論がより深化したか、別の大きな問題意識に至ったか、は疑問。
これはあくまで私の立場からの感想なので、ツイッターに参加していたそれぞれには実りがあったのだろうと思いますが、それが単発的なつぶやきではなく、まとまった形で見られるようになれば、この「試み」が「成果」としてわかりやすくなると思います。
『超新撰21』も発刊されたことですし、今後に期待したいと思います。

2月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_02_01_archive.html
更新回数6回。セッション1086。
鶏頭論争を経由して、現代俳人の「主題」の問題へ。
ロボット俳句のこととか、俳句の「作者」をめぐる基本的な考えはこの月にまとまって書いている気がします。舌足らずのところも多いながら、まぁ大筋結論は今も変わらないので、今後もこのあたりの議論を叩き台に、考えていくことになりそうです。
上記、1月の中村安伸さんとの対話に始まった、「新撰21」補遺キャスティング企画が始動。3回に分けて、実際に句会で接していて面白いひとたちを出来るだけ紹介したつもりでしたが、残念ながら「超新撰」には反映されず。
前月の余波か、かなり訪問者数のおおい月でした。

3月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_03_01_archive.html
更新回数6回。セッション695。
前月に続き、キャスティング企画。
「超新撰21」募集、「芝不器男青春俳句賞」一次予選の告知もこの時期。
なんだか随分昔だったような気がしますが。このころは首相も鳩山由紀夫さんでした。
………随分昔のような気がします(汗)。

4月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_04_01_archive.html
講師回数4回。セッション672。
このころから坪内先生の旧作を意識して読み始めるようになりました。
この月は『過渡の詩』『弾む言葉』『』モーロク俳句』の感想をアップ。
1983年前後の論調の変化については、もう少し丁寧に追いかけていきたいと思ってます。これについては、沖積舎から『坪内稔典コレクション』の発刊が始まった(
現在は第2巻『子規とその時代』のみ)ので楽しみ。
Amazon.co.jp「子規とその時代―坪内稔典コレクション<2>」

5月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_05_01_archive.html
更新回数6回。セッション872。
e船団で、わたなべじゅんこさんと小倉喜郎さんとの「時評」が高柳克弘氏の句集『未踏』を取りあげて話題に。
何度か当blogでも煮え切らない感じで文章を書きましたが、週刊俳句でも上田信治さんらが文章を発表し、議論としては面白く展開したように思います。個人的な成果としては高柳克弘作品の、ある種の明快さ、わかりやすいエンターテイメント性のようなものが、外山一機氏や北大路翼氏らと共通するものだ、という確信を得られたこと。いずれも先行する美意識に対してわりと素直で、その美意識にどう連なり、どう表現するか、というところに意識が向けられているという気がします。
ちなみに時評バックナンバー、こちらで復活してます。

6月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_06_01_archive.html
更新回数4回。セッション975。
角川『俳句』が「若手俳人の季語意識」対談を掲載。非常に興味深いものでした。
続いて『現代詩手帖』で「短詩型新時代」が特集。これも興味深く、高柳克弘100句選から波及した高山れおな100句選、上田信治100句選でも非常に楽しんだ月でした。
そして坪内氏の『モーロク俳句』と、桑原賞受賞をめぐる議論が始まったのもこの時期。

7月。http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2010_07_01_archive.html
更新回数5回。セッション1205。
今年もっとも来訪者が増えた月。
拙稿を高山れおな氏に「豈Weekly」で取りあげていただき、坪内氏の桑原賞受賞をめぐる議論を少々。残念ながら発展性のある議論ではありませんでしたが、立場の違いが見えてきたのは収穫でした。
半年たって改めて整理しておくと、私は桑原論を論文として認めていません。「論」としての強度(前提の定義、論証の確かさ、議論の一貫性など)がまったくなく、単なる時局に乗じたエッセイでしかない。そのわりには案外鋭いところをついているし有名なので、話の枕に利用するには適当ですが、それ以上の価値はありません。
従って、坪内氏の発言「第二芸術論的地平に立つ私」も挨拶程度に受け取ってよいと思うし、また実際私には俳句が「芸術」でなくてはならない理由が見あたらないのです。
俳句甲子園に育った私は、桑原論に出会う前に俳句の面白さを知ってしまったし、今となっては桑原論が実際なんの強度も持たないエッセイであることを知っている。芸術であろうがなんであろうが俳句は楽しいではないか、という立場にある私には、往年のキャッチフレーズ的成功はともかく、「芸術」という語の価値そのものが疑われている現在にまで影響を及ぼすものとはとても思えないのです。



さて、こう振り返ってみると、あちこちお邪魔して違和感を覚える部分はどこか、ということを考えて、自分なりに頑張って答えをひねり出してきているのがわかります。
ネットの即時性は一気に議論が盛り上がる感じがいいのですが、一方で反応速度を試されて気がしてしまい、墓穴を掘る危険性も実感したところでした。
ところで論客がそろっているわりに俳句blogで「炎上」があまり見られないのは、やっぱり皆さん大人なのだな、とか。

長くなったので一度ここでアップ。

 

2010年12月12日日曜日

「超新撰21」シンポジウム

セレクション俳人プラス 『超新撰21』刊行記念シンポジウム&パーティ超新撰21竟宴のご案内

:2010年12月23日(木,休日)pm1:00開場 pm1:30
開演所:アルカディア市ヶ谷(私学会館)5階(穂高・大雪)
 〒102-0073 千代田区九段北4-2-25
 Tel=03-3261-9921
 JR or 地下鉄 市ヶ谷駅徒歩2分

シンポジウム 定型 親和と破壊

第1部 座談;『新撰21』『超新撰21』に見る俳句定型への信・不信(仮題)(1:35~3:00)
高野ムツオ, 小川軽舟, 鴇田智哉, 対馬康子, 筑紫磐井(進行)

第2部 パネルディスカッション;君は定型にProposeされたか(3:15~4:45)

Coordinator;関悦史,
Panelist;清水かおり,柴田千晶,上田信治,Dhugal J.Lindsay,高山れおな

第1部,第2部それぞれ 自由発言;聞きたいこと,知りたいことの時間を設けます

宴の前に(パーティ会場にて)
当日投句作品選披講(5:15~6:15)
投句・選句方法
シンポジウムとパーティ双方に出席する方へ、受付で投句用紙をお渡しします

2:50~3:00の休憩時に所定の箱へ投句をお済ませください
投句数はお一人一句とします。
選者は、「超新撰21」入集俳人・小論執筆者・編者ほか関係者ならびに当日のパネラーとします

4:30~5:00に各自3句選(内,特選1句)
お披露目を兼ねて、選者による各自披講、特選1句へ選者からプレゼント贈呈

記念の宴
(8:00終了予定)
会費・申し込みについて
シンポジウム……会費1,000円・事前申込制
記念の宴……会費9,000円,事前申込制
(シンポジウムと記念の宴通しで、合計会費10,000円となります)
邑書林にて受け付けます
当日、邑書林の出版物及び「超新撰21」関係者の書籍販売コーナーを設けます。どうぞご利用下さい
8:15~10:00の貸切二次会(プロント市ヶ谷店)を用意しておりますのでこちらもご予約下さい。(3,500円呑み放題) 
主催:邑書林(お問い合わせ、お申し込みはこちらまで)385-0007
長野県佐久市新子田915-1 Tel=0267-66-1681 Fax=0267-66-1682
mail=younohon@fancy.ocn.ne.jp(内容は変更される場合がございます。どうぞご了解ください)
(宿泊斡旋は致しません。各自でお願い致します。アルカディア市ヶ谷にも宿泊可能です)web
からもお申し込み頂けます。

相変わらず、ちょっと過激なタイトルは邑書林ならではの味付けですな(笑)。

関さん、上田さんのパネルディスカッションはたいへん興味深いんですが、うーん、今年は行けそうにないので、ともかく告知のみ。
まぁ東京の誰やら誰やらは行ってくれるでしょうから、感想レポートなり、直接会うなり、いずれ結果は聞けるはず。
まだ残席はあるようですが、全申し込み制なのでご注意を。
随時、邑書林の掲示板で残席案内が出ているようです。

それはそうと、シンポジウム案内も併載されている「週刊俳句」189号、190号がおもしろい。

岸本尚毅氏へのインタビューが先週から掲載されいてるのだが、これがめっぽう面白いのだ。
岸本氏が爽波を介して虚子に関心を抱くのは、句風のうえからもごく自然なことであり、虚子を「俳句の力」がすごい話はまぁ、よくわかる。しかしそのうえで岸本氏が「俳句の天才」として挙げるのが三橋敏雄だったので、おっ、と、思ったわけである。

三橋敏雄は、系譜の上からいうと「前衛俳句」の流れで理解されることの多いが、知られるように独学で古典の勉強をおさめた人でもあり、飄逸かつ厳格な句風でおびただしい佳品を送り出している。
すこし前に、伝統俳人を名乗る一部の人たちが有季定型でない俳句を「俳句に似たもの」と呼称して排除していることが話題になった。彼らは「(本物の)俳句」と「俳句に似たもの」とを、有季定型という限られた形式だけで機械的に識別できると信じているらしかった。
そんななかで私が思ったのは、有季派の人たちは三橋敏雄をどう捉えているのだろうか、ということだった。
高柳重信や富澤赤黄男、渡辺白泉らの作品を「俳句に似たもの」呼ばわりするのは、是非はともかくなんとなく理解できなくもない。これらは「俳句的なsomething」を持っているとしても、「俳句でない」と受け取られる性格を、自ら引き受けている作品だろう。
しかし、三橋敏雄の俳句はどうか。
これを「俳句でない」と断言できるとしたら、それはよほどの覚悟がいる、と私は思う。無季であろうがなんであろうが、三橋敏雄の句には紛れもなく「俳句的something」が満ちているからだ。
というわけで、「俳句的なsomething」を考えるためには純度100パーセントの虚子、その虚子の風を継承しているとされる岸本氏、そして岸本氏が絶賛する三橋敏雄の作品を考察してみる必要がありそうである。



参考.

週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第189号 2010年12月5日
週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第190号 2010年12月12日
週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句時評 第10回 「俳句に似たもの」のゆくえ

2010年12月7日火曜日

淡路島バイクで俳句ハイキング

1 趣 旨 
 日本発祥の文芸である俳句が若い世代で楽しまれている。こうした俳句に興味を持つ青少年が一堂に会し、交流することにより、それぞれが相互に感性を高める場とする。また、淡路島の冬の名勝地である黒石水仙郷までのサイクリングを実施することにより、感じたことを言葉として表現することをねらいとする。

2 日  時   平成23年1月8日(土)~10日(月・祝) 2泊3日 

3 会  場   国立淡路青少年交流の家

  〒656-0543 兵庫県南あわじ市阿万塩屋町757-39
対  象  高校生・大学生・社会人

5 募集人数  20名(先着順)

6 講  師  江渡 華子(えと はなこ)

        神野 紗希(こうの さき)

7 持 ち 物  着替え、雨具、運動靴、筆記用具、洗面用具、タオル、健康保険   証(写し可)、常備薬など。
 ただし、2日目はマウンテンバイクに乗るため、その活動に適した服装が必要。

8 参 加 費  5,000円(食事、シーツ代及び黒岩水仙郷入場料等も含む)

9 申し込み (1)方法 参加申込書によりFAXで申し込む。
       (2)締め切り 平成22年12月26日(日)

        ※募集定員に達し次第締め切ります。



江渡華子の俳句ワーキングショップ。なんと神野さんとダブルキャスト。
宿泊費に食費と、ふたりの講習が入って5000円は破格の安さだ。恐るべし、淡路。

美人のお姉さんふたりに俳句を教えてもらいたいそこのあなたは、上のHPから申込用紙をダウンロードしてすぐさまFAX!
(とか茶化した書き方だと怒られそうだが、気にしない)

人数少なめなので、早めにどうぞ。
紗希さんのblogの但し書きによると、社会人は「30歳くらいまで」だそうです。
「きつねの望遠鏡」1月の水仙郷

あ、ちなみに、本件紹介しているこんなbogも見付けました。
「立命館の歌姫」、久々に聞いたなぁ(笑)
情熱淡路島 淡路島バイクで俳句ハイキング

うーん、9日に学会入ってなかったら俺も行くんだが(笑)。
別件で(俳句関係ですが)7日、8日は松山に行く予定。距離的には近いところをうろうろするのに、すれ違い。
 

2010年11月29日月曜日

選考会(2)

 
承前

俳句賞の選考会にとって「選考委員が複数であること」はどういう効果・意味があるのか、という話題である。
結論から言ってしまえば(まずおおかた予想できるとおり)「句会」効果である。

ここ数年、ほぼ毎年のように11月になると鬼貫青春俳句大賞の公開選考会に参加している。毎年投稿して敗れ去っていたのだが、それはそれとして、いち観衆として選考会を眺めていても、なかなか面白いものがある。
それは、異なる視点をもった選考委員がひとつひとつの作品をそれぞれに「読」んでくれるからだ。同じ作品に対して異なる意見をもつ五人が、お互いの意見をすりあわせながら作品に対する評価を定めていく。
自分の作品、他人の作品に対する評が交わされ、納得しあったり、ひとりの思いがけない発言で、(よくもわるくも)がらりと議論の風向きが変わったりもする、そのライブ感。

これはそのまま「句会」である。観衆は「句会」に参加した心地で楽しんでいるのだ。

鬼貫賞の選考委員は例年五人。坪内稔典氏(「船団」代表)、稲畑廣太郎氏(「ホトトギス」副主宰)、山本純子氏(詩人・俳人)、岡田麗氏(柿衛文庫学芸員)、に後援の伊丹市商工会議所からひとり参加者がある。
顔ぶれを見ていただくとご想像のとおり、選考会はだいたい例年、坪内氏の主導のもとに、いかに稲畑氏の「有季定型」が妥協するか、がひとつの争点となる。(坪内氏が司会をするという現実的理由もある)

今年、稲畑氏が推したのは次のような句である。

露草の踏まれてきゆうと鳴りし朝  「一日千秋」
家々へ子らをみちびき秋灯     同

天空の光を引きて燕来る      「四季」
聖五月石畳行く修道女       同

稲畑氏はこれらの句群を「素直」と評して高く評価したのだが、果たしてこれらは素直と呼べるかどうか。
選考会中、坪内氏も指摘していたが、「秋灯」「聖五月」といった季語の本意はすでに我々の「素直な」日常とは違う、虚構の世界である。 「伝統俳人」とは、有る意味そうした虚構(季語の伝統)を通じてのみ「写生」する人々だ、といえるかもしれない。
従ってたしかに「伝統」には「素直」な句だが、「写生」と呼べるのか、句として魅力があるかどうか、疑問である。 当日もこの「素直さ」が争点となり、結局これらの作品はどれもほかの選考委員の推薦をうけるには至らなかった。

坪内氏は今回の選考会冒頭、次のように発言していた。うろ覚えなので大意要約だが、

若い人たちの賞なのだから、無茶をしてほしい。もっと俳句にとって無茶が必要なのではないか。正岡子規は明治のころ、俳句の可能性を使い尽くす、というつもりで俳句を作っていた。子規は百年後に俳句が残るとは思っていなかったし、自分たちの世代で滅びるとさえ思っていた。だから無茶な冒険もたくさんした。無茶が俳句を豊かにするのだ。
稲畑氏の有季定型、「素直」を尊しとする姿勢とは全く違うのである。では他の人はどうだっただろうか。

山本氏はH氏賞受賞歴もある詩人である。口誦性や独自性、なにより楽しげな雰囲気を大切にされている。今年山本氏のイチオシは金田文香さんの次のような句群。山本氏は終始、金田さんの感性のオリジナリティを評価していた。

椅子机椅子机椅子机夏至
籠に屑入らずともよし晩夏光
永き日のバイソンの地鳴りかもしれぬ

KANADA「くすくすむずむず」

岡田氏は柿衛文庫の学芸員である。毎年、季語の本意、発想の新規性などバランスよく目配りした評が印象的である。第五回でまっさきに徳本和俊「SHIRO」を推された英断には敬服せざるをえない。

九戸城オタマジャクシがまだ来ない
二条城二百十日のことでした
首里城はまだ少し先去年今年

徳本和俊「SHIRO」

門外漢である商工会議所メンバーの方から思いがけない発言が飛び出すこともある。
今年面白かったのは、句を「文章」と呼び、「わかりやすい文章」を基準に選んだと発言していたこと。(ちなみに私の作品は「わかりにくい文章」と評された)これについて坪内氏が、
句のことを普通、文章とは呼ばないですね。でも、考えてみればこれもひとつの文章なわけで、句読点はないから文ではない。文章という視点から見てみると別の視界が広がるかも知れない。
と発言しており、興味深かった。畸形の文章としての「俳句」を考えてみるとき、その畸形性は「片言性」という坪内氏のキーワードをもって理解しうるだろう。

昨年大賞に選ばれた羽田大佑くんの作品は、坪内氏が1位、稲畑氏が2位、岡田氏が4位に選んだ作品であった。

青年はスーツのままに春祭
専攻は古代ギリシャ語星月夜
マフラーを巻く本心に触れぬやう

羽田大佑「カタカナ+ひらがな+漢字」

坪内氏は、就活や大学生活のなかで揺れ動く青年らしさをよしとし、また俳句に馴染みの薄いカタカナ語を積極的にとりこむ姿勢を評価した。稲畑氏はカタカナ語を用いつつも季語をしっかりと使い、有季定型におさめる技倆を評価した。
ひとつの作品をめぐって、異なる視点からの「読み」が重なって受賞に至ったのだ。

句会とは、ひとつの作品に対して多様な「読み」を許容するシステムである。
複数による選考会は、句会によく似ている。お互い、異なる視点から異なる「読み」を提示しあい、相補しあって作品の「読み」を育てていくのである。ひとり机にむかう孤独な「読書」ではなく、共同で作品を「読む」行為である。
作品に対する評を決めるにあたって、たしかに独断のほうがブレがないかもしれない。
独断のほうが、選者にとって納得のいく結果がでるだろう。
しかしそれでいいのか。
それは俳句作品にとって幸せなことなのだろうか。
いわば、結社にとっての「主宰」のように、ひとりの「読み」が絶対化してしまうこと。
結社において「弟子」は「師匠」の選に、一対一に向き合い、師の「読み」と自分の価値観とをすりあわせたり、反発したりしながら、成長する。一対一の関係だからこそ、成長する実力というのも、あるだろう。
だが、結局、ひとりの選者がもつ許容範囲には限界がある。
だからこそ異なる意見同士をすりあわせながら作品を評価していくという手法は、俳句にとってきわめて相性がいいのではないか。
むろん、あらかじめ限られた数人による選考会による「読み」が正しいわけではない。
むしろ、絶対的評価がないことを証明するだけでしかないかもしれない。
しかし、それでよい。その「場」の結論は絶対ではないが、その「場」の評価としては最優先されるべきなのだ。
句会とはなにより、その「場」の参加者のものである。投稿者は甘んじてその「場」の結論を受け入れるべきだし、句会(選考会)以外の論理によって、その「場」の論理がゆがめられることは、あってほしくない。

「句会」というシステムを活かすためにも、その「場」での議論が重視されるべきだろうと思うし、また、特に総合誌の選考会においては、多様な価値観が活発に混じり合う「場」であってほしい、と思うのだ。




前回記事をわたなべじゅんこさんのblogに取りあげていただいてます。
http://junkwords.jugem.jp/?eid=247

多数決しましたよ、ということを見せたいだけなら、M-1ばりに点数化してみせるべきだと思いますね。それはそれで、それぞれの選者にとっては矜持を守れることでしょう。
しかし、それぞれが作品(漫才)をみせることがすでにエンターテイメントであるM-1と違い、俳句は「作品」と「読み」とが同時にあって、完結する。お互い顔をつきあわせて「読み」あう場が設けられている、そのことに積極的な意味を考えていくと、おのずから上のような結論になりました。お答えになれば幸い。