2009年7月7日火曜日

予定


尾形仂『座の文学』(講談社学術文庫)を読んでいます。
いままで、「俳諧」はよくわからなくて敬遠していたのですが、「座」とかに言及するなら最近少しずつ、やっぱりやらなくちゃいけないかなぁという気分になっています。
先行する俳句の「遺産」という意味では、一番豊饒なのはもちろん明治以前400年の俳諧文化なわけです。その意味では、芭蕉を学び直すということ、つまり芭蕉がなんでエライのか、芭蕉以外は本当にダメなのか、ということは自分自身で再検討しなくちゃいけないだろう、とは、思うのです。
子規の功績のひとつとして、「芭蕉」という絶対的カリスマをさしおいて、「蕪村」というカリスマを再評価したことがあります。「選択されなかった可能性」の可能性、とでもいえばいいでしょうか。よくわかりませんか、すみません。
とにかく、「新興俳句も前衛俳句もいつの間にか姿をけして花鳥諷詠だけが残った、だから花鳥諷詠が俳句の最良の選択肢だ」という論法は、いろんなものを取りこぼしている気がする。

先日、活字だとか座だとか、へりくつをひねくりまわしてみました。→曾呂利亭雑記: 読者、というやつ。

ただ、先日の議論は、自分自身の考えも満足に固まっていなかったのはむろんですが、きちんとした参考文献にのっとった議論ではなく、つまり文字通り自分で考えるための「ヒント」でしかないものでした。
特に「本当は近世も活字文化なんだけど…」ということは考えていたのですが、詳しくないので敢えて無視していたことは告白しなければなりません。近世の活字文化がいかに隆盛を極めていたか、その背後に俳諧ネットワークがいかに重要であったか、については、田中優子『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫) であざやかに紹介されており、ご存じの方も多いはず。
しかし改めて尾形著を読んでいると芭蕉も「読む」文化の人だったことがよく分かりました。


・ 共同体の文芸である俳諧の成立にとっての必須の前提としての座。それは、しかし、一方では常に閉鎖的に傾き停滞に陥る危険性を伴うとともに、また、詩を座の中に埋没させる誘惑をも孕んでいる。
・ そもそも連句文芸には、連衆が寄り集まって創作を享受とをともにし、一座の興を楽しむ"座の文芸"としての性格と、できあがった一巻の作品を懐紙に浄書し、もしくは撰集に載せて鑑賞し批評する"書かれた文芸"としての性格との、二元的な性格が付随している。
・ "座の文芸"を"書かれた文芸"に定着させようと願った芭蕉の努力は、座の文脈を作品の文脈に転位することにかかっていたといっていい。
・ 一次・二次を含めての蕉門の座が
、芭蕉の高度の詩に共鳴し、それを支えた理由として、この時点にあっては、武士・町人が政治・経済の実験をになう階級を形成し、それとともにかなり高度の教養を備えるに至っていたこと、そして芭蕉の周囲に蝟集したのがある程度の財力を持った教養層であったことがまずあげられる。
                     前掲書尾形著より任意抜粋。

正岡子規が、集団創作である「連句俳諧」を否定しながら、句会という座、場は否定しなかったことはよく知られている。実際には先ほど言った「蕪村の再評価」も、ほかの俳諧宗匠たちのブームに乗っただけだ、という話もある(青木亮人氏の研究に拠る)。
新聞の投句欄を活用した子規も、漱石たち当時一級の知識人との「座」に支えられている。子規の改革、子規の改革というけれど、思ったより改革ではなかったかもしれないのだ。

しかし、子規の「改革」のあと、虚子、秋桜子、重信を経た現代の「座」は、俳諧の「座」と同質なのだろうか。元禄の「座」、明治の「座」、平成の「座」は、同じ用語であらわされるべきものなのだろうか。

上に述べたような自問自答は、もちろん、これまで多くの「俳人」たちが通ってきた思索の経路となんら変わることがないと思う。「俳人」たちの多くは、上のような疑問にとっくに答を出した人たちなのだろう。 (多くの俳人が、俳諧研究、明治研究に打ち込んでいることは周知のことだ) つまり、こんなありふれたこと、わざわざネット媒体で世界中に発信する必要はないのだ。それでも公開せざるをえないのは、私の甘えなのだが、要するに自分がこんなことを考えている、と共有していたいからで、つまりこれも「場」を求める行為に違いない。違いないのだが、それでもできるだけ個人的な問題ではなく、普遍的な問題と、普遍的な悪戦苦闘の記録、になれば、少しでも役に立つことはあるかもしれない。


で、甘えついでに今後の予定少々。
なぜか松山俳句甲子園まっさなかの8/7~9に、福島県まで合宿に行くことになりました。こちらは専門の関係で、エライ先生との研究合宿です。
で、その帰り、10日11日あたり、数日東京で寄り道するつもりです。おりしも国文学研究資料館で「百鬼夜行」展などやっているので、これは見に行かないと。

9/5の「船団・初秋の集い」には懇親会も含め必ず参加させていただくつもりです。パネラーの方々、実行部の方々、よろしくお願いします。

東京福島に来るなら俺の所に挨拶に来い、とか、関西まで行ってやるから相手しろとか、そういったお誘いにはできるだけ対応するつもりですので、よろしくご連絡ください。


※  7/7更新。7/8、(あまりにひどい)誤植を訂正。 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿