あんなに一人芝居みたいな唄でしたっけ?
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15日、俳句批評のスタイルを掲載。
27日、俳句批評のスタイル2を掲載。
俳句批評のさまざまなスタイルを観察・考察するシリーズ。気が向いたらまた書きます。
これをモトにして「世代論」につなげる予定なのだけど、なかなかできない。
1日、東京日記掲載。
2012年上半期の流行語「アンソロジってない」が誕生。
アンソロジーに入選せずくすぶっている若者に対して用いる。用例としては、「久留島はアンソロジってない」「久留島はいつもアンソロジってない」「久留島なんかアンソロジるわけがない」など。
10日、2月4日に開催された写生・写生文研究会に参加した余熱をもとに、「写生論の行方」を掲載。
「写生」というテーマもさることながら、改めて「俳句について批評する」という行為を考えさせられた会でした。(16日、「断章」掲載)。
なんかよくわからないなりに、自分自身の俳句との関わりかたとして、やっぱりひとつは「批評」という道があるんだろうなぁ、と思ったのでした。
この月は3つしか投稿できず。
同月、3月3日には「関西俳句なう」主催でシンポジウム「子どもと作る楽しい俳句を考えませんか」を開催。大入り満員感謝でした。
御中虫氏の『関揺れる』刊行に際して、御中虫氏についての断章を書く。
と言っても、実はここで書いたとおり私は「関揺れる」の、試み自体はとても面白いと思ったが刊行することはなかろうと思ったので、書籍版については読んでいない。
「週刊俳句」256号に、「写生写生文研究会 第二部第三部レポート 写生─俳句の場合─ 」を掲載いただく。
なお、のちに、科研報告書「「役割語」の視点を導入した写生文・「写生」の日本語学的新研究」(課題番号:21652044)に転載いただく。
4日、時評について書く。『俳句界』時評のあまりのていたらくに驚いたため。
これも今年のことだったか。。。記事内容としては数年前どころか、二十年以上前でも通じそうです。
ちょっと長いので読みにくいのですが、
読者が読めれば、それでおしまい、ということで一向にかまわないのではないか、と思われないでもない。だが、批評・評論がそれでも書かれるのは、クリティックの書き手が、読むことにおけるエキスパートで、一般読者を越える読み手であると認識されているからだろう。
というあたりが、結局は「読書」と「批評」との違いになるわけですね。
俳句の場合「鑑賞」というのが公開されることがおおくて、これは「読書」と「批評」のあいのこくらいかなぁ、という気がするのだが、どうでしょうか。
5月
昨年spicaで執筆した「平成狂句百鬼夜行」について、 「つくる」をよみあう 第2回 にて批評をいただく。
紗希さんからいただいた、「みなぎってない。同じように、あと一歩、あとひと味ほしい、と思う句がありました。」との評は、我がことながら、なるほどと感心しました。
「あと一歩」踏み込めれば、私も俳句表現史で一歩を踏む勇気も自信もつくんでしょうが、そこを無難におさめてしまうところに、良くも悪くもいまの立ち位置があるのだろうなぁ、と。
あ、特に関係ないですが、今年の落選展に出ていた、
冷えた手を載せれば掴む手であつた 佐藤文香
古草やけものは君を嗅ぎあて笑む
は、できあがった世界のなかに、さらに下5でもう一歩ねじ込んでいく力強さを感じて、印象的でした。こういう句が同世代の作として読めるのは幸せ。
18日、加藤郁乎逝去。
31日、「世代論のために」掲載。
6月
柿衛文庫にて、俳句ラボが始動。なぜか「講師」を拝命する。
20日、川柳の話を掲載。
なお、この月よりしばし、「「共同研究 現代俳句50年」を読む」企画スタート。
7月
8日、鑑賞と誤読掲載。
このころから、「誤読もふくめて多様な読みを誘発するほうが、"名作"なのではないか」という、ある意味テクスト論からすれば王道(?)な考えに取り憑かれるようになる。
そういえば最近、大学生相手に俳句を鑑賞してもらうことがあるのですが、今年人気のあった句は、
咳をしても一人 尾崎放哉
雪だるま星のおしやべりぺちやくちやと 松本たかし
へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男
はっきりしない人ね茄子投げるわよ 川上弘美
などでした。
特に、尾崎句の鑑賞では、「さみしい」という点では一致しているものの、思い描く具体的な情景がそれぞれバラバラ。むろん、壮絶な孤独を感じる、という学生もいましたが、ある学生は三十過ぎの独身男の一人暮らしを思い、逆にある学生は身近な三十代女性たちを想起し、あるいはまた風邪をひいて学校を休んだ日の思い出を書く学生もいた。
要するに、自分の体験にひきつけて、等身大の「さみしさ」が投影できる句なのですね。
一句の「正しい鑑賞」とは別に、こうした「読者の共感」に支えられている句は、やはり強いと言える。
23日、「「共同研究 現代俳句50年」を読む(1)」掲載。
28日、「「共同研究 現代俳句50年を読む(2)」掲載。
8月
4日、「「共同研究 現代俳句50年」を読む(3)」掲載。
11日、「「共同研究 現代俳句50年」を読む(4)」掲載。
25日、「「共同研究 現代俳句50年を読む」(5)」掲載。
22日、千野帽子氏の『俳句いきなり入門』を読んでみた掲載。
このころから、「俳句は広い」がマイブームになる。
みなさん、俳句って、広いんですよ。
9月
16日、近況報告。川柳カード・創刊記念大会に参加したことなど。
27日、「「共同研究 現代俳句50年」を読む(6)」掲載。
10月
8日、「噺のハナシ」掲載。俳句ではなく、落語のはなしです。
14日、「坪内稔典『俳句の根拠』を読む」掲載。
31日、「柳田国男を読んでいる」掲載。
こうしてみるとなんか読書記録みたいな月でしたが、実は全部内容つながってます・・・根っこのほうで。
11月
6回も更新しているわりに告知ばかり。
11日、言い訳と方針を掲載。
11月17日には、現代俳句協会青年部シンポジウム「洛外沸騰」に参加。
その余波として、25日に「洛外沸騰」 アンケート(抄)、30日にメモ 伝統と前衛とを掲載。
ここでの議論は、またどこかで続きをさせて貰いたいなぁ。
12月
何と言っても22日、第1回俳句Gatheringを開催。
早めに、ということで、26日、「俳句Gathering始末」を掲載。
また、評判録については随時更新させていただきます。
これまでのところおおむねよい評判なのでほっと安心。
スタッフ側からの依頼原稿も公開予定なのでお楽しみに。
実は週刊俳句の野口裕さんの記事は、こちらから感想レポートお願いしたら先に早々に書いてくださり、掲載に関してもご自分で交渉いただいてしまった、というもの。ありがたいハナシです。
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こうしてみると、「俳句」としてよりも、俳句にまつわるイベントに縁のある一年でした。
昨年spicaで執筆した「平成狂句百鬼夜行」について、 「つくる」をよみあう 第2回 にて批評をいただく。
紗希さんからいただいた、「みなぎってない。同じように、あと一歩、あとひと味ほしい、と思う句がありました。」との評は、我がことながら、なるほどと感心しました。
「あと一歩」踏み込めれば、私も俳句表現史で一歩を踏む勇気も自信もつくんでしょうが、そこを無難におさめてしまうところに、良くも悪くもいまの立ち位置があるのだろうなぁ、と。
あ、特に関係ないですが、今年の落選展に出ていた、
冷えた手を載せれば掴む手であつた 佐藤文香
古草やけものは君を嗅ぎあて笑む
は、できあがった世界のなかに、さらに下5でもう一歩ねじ込んでいく力強さを感じて、印象的でした。こういう句が同世代の作として読めるのは幸せ。
18日、加藤郁乎逝去。
31日、「世代論のために」掲載。
6月
柿衛文庫にて、俳句ラボが始動。なぜか「講師」を拝命する。
20日、川柳の話を掲載。
なお、この月よりしばし、「「共同研究 現代俳句50年」を読む」企画スタート。
7月
8日、鑑賞と誤読掲載。
このころから、「誤読もふくめて多様な読みを誘発するほうが、"名作"なのではないか」という、ある意味テクスト論からすれば王道(?)な考えに取り憑かれるようになる。
そういえば最近、大学生相手に俳句を鑑賞してもらうことがあるのですが、今年人気のあった句は、
咳をしても一人 尾崎放哉
雪だるま星のおしやべりぺちやくちやと 松本たかし
へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男
はっきりしない人ね茄子投げるわよ 川上弘美
などでした。
特に、尾崎句の鑑賞では、「さみしい」という点では一致しているものの、思い描く具体的な情景がそれぞれバラバラ。むろん、壮絶な孤独を感じる、という学生もいましたが、ある学生は三十過ぎの独身男の一人暮らしを思い、逆にある学生は身近な三十代女性たちを想起し、あるいはまた風邪をひいて学校を休んだ日の思い出を書く学生もいた。
要するに、自分の体験にひきつけて、等身大の「さみしさ」が投影できる句なのですね。
一句の「正しい鑑賞」とは別に、こうした「読者の共感」に支えられている句は、やはり強いと言える。
23日、「「共同研究 現代俳句50年」を読む(1)」掲載。
28日、「「共同研究 現代俳句50年を読む(2)」掲載。
8月
4日、「「共同研究 現代俳句50年」を読む(3)」掲載。
11日、「「共同研究 現代俳句50年」を読む(4)」掲載。
25日、「「共同研究 現代俳句50年を読む」(5)」掲載。
22日、千野帽子氏の『俳句いきなり入門』を読んでみた掲載。
このころから、「俳句は広い」がマイブームになる。
みなさん、俳句って、広いんですよ。
9月
16日、近況報告。川柳カード・創刊記念大会に参加したことなど。
27日、「「共同研究 現代俳句50年」を読む(6)」掲載。
10月
8日、「噺のハナシ」掲載。俳句ではなく、落語のはなしです。
14日、「坪内稔典『俳句の根拠』を読む」掲載。
31日、「柳田国男を読んでいる」掲載。
こうしてみるとなんか読書記録みたいな月でしたが、実は全部内容つながってます・・・根っこのほうで。
11月
6回も更新しているわりに告知ばかり。
11日、言い訳と方針を掲載。
11月17日には、現代俳句協会青年部シンポジウム「洛外沸騰」に参加。
その余波として、25日に「洛外沸騰」 アンケート(抄)、30日にメモ 伝統と前衛とを掲載。
ここでの議論は、またどこかで続きをさせて貰いたいなぁ。
12月
何と言っても22日、第1回俳句Gatheringを開催。
早めに、ということで、26日、「俳句Gathering始末」を掲載。
また、評判録については随時更新させていただきます。
これまでのところおおむねよい評判なのでほっと安心。
スタッフ側からの依頼原稿も公開予定なのでお楽しみに。
実は週刊俳句の野口裕さんの記事は、こちらから感想レポートお願いしたら先に早々に書いてくださり、掲載に関してもご自分で交渉いただいてしまった、というもの。ありがたいハナシです。
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こうしてみると、「俳句」としてよりも、俳句にまつわるイベントに縁のある一年でした。
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