2010年1月31日日曜日

週刊俳句145号

 
「週刊俳句」の企画連載「新撰21の一句」に、書かせていただきました。
中本真人さんの一句です。これは自分で希望したのですが、予想以上に難しく。
平明なよさ、を伝えるのは非常に難しい、ということがよくわかりました。

 
週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第145号 2010年1月31日
 
週刊俳句 Haiku Weekly: 〔新撰21の一句〕中本真人の一句 久留島 元: "Haiku Weekly"


さて、今週の週刊俳句の十句作品は谷雄介・三木基史氏の両氏。

谷ユースケ(と、敢えて呼ばせていただく。)は言わずと知れた俳句甲子園出身の奇才。 正月早々、俳句王国でも威勢良く活躍していて、今回も相変わらずトバしてますが、私見では今回のは、「空回り」気味(笑)。句より口のほうが元気なんではないか、と、少し思う。彼のカラーが一体どういう方向を目指しているのかは、いまだ見えません。

三木さんは最近句会でご一緒になることが多く、「週刊俳句」誌上で一緒になれたのは偶然ながら嬉しい限り。例の『新撰21』では関西勢が少ない、とは、各所で発言があり、また私も言っていますが、もしまた別の若手アンソロジーがあるなら三木さんは絶対入らなくちゃいけない人でしょう。今回の十句では、タイトルにもなっている
  オレンジのへそ雑音を閉じ込める
など、好きな句。

上田信治氏の現代俳句協会講演会の記録、山口優夢氏の新連載「新撰21の20人を読む」も、随所に示唆深い発言があり、興味深く読みました。前者は特に、参加できなかっただけにありがたく、後者は竟宴の後夜祭的なノリでも楽しめました。
優夢氏は、同日発行の「豈Weekly」にも好論を寄せており、どちらも同世代俳人を論じる上では重要な論考になってくるのではないか、と。


さて、そんな訳で今週もとても面白く読ませていたのですが、すこし気がかりな点。
直接、「週刊俳句」ではなく、haiku&meという別の媒体で、のようなのですが、今度新しく『新撰21』ツイッター読書会なるものが開始されるそうです。
別に私がツイッターに参加してないから言うわけではないのですが、、、ちょっと、『新撰21』で、盛り上がりすぎじゃないですか?

自分も「一句を読む」に参加させてもらって、今も原稿執筆中だったりするので、そう、大きな声では言えないのですが。
『新撰21』は非常に良い本であり、重要な本だと思う。そう思えばこそ、昨年末から再三取り上げ、企画にも参加させていただいています。
ただ、この手の企画本なら当たり前のように、不足な点もあるわけです。その一端は前述の通り、何度か触れたこともあります。だから、『新撰21』が、決定打!になっては、いけないのです。決定打!なんて、この手の企画で出て良いのかどうかもよくわかりませんが、ともかく、褒めすぎは禁物。でなければ、『新撰21』出版であらわになったいくつかの「注意点」や「不満点」が、後続企画で活かされないことになりかねません。別の本が出たら、もっと褒める? そうなると今度は『新撰21』が宙に浮いてしまいます。
なにごとも、ほどほどが肝心。

若者を褒めて伸ばしてくださる方々には、若者の一人として御礼の言いようもないほどありがたいのですが、逆に「新撰組」に漏れた一人としては、ここで不服を述べておくことも重要なのではないか、と思い、書き記す次第です。



亭主拝
※参考
山口優夢「鶏頭論争もちょっと、にちょっと」―俳句空間―豈weekly: 鶏頭論争もちょっと、にちょっと・・・山口優夢
 

※2/4附記
ちなみに。ネットというのはスゴイもので、ちらほら拙稿に対して反応してくださる声を拾うことができます。直接のコメントではないので反応する必要もないのかもしれませんが、中村さんからも似たコメントを頂いたので誤解のないように書いておくと、「若者を褒めて伸ばす」というのはまさに読書会などの場を設けてくださるその行為そのものについてです。読書会の内容は予言者でもなければ知りようもありませんが、たとえどんな批評であれお小言であれイヤミであれ悪口雑言であれ、「大好きの反対は無関心」ですから、プラスマイナス差し引き圧倒的にプラスでしょう。つまり褒め。だからむしろそんな大事にしなくても。と、これは若手の側が本来言う台詞ではないはずなんですが。
 

13 件のコメント:

  1. 昨年の竟宴でお目にかかりました中村安伸です。
    『新撰21』のツイッター読書会を企画したhaiku&meのメンバーでもあります。
    『新撰21』には不足な点があるのであまり盛り上げないほうがいい、というご意見には首肯できません。
    議論の場を設定はしたものの、単に褒めるための場とする意図は全くありません。批判もどんどんしていただければありがたいです。それでこそ「注意点」や「不満点」がより明確になるのではないでしょうか?
    ツイッターに参加するのが面倒であったり、その時間帯は無理ということでしたら、事前に私宛にメール等でご意見をいただければ、適宜発表させていただきます。
    不足な点とおっしゃるのは、人選についてでしょうか。自分が編者ならこうするのに、という案がおありならば、ぜひ第二弾のアンソロジーを作っていただきたいと思うのです。本を作る手間が大変でしたら、このブログでご自分なりの人選を発表されてはいかがでしょうか。
    今のところ、偏っているという漠然な批判だけで、他に誰が入るべきで、誰は入るべきじゃなかった、その理由は何かという具体的な議論が無いので、不毛な印象があります。確かに角は立つでしょうが、その覚悟なしに『新撰21』の編者を批判しても説得力に欠けるのではないでしょうか。
    まあ、誰が入るべきでなかったという話しになると、まっさきに私の名前が上がりそうな気もしますが(笑)。
    『新撰21』に対しては、私はむしろまだまだ盛り上がりが足りないと思っています。「これが決定打になってはいけない」とは、私も思うのですが『新撰21』が注目され、議論されることによって、その周囲の状況もまた照らし出されて行くとは思いませんか?

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  2. >中村安伸さま
    コメントありがとうございます、いつも豈weekly楽しませて貰ってますm(__)m。

    始まる前に言いがかりのようですみません。もちろん"盛り上がるな"などというつもりはなく、"盛り上がり過ぎ"に注意、です。どこから"過ぎ"ととるかは個人の判断ですね。
    (中村さんを含め!)新撰組21人は今後どんどん論じられるべきでしょう。ただ、個々の作家論形式はあちこちで発表されていますよね。足の早いネットメディアなら、そろそろ納め時ではないでしょうか。そういうわけで、せっかくのお誘いですが、私は今から一人ずつ取り上げる読書会形式には疑問です。論じるときは別の問題設定から入りたいと思います。

    人選は所詮結果論ですね。何度も言うとおり、『新撰21』は充分合格点と思っています。個人的な思い入れの濃淡で差が出るのは当たり前で、それこそ不毛ではないでしょうか。そもそも21人という数字自体が、今回の企画で仮に設定されたものなので、誰かを入れたいから誰か落とせ、というのは暴論だと思います。
    ただ、関西の友人知己に、新撰組に負けない、魅力的な人たちが残っているのも事実です。そういう意味では、次、に向けて好きな若手を紹介するのは悪くないですね。ありがとうございます。

    …って、レス長っ(^^;。失礼しました。

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  3. 曾呂利さま

    レスをありがとうございます。
    作家論、作品論以外の観点ももちろん必要でしょう。
    今回の読書会のテーマについて言えば、リアルタイムで二時間という枠を考えると、作家別に区切るのがやりやすいという判断でした。いずれにしても初めての試みです。テーマはあくまでも入り口であって、そこからどのような方向に議論が発展するか未知数です。

    取り上げること自体が、広い意味で「褒める」ことにつながるとのご意見は確かにそうかもしれません。そして、その「褒め」が21人の作者とその作品にのみ向きがちなのは、好ましく無いことかもしれません。
    各小論もそうですし、この本の企画そのものにも注目すべきですし、たまたま今回のスコープからは外れてしまった俳人たちをはじめ、この企画によってその一端がすくい上げられた世代、あるいは潮流の全体像へと、目を向けていくことが出来ればと思っています。
    この読書会でどこまで出来るかはわかりませんが、少なくとも「次」のテキストが出てくるまでは『新撰21』への注目を持続していきたいということです。

    人選について、確かに誰を入れたいから誰を外すべきと言うのは暴論というか、非建設的でした。そんな議論はしないほうがいいでしょうね。しかし、話はズレますが、この本を実際に作るにあたって、編集委員のみなさんはそういった議論をせざるを得なかったわけで、そのご苦労を想像してみる必要はあるだろうと思います。

    >>次、に向けて好きな若手を紹介するのは悪くないですね。

    とても良いことだと思います。このような動きが出てくれば良いのにと思っていました。楽しみにしております。
    また長くなってしまい、失礼しました。

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  4. >中村安伸さま
    こちらこそ、おいで下さりありがとうございました。

    >各小論もそうですし、この本の企画そのものにも注目すべきですし、たまたま今回のスコープからは外れてしまった俳人たちをはじめ、この企画によってその一端がすくい上げられた世代、あるいは潮流の全体像へと、目を向けていくことが出来ればと思っています。

    そこまで広く射程をとっていただけるなら、盛り上がると思います。ただ、「次」というのも現実味を帯びてきているようですし、具体的にいろいろな問題が明らかになればいい、というのは、私も賛成です。読書会の成果がどうなるかは、外野から見せていただきたいと存じます。

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  5. 『新撰21』スポンサー2010年2月6日 20:47

    こんにちは。はじめまして。
    新撰21のスポンサーかつ発案者です!

    『新撰21』はそもそも、俳句を読もう(詠むではなく)と思っても、
    ・どの句集が面白いのかさっぱりわからないこと。
    ・商業誌に載っている方々はいつも同じでかわりばえせず、世界が広がらないこと。
    ・面白いとネット上で評判になっている句集があっても、なんだかアマゾンでも書店でもどうやっても手に入らないこと。
    ・たまたま書店で見かけた句集を買ってもまったく面白くない定年後のお爺さんとかが、退職金で出した趣味の句集??というのが多かったこと。

    などの理由で、こんなんじゃ俳句を頑張っている若い人たちも希望が持てないだろうな!若い人たちに希望をもってもらえるような、それからまだあんまり句集とかも出してなくて、あんまり注目もされてなくて、っていうのを集めた面白いアンソロジーがあったらいいなっ!

    と思いまして、毎週読んでいました『豈weekly』の高山れおな氏に、『私のための(ヲイヲイ)句集を作ってください!』とお願いしたのがきっかけです。

    あんまり知られていない人、という条件でかなり苦労をされたようですし、ある程度の基準がないとあとからいろいろと文句がでるだろう、ということで、一応の基準が後付で追加され、泣く泣く名簿から落ちた方もいらっしゃいます。
    あとちょこっと私がファンだから!という理由で入れていただいた方もいます。

    21人というのは、それだけしか予算がなかったから。
    もう10年目になる車の買い替えは諦めましたし、個人のお金でこれだけ出すのって結構大変です。20人くらいの場合の予算が限界だったので『じゃあ、21世紀にひっかけて、21人にしましょうか?』ということになったのです。
    (スポンサーというくらいだから儲けているんだろう?とおもわれる方々もいらっしゃるでしょうが、今回の重版でもわかっていただけるように印税は作者に入っておりまして、私には牙城氏から送られた本だけが、手元に残っているという状態です)

    こちらが用意した名簿の中からご依頼のお手紙を差し上げたのですが、辞退された方もいました。
    ですから、なんだかよくわかんないけれど、人選関係に関して叩かれるような記述を拝見するたびに悲しくなります。それに盛り上がっちゃいけないの?俳句界に盛り上がって欲しくて、元気出してほしくて頑張った企画なのに、どうしてそんなに肩肘張って『盛り上がりすぎ!』とかいうのかな。
    結果として、次につながることは決まっているみたいです。今回は私がお金を出さなくても、『新撰21』で出た利益から、次につながって次の企画の年代を広げたのが出るみたいです。

    > 別の本が出たら、もっと褒める?
    > そうなると今度は『新撰21』が宙に浮いてしまいます。
    > なにごとも、ほどほどが肝心。

    なんだかとてもとても意地悪ですね。
    新撰21が楽しい本じゃなかったから貶める!
    それならわかる。でもそうじゃないんだもん。

    私はあなたが大嫌いです。

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  6. 『新撰21』スポンサー2010年2月6日 21:20

    それから、もうひとつお尋ね申しあげます。

    売れるかどうかわからない、いったいどんなコンセプトかもわからないアンソロジー企画から、『1ヵ月後までに100句出せ』(たしか4月か5月の依頼発送で6月締め切りでしたから)と言われたら、あなたはホイホイとご自分の大事な100句をお出しになりますか?

    私は売れるかどうかわからなかったし、コンセプトも受入れられるかどうかわからなかったから、我が子のように大事な100句出してくださった人たちに申し訳ないと思っていました。

    つまり、こちらが当初考えていたベストメンバーでの出版ではなかった、ということが言いたいのです。
    辞退者が出るたびに、ああだこうだと作戦会議があり、追加でお願いしたり補充したり、100句のストックがあるかどうかの問い合わせをしたりしました。(もちろんこういうことをされたのは牙城氏や他の方々ですが)

    メンバーは『結果論』でしかありません。
    新撰21が軌道に乗ってくれるかどうかは蓋を開けてみるまで誰にも、句を出してくださった方々にも、わからなかったのですから。

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  7. >『新撰21』スポンサーさま
    おいで頂き、恐縮です。またコメントありがとうございます。
    関係上いろいろ出版業界の困難は聞く機会が多く、こんな時代によくアンソロジー出たなぁ、とは思っていました。おもしろい本を読ませて貰った一人として素直に御礼申し上げます。出版に至った経緯、よくわかりました。

    えーっと、どこからお返事申し上げるべきか、まず、現状認識の「おもしろい句集が読みたい!」ということ、まったく私も同意見です。実際のところ、私も同世代のアンソロジーを読みたいなぁという気持ちを持っていました。なので、この本の出版を心待ちにし、喜んだ一人であることは誤解しないでください。自分が信頼する友人や先輩や後輩がこんな大活躍する企画を、喜ばない人間がいますか?昨年末以降の記事や「週刊俳句」等の記事を読んでいただければ信じていただけるかと存じますが、いままで私自身は一度も『新撰21』を叩いた、つもりはありません。

    出版の経緯をお聞かせいただいたのは思いがけないことで、本当によくぞこの本が出た、という思いを新たにしました。ありがとうございます。ただ、『新撰21』の評価とは別です。作品が作者の評伝から独立して読まれるように、句集が製作に至る云々で評価されることはあまり意味がないと思います。結果論ですから、結果が論じられるべきです。そして、これは「意地悪」とでも何とでも取っていただいて構いませんが、決定打だか決定版だか、『新撰21』はそうしたものではあってはならない、それこそ「呼び水」として、後続企画を期待するべき本でなければならない、と思っています。そして、上の中村さんへのレスをお返ししたとおり、「次」へ期待するような「盛り上げ方」はこれから考えていこうと思いますが、その「次」が『新撰21』の利益からつながっていくとは大変嬉しいお知らせで、これも御礼を申し上げるべきことかと存じます。

    最後のご質問。俳句で売れること自体を期待するほうが無理だろう、と思います。邑書林さんのような信頼すべき書肆に認めて貰ったなら、私ならとても喜びます。残念ながら私には機会がありませんが。

    これは、「大嫌い」と言われたのでお返しですが、私は「肩肘張って」申し上げたつもりはなく、むしろこんな熱血コメントを頂いて当惑しています。私が「盛り上がりすぎじゃないですか?」と言うことは、こんな反響を呼ぶほどの影響力があるのか、と。改めてネット公開という力を感じるところですが、そのネットの力で『新撰21』への扉が開かれたなら、「次」への布石もまた、ネットの力を信じることにしましょう。

    それでは、レスをお読みいただけるがどうかわかりませんが、取り急ぎ返信まで。

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  8. 『新撰21』スポンサー2010年2月7日 1:17

    ご理解いただけたようでよかったです。
    ですから、以降、お願いですから人選のどうのという批判だけはやめてください。いわれがない批判である以上に、筑紫氏、高山氏を磨耗させて心苦しいばかりです。

    http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/12/blog-post.html
    > さて「―俳句空間―豈weekly」というブログが「豈」の若手によって立ち上がった。ふつう、ブログはお金のない若い人々が手軽に利用する手段としているが、どうしたわけかこのブログをきっかけに次代の若手を発掘するセレクションの企画・資金の申し入れがあった。沈滞している俳句ジャーナリズムの若手の発掘への呼び水になることを期待して、現在その編集作業を行っている。

    最初からこの企画の性格は「後続企画を期待するべき本」でしたし、そうであるはずです。筑紫氏は「呼び水」という言葉を使っていらっしゃいます。

    今回U-50の企画は始まっていますが、前回同様、いろいろな条件を設けているためにいい人材をみつけるのに難渋しているそうです。年齢の下限はないそうで、今回選に漏れたU-40の方々も入る可能性があるそうですから、(越智氏などは「自分より若い人が出てきたらどうしよう」と心配していると聞きました)こんなところでつぶやいているくらいなら、牙城氏にご自分の推薦の方の載っている結社誌でもなんでもお送りになればよいのです。
    彼らは本当に俳句が大好きで、新人発掘を楽しそうに、ああだこうだと顔を輝かせながらやっています。ブログを拝見するにお友達らしい「山口優夢さん」の話も、ちょっとした論争の後で世間にはきっと犬猿の仲だと思われているような状況でしたが、「この子は面白い!」みたいな話をされていました。印象的でした。

    商業誌も結社も力を失いつつある時代、(と門外漢には思われますが、的確でなければごめんなさい)やっぱりみんな自分に出来ることをするしかないのではないかと思います。
    私はまたお金がためられたら何かしたいと思っていますし、俳人は書く、論じる、俳句を鑑賞する、なんでも出来ることをやればいいじゃないですか。

    それが後からみて違った方向でも、なにかにはきっとなると思います。

    ちなみに、haiku&meの企画、先ほど終わりましたが面白かったですよ!
    おとなしいだろうと(勝手に)思っていた矢野さんが発言をたくさんなさっていたので驚きました。あと谷さんが駆け込みだったのは残念でした。企画としてはまだ問題点が多い(ツイッター使用の問題点等)と思われましたが、門外漢の私には楽しめればそれでよし!です。雑談だって企画にはなるんですね。

    【追記】
    それでも私は、新撰21の作者の方々には申し訳ないことをしたと思っています。100句ですから。
    100句足せば、自分の句集が作れるのです。
    そしてそれは賞の対象となりえます。
    新撰21では賞は無理でしょう。だから、面白かったけれど、搾取もしたのではないか、との想いにもかられています。

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  9.  ソロリ亭ご亭主様、私もソロリと又お邪魔します。先日は大阪で楽しい歓談のひとときをありがとうございました、俳句甲子園ゲームの俳句にはまるティーンエージャー、高校生の心理をナマにきかせてもらい、いまの青少年の大学生になっても続いている皆さんの フィーバーぶりすこしばかり、理解できるような気がしてきました。
    俳句甲子園は言ってみれば公開句会、クラブ活動や授業も含めて俳句のノウハウを学んできた若者の知的トーナメントですね、数学オリンピックみたいなものにていますけど、やはり「高校野球」の集団性に近い、そこから基礎のしっかりした秀才が集うのも無理はありません。亭主、久留島元さんが悔しがるのもコレハ健康なスポーツマンシップに基づくものです。
    ただ、文学新人のこのようなでてきかたも、最近の特徴的な現象だな、とは思います。
     また、「スポンサー様」はじめまして。本書成立のいきさつはそう言うことだったのですね。あなたは、新撰組21人とその紹介者42人の産みの親です。編者に筑紫磐井と高山れおなと対馬康子さんを起用したために、さすが、話題性に富んだ人選です。だから、いろいろわだいとなり、あの三人だったら校も注文つけたかった、という話しがでているのです。あまりきにしないでください、読み方を如何に面白くするか、ということもあります。俳句甲子園OBを目玉にして、各結社の若手、後世恐るべしという凄い人材がピックアップされています。
     東京ばっかりじゃないよ、関西メンバーが少ないヨ、なんて、私は遠慮ないことを「俳句空間ー豈」49号に書きましたが、後から知れば、湊圭史という海外にまで足場を持つフリーランサーのでありグローバルなエディターが(そのうえ、俳句、川柳、詩、それらの英語への翻訳とマルチタイプです。)これも東京の思念的単独者関悦史さんについて狷介な小文を寄せていマシテ、心よりほっとしました。
     こういう人が大事なのは、{21×2}人をそこだけに閉じ込めない、まさに動くメディアとしていろんな場所や場面をつないでゆくからです。有能な「新撰組」隊員達が、狭隘な同期生的党派になっていいはずがありません。
    せっかく磐井、れおなが、構想したはずの、摂津幸彦以来の 「俳句空間ー豈」の広がりのある組織論が無に帰します。 z

     ちなみに、私は「俳句空間ー豈」同人で堀本吟、通り名を「吟さん」と申します。この世代の老齢の母、あるいは祖父祖母の年代です。あなたもきっと私よりは年少でしょう。もし私が死ぬまでに一冊句集を出したならば、それが初めての句集であり、日本の俳句会では(句集とか賞とかがプロの証として見立てられますから)、わたしはその時はじめて新人になるわけです。今回は、新人発見と銘打っていても最初から年齢制限にひかかかって対象外です。
     べつにやっかんでいっているのではなく世の中がそのように進んでいるからそれにそって自分の誹諧道をあるいているのです。更に、かといって、若い人ばかりが、またマスコミに知られた人ばかりが表現をしているのではないことをスポンサー様たちにも知って頂きたいからです。定年退職してやっとお金を貯めてやっと出した句集は既に時代遅れで、「おばちゃんのつくったつまらない」もので・・とそう思っていられるかも知れませんが、それはどうかな。(蓼食う虫も好きずきと言うべきですが)、若者もおもしろいけれど、老人もなかなか粋に真摯に晩年をたたかっていますよ。俳句誹諧は、化けてゆく文芸です。新撰組が時代の表現にむきあってどう化けてゆくか、楽しみにしてください。
    純粋読者のスポンサー様の善意は、俳人全体が大事に受け止めてゆくでしょう。願わくば、はもっと選択眼をひろく世代を突き抜けた面白さを発見して頂きたいものです。(吟)

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  10. >吟さま

    おいで戴き恐縮です、先日の句会ではお世話になりました。
    コメントのお吟面目躍如のコメントで、何をどこからお返事すればいいやらよくわからなくなってきたので、ともかく御礼まで。

    選択、人選はとかく必ず話題を呼ぶに決まっているわけで、まさに「次」へ向けて、選者の参考資料になりそうな人選リストを作っておくのは悪くないかなと思っています。よろしく。

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  11.  どうも。面目躍如か面目失墜か(笑)。ご亭主はかつての野党、民主党の影の閣僚メンバー構想みたいなことをおっしゃっていますね。充実を期待しています。
    わかい世代のみが、言葉の先端を領するのだときめてしまうのも、かならずしもただしくないような気がしますが、この本や後続されるはずの「本」は、一つの有益な資料であることはまちがいありません。
    幾つかの支流の可能性も孕んで、大きな流れになって行けば、読者代表、スポンサー様の善意と行動を活かすことになる筈です。

    日曜には、三木基史さんの所属する「樫」(森田智子代表)、野口裕さん、岡村知昭さん等参加の「もとの会」(和田悟朗代表)の合同句会が大阪で開かれて、中年層が中心でしたが、いろんな傾向の句が出てきて、にぎやかで活気がありました。

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  12. 『新撰21』スポンサー2010年2月19日 13:02

    吟さま、すみません。こちらには久しぶりに来たので、お返事のコメント遅くなりました。まずはコメントありがとうございます。

    吟さまは私をご存知でしょう(笑)。

    >あなたもきっと私よりは年少でしょう。

    ええ、そうです。想像よりずっと若い。
    れおなさまよりも若いですから。神野紗希さまよりは歳ですが。

    >もし私が死ぬまでに一冊句集を出したならば、それが初めての句集であり、日本の俳句会では(句集とか賞とかがプロの証として見立てられますから)、わたしはその時はじめて新人になるわけです。

    そこなんですよね。
    俳句って捨てられちゃう文学なんだな、と最近改めて思います。例えば、筑紫磐井さま。第一句集以前の句はどう探しても出ない。出ようがない。でも第一句集を編んだのは俳句をはじめてずいぶんたってからですよね。

    ぽろぽろと日常的に一句一句作っていっても、それをウェブで発表していても読者の頭に残ることなく散逸していく。新聞の文芸欄などで10句くらい乗っていても次の日にはポイ。(そもそも好きな作者がいても、違う新聞を取っていればお目にかかることさえなく過ぎていく)

    週刊俳句みたいに10句などで発表していても、やっぱり残るものは少ないです。10句以上でウェブなら絶対に読みませんし。

    お爺さん、おばあさん、の表現は申し訳ありません。
    上の方々の年代でもいい句集の方はもちろんいいと思います。
    これを新人というのかどうか、わかりませんが、最近お年の方で手を尽して手に入れた私のお気に入りは志賀康さまの句集です。(←殺されるようなコメントかもしれません。すみません)

    後世に残る、それよりも以前に、一般読者に届くのは有名人や長老の方々のみの句集だけなのでしょうか?こういった状況を打開するには何が必要なのでしょうか?
    一体、現状には何が必要なのでしょう?

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  13. 「新撰21スポンサー」様
    ご丁寧に私へのコメント有り難うございます、曽呂利様。すっかり此処のブログの場を借りてしまってすみませんです。。鶏頭の句と同様、話題にならなければ、先に送れません、その意味では、今出てきている賛否両論すべて、この本の肥やしになると思います。
    じゅうぶん面白くなっているのではないでしょうか?
    ただ、破天荒な大物が出ないという予想がありますが、これは彼らの責任ではありません。時代の責任です。
    成り行きを見るほかはありません。

    句集にいれていない草稿句も含め10000句をおさめた「林田紀音夫全句集」がでています。これは希有の例です。こういう動きは賞を狙う若者の心理と対抗しているのではなくて、同じ円盤状のA地点とB地点それぞれに生じているカオスです。
    俳句地形は探検すると、深くてひろいものがあります。ごゆっくり巡ってください。

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