2015年1月11日日曜日

資料逍遙



東京へ遊びに調査に行ってきました。

某所より依頼された原稿〆切が迫っているので、国会図書館と俳句文学館へ。

普段はあまり感じませんが、「東京はいいなあ」と思うのは、こういう研究環境。
関西でも、いろいろ組み合わせれば手に入るのかもしれませんが、やはり「ここへ行けば必ずわかる」という研究機関が、交通の便のいいところにあるのがすばらしい。
短い時間で、たくさんの資料を実際に手に取り、調べることができる。

東京の俳人は、だから地方の俳人に比べて圧倒的に有利であることを自覚して、もっともっとこういう施設を使っていろんな本を読めばいいのです。うらやまけしからん。

関西にも詩歌の雑誌、図書をまとめた資料館があればと切実に思うのですが、俳句でいうと虚子記念文学館柿衞文庫神戸大学誓子記念館など、いくつかの機関に分かれていて、しかもOPAC(蔵書検索)や資料カードが未完成なのでよくわからない。国会図書館関西館とかも、すごく行きにくい。
また、それぞれ受け入れ体制が整っていないため今後、寄贈などを受けて充実させていくのか、などの方針も定かでない。
結果として、なにか俳句に関して調べ物をしたい人がいても、どこへ行って何を調べればいいのか、よくわからないのが実態です。
まあ、大学図書館か地域の中央図書館でも有名な総合誌(『俳句』『俳句研究』など)や、地域の老舗同人誌などは置いている可能性があるので、地道に探していくしかないのでしょう。

もちろん、それを逆手にとって各地の俳人が自分の地域の作家を掘りおこす努力などを続けると、俳句研究の視野も飛躍的に拓けていくだろうと思いますが、誰もそんな地味な仕事には興味がない、というのが現実。

ちなみに、私の住んでいる神戸市の図書館では、西東三鬼、永田耕衣、橋かん石、後藤夜半、赤尾兜子、山田弘子、時実新子ら地元ゆかりの作家以外にも、水原秋桜子、日野草城、角川源義、三橋敏雄、渡邉白泉、佐藤鬼房、飯島晴子らの全句集を読むことができるようです。


ところで、俳句文学館でホトトギスの古い号(大正12年ごろ)を見ていて、ちょっと笑ってしまったのがこちら。


曰く。
ホトトギス愛読者各位、今日又は将来に  船舶或いは積荷の海上保険 汽車積貨物の運送保険 家屋家具又は商品の火災保険を要せらるゝ機会がありましたらば何卒大阪海上火災保険会社に御下命を願ひます。この会社は本誌愛読者の一人なる大阪の浅井啼魚(義晭)が専務取締役として経営の局に当つてゐる資本金一千万円(積立金六百万円)の堅実なる保険会社であります。御用の節は御便宜下記本支店の内へ御一報を願ひます。 尚其節には「ホトトギスの広告によつて」と一言御申添を希望致します。

面白いのは、「本誌愛読者の一人なる浅井啼魚」という一言により、信頼を保とうとしていること。
ホトトギス仲間だから信頼できますよ、みたいな。
実際にはこのあと関東大震災が発生、啼魚は火災保険支払問題で社と対立して辞めてしまいますから、広告に従って保険を申し込んだ人がよかったか悪かったかわかりませんが。

俳句を縁にした保険会社の広告、というのは、一方でとてもしたたかで俗な感じですが、いまの、結社広告に埋め尽くされた総合誌とは違う、開かれたというか、風通しのいい感じもあります。

当時、非常に多くの財界人が俳句を愛好し、ホトトギス系の作家の多くがそれぞれの句会で指導役を担っていました。
社内では重んじられていない、どちらかというと窓際の人が、句会では社長、会長相手に添削している、みたいな。
大正末年といえば、ホトトギスでは鬼城、蛇笏、石鼎、普羅らがまだ第一線におり、草城、秋桜子、誓子らが姿を現しはじめたころ。
一方では俳句史上に稀な表現の高まりがあり、一方では社会人、企業人として成功している人たちがこぞって俳句を楽しみ、誌面を賑わせていた時代。
それは決して無関係なのではなく、おそらく総帥・虚子の戦略のなかで一致していたはず。
時代は大正デモクラシーの時代を終え、震災の打撃から暗く厳しい時代へ入っていきますが、俳句と、俳句をめぐる状況が、ある種の幸福な関係を築いていた時代のひとつの証拠と言っていいかもしれません。



そういえば、「最近の週俳、俳句にかまけすぎてるんじゃないですかね」という発言があって(参照)、なるほどなあと思ったものです。
私自身は、音楽もスポーツもあまり興味がないうえ、俳句の硬派な記事を読むのが結構好きなので、正直「週俳」で俳句以外の記事、そんなに読みません。そして、多くの俳人もやっぱり俳句が好きらしくて、放っておくと俳句ばかりになりがちです。
とはいえ、やはり俳句雑誌が俳句しか載せないという偏狭なことだから、俳句が先細りになるのだろう、とも思うのですね。

自分が「船団」にいるから特に思うのかな、と思っていたのです。(たとえば「船団」ブックレビューは、明らかに俳句以外の本の紹介のほうがおもしろい)
しかし、そういうわけでもないらしい。

俳句の人が読もうが読むまいが、一方では俳句以外の人へ向けた記事も載せておく。
そういう度量も、あるいは雑誌には必要なのかも知れません。



というようなことを思いつつ、俳句文学館の帰りに、駅前の赤ちょうちんで松本てふこさん、西村麒麟さんと小宴。
『俳句』1月号を肴に、ここでは書けない?ような、「あーだこーだ」を。

やっぱり俳句の話してるほうが好きなんですよねえ。


2015年1月4日日曜日

関西俳人選 (2)


続き

山口波津女(やまぐち・はつじょ)

明治三九年、大阪生まれ。父は浅井啼魚、夫は山口誓子。「ホトトギス」「馬酔木」を経て「天狼」「七曜」に参加。句集『良人』『天楽』など。昭和六十年没。

  • 風邪ひきし夫のあはれさかぎりなし
  • 手毬つく髪ふさふさと動きけり
  • 風船を居間に放ちて冬籠
  • 曼珠沙華夫は見しとふ羨し
  • 油虫われを嫌がらせて走る
  • 愛情は泉のごとし毛糸編む
  • 聖菓切るキリストのこと何も知らず
  • 香水の一滴づつにかくも減る
  • 男の雛の袖の中にて女雛立つ
  • 読み初めの一頁より女不幸
  • 水中花何の花とも云ひ難し
  • 見れば必殺す油虫あはれなもの
  • 油虫今宵は月の光に飛ぶ
  • 扉をあけて青赤のもの冷蔵庫
  • 嬰児(えいじ)を抱けば毛糸のかたまりよ
  • 過去多くなりぬショールに顔うづめ
  • 百足虫など神何故に創られし
  • 暗闇で悪を働く油虫
  • なほ高き方へゆかんと揚羽蝶(あげはちよう)
  • 白桃を手に持つこころやさしくし



長谷川素逝(はせがわ・そせい)
明治四〇年、大阪生まれ。昭和八年「京大俳句」創刊にくわわり、のち「ホトトギス」同人。旧制甲南高校教授。句集『砲車』『村』『暦日』など。昭和二一年十月没。
  • つち風のあらしもくもくもくと兵らゆく
  • 凍土揺れ射ちし砲身あとへすざる
  • ぎじぎじと熱砂は口をねばらする
  • さくらはやかたき小さき芽をもちぬ
  • 秋白く足切断とわらへりき
  • 沙羅の花深山の空のしづけさに
  • 夜光虫燃えてさびしや佐渡さらば
  • いちにちのたつのがおそい炉をかこむ
  • 馬ゆかず雪はおもてをたたくなり
  • あたたかくたんぽぽの花茎の上
  • いちまいの朴(ほお)の落葉のありしあと
  • おぼろめく月よ兵らに妻子あり
  • さよならと梅雨の車窓に指で書く
  • ふりむけば障子の桟に夜の深さ
  • 円光を着て鴛鴦(をしどり)の目をつむり
  • 春の夜のつめたき掌なりかさねおく
  • 連翹(れんぎよう)の雨にいちまい戸をあけて
  • すかんぽのひる学校に行かぬ子は
  • 二月はやはだかの木々に日をそそぐ
  • しづかなるいちにちなりし障子かな
桂信子(かつら・のぶこ)
大正三年、大阪市生まれ。日野草城に師事する。昭和四五年「草苑」を創刊主宰。句集に『月光抄』『女身』『晩春』など。平成一六年没。
  • ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ
  • クリスマス妻のかなしみいつしか持ち
  • やはらかき身を月光の中に容れ
  • ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜
  • ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
  • 窓の雪女体にて湯をあふれしむ
  • さくら散り水に遊べる指五本
  • ひとり臥てちちろと闇をおなじうす
  • 虫しげし四十とならば結城着む
  • 山超える山のかたちの夏帽子
  • 野遊びの着物のしめり老夫婦
  • 老人に石のつらなる秋祭
  • 鯛あまたゐる海の上盛装して
  • 母のせて舟萍(うきくさ)のなかへ入る
  • きさらぎをぬけて弥生へものの影
  • ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く
  • 地の底の燃ゆるを思へ去年今年
  • たてよこに富士伸びてゐる夏野かな
  • 冬麗や草に一本づつの影
  • 桶の底なまこに骨のない不安

波多野爽波(はたの・そうは)
大正一二年、東京都生まれ。祖父、波多野敬直はもと宮内大臣。京都帝国大学卒。「ホトトギス」同人、「青」創刊主宰。句集に『舗道の花』『骰子』など。平成三年没。
  • 鳥の巣に鳥が入つてゆくところ
  • 砂日傘さつきの犬がまた通る
  • 滝見えて滝見る人も見えてきし
  • 下るにはまだ早ければ秋の山
  • 冬空や猫塀づたひどこへもゆける
  • 地に円を描きある中に蜂とまる
  • 金魚玉とり落しなば舗道の道
  • 本あけしほどのまぶしさ花八つ手
  • 地下のバーにいて凍鶴といま遠し
  • 釣堀の四隅の水の疲れたる
  • 青柿の夜々太りつつ星は気儘
  • 吾を容れて羽ばたくごとし春の山
  • 炬燵出て歩いてゆけば嵐山
  • 探梅へ黒子も雀斑の人も
  • 天ぷらの海老の尾赤き冬の空
  • 雪うさぎ巫女二人仲睦まじく
  • 骰子の一の目赤し春の山
  • 大根買ふ輪切りにすると決めてをり
  • チューリップ花びら外れかけてをり
  • 寺にゐてががんぼとすぐ仲良しに
赤尾兜子(あかお・とうし)
大正一四年、兵庫県生まれ。大阪外語専門学校時代の同級に司馬遼太郎。戦後、京都大学在学中に「太陽系」同人。のち「渦」創刊主宰。句集『蛇』『虚像』。昭和五六年没。
  • 萩桔梗またまぼろしの行方かな
  • 青葡萄透きてし見ゆる別れかな
  • 年用意われには胸に隠す遺書
  • 霧の夜々石きりきりと錐(きり)を揉む
  • 音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢
  • ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥
  • 機関車の底まで月明(あきら)か 馬盥(うまたらい)
  • 帰り花鶴折るうちに折り殺す
  • 嬰児(えいじ)泣く雪中の鉄橋白く塗られ
  • 子の鼻血プールに交じり水となる
  • さしいれて手足つめたき花野かな
  • ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう
  • 狼のごとく消えにし昔かな
  • まなこ澄む男ひとりやいわし雲
  • 近海へ入り来る鮫よ神無月
  • 大雷雨鬱王と合ふあさの夢
  • 未知の発音尖る陸橋の白い茸(たけ)
  • 柿の木はみがかれすぎて山の国
  • 白い体操の折目正しく弱るキリン
  • 海胆(うに)割るに崩れたちまち痩せにけり

田中裕明(たなか・ひろあき)
昭和三四年、大阪市生まれ。京都大学工学部卒。波多野爽波に師事し、「青」同人。平成一二年「ゆう」創刊主宰。平成一六年、白血病により死去。四五歳。句集『先生からの手紙』ほか。
  • この橋は父が作りし?しぐれ
  • 大学も葵祭のきのふけふ
  • 沈丁花冥界ときに波の間に
  • 鉋(かんな)抱く村の童やさくらちる
  • 悉(ことごと)く全集にあり衣被
  • いちにちをあるきどほしの初桜
  • 朝刊に雪の匂ひす近江かな
  • 渚にて金澤のこと菊のこと
  • なんとなく街がむらさき春を待つ
  • 麦秋と思ふ食堂車にひとり
  • 春昼の壺盗人の酔ふてゐる
  • 母の耳父の耳よりあたたかき
  • 春昼の壺盗人の酔うてゐる
  • みづうみのみなとのなつのみじかけれ
  • 寒き夜や父母若く貧しかりし
  • 人の目にうつる自分や芝を焼く
  • をさなくて昼寝の国の人となる
  • 水遊びする子に先生から手紙
  • 日本語のはじめはいろはさくらちる
  • 空へゆく階段のなし稲の花

関西俳人選 (1)


以前、「俳句ラボ」で借り物句会をしたときに作った、関西俳人の秀句選です。

※ 借り物句会・・・自分の句ではなく、他人の句を使っておこなう句会のこと。「投句」に事前に選んだ他人の句を使う以外は、おおむね通常の互選句会と同じように選句、合評する。提唱者のひとり、千野帽子氏は「作らない句会」「スタンド句会」と名づけている。(cf.『俳句いきなり入門』NHK新書
個人の全句集やアンソロジーを参照しながら、関西ゆかりの作家の秀句20句を選んでいます。

当日は、一人につき2人ずつ、適当に配布し、手許の40句のなかから好きな句3句を投句してもらい、その後、選句・合評を行うことにしました。(選句では自分の投句した句は採らない。)

誰にどの作家が渡ったかはわからないようにしたので、自分好みの作家が来た人は20句から選ぶのも苦労しただろうし、好みでない作家は1句も選べなかっただろうと思います。

そのへんは、運です。
作家としては物故者に限定しました。スタンダードな人選のつもりですが、誓子、三鬼は有名句が多く句会向きでないと思って外しました。
とはいえ、腰を据えて誓子、三鬼を選んでみてもよかったかも知れません。


20句選くらいが、初見で選ぶには読みやすい適量だと思うのですが、やはりどうしても代表的な作品は入れておきたいとか、マニアックな句を何句入れられるかとか、選者の裁量が前面に出がち。

そうすると、せっかく紹介した先行作家のカラー(句風)がわからなくなるので、バランスは難しいところです。
私自身も準備不足で、結構前から何人かの句集を読んだりして準備していたのですが、人数を増やそうとしてアンソロジーなどに頼った作家も、ちらほら。
草城、静塔、信子あたりの作家は、
平井照敏『現代の俳句』(講談社現代文庫)に拠っています。

とはいえ、「今までしっかり読んだことのない先行作家の作品に触れる機会になった」と、おおむね好評な企画でした。
改良を検討つつ、またやってみたいと思います。



阿波野青畝(あわの・せいほ)
明治三二年、奈良県高市郡生まれ。高浜虚子に師事し、昭和四年「かつらぎ」を創刊主宰。句集は『万両』『国原』など多数。平成四年没。

  • 大阪の煙おそろし和布売
  • 案山子翁あち見こち見や芋嵐
  • さみだれのあまだればかり浮御堂
  • 葛城の山懐に寝釈迦かな
  • 来しかたを斯くもてらてら蛞蝓
  • 水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首
  • 牡丹百二百三百門一つ
  • 乱心のごとき真夏の蝶を見よ
  • 山又山山桜又山桜
  • 赤い羽根つけらるる待つ息とめて
  • イースターエッグ立ちしが二度と立たず
  • うごく大阪うごく大阪文化の日
  • 独り身の蓑虫ひとりこもりけり
  • 無より有出てくる空の牡丹雪
  • どつかれて木魚のをどる寝釈迦かな
  • 松茸は皇帝栗は近衛兵
  • 今日の月一挙手一投足に影
  • 球体の月を揚げたり甲子園
  • ペレストロイカペレストロイカ虫滋し
  • 息白しポイ捨て御免合点だ


橋本多佳子(はしもと・たかこ)
明治三二年、東京生まれ。杉田久女、山口誓子に師事、奈良日吉会館での俳句会により鍛錬。「天狼」創刊同人、「七曜」主宰。句集『紅絲』『命終』など。昭和三八年没。

  • 七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ
  • 母と子のトランプ狐啼く夜なり
  • 雪はげし抱かれて息のつまりしこと
  • 鶏しめる男に雪が殺到す
  • 蛇を見し眼もて弥勒を拝しけり
  • 万緑やおどろきやすき仔鹿ゐて
  • 乳母車夏の怒濤によこむきに
  • 南風つよし綱ひけよ張れ三角帆
  • 祭笛吹くとき男佳かりける
  • いなびかり北よりすれば北を見る
  • 星空へ店より林檎あふれをり
  • 月一輪凍湖一輪光りあふ
  • 踊りゆく踊りの指のさす方へ
  • ひと死して小説了る炉の胡桃
  • ねむたさの稚児の手ぬくし雪こんこん
  • 蝶蜂(ちようはち)の如雪渓に死なばと思ふ
  • 綿虫の浮游病院の屋根越せず
  • げんげ畑そこにも三鬼呼べば来る
  • 九月来箸をつかんでまた生きる
  • 山の子が独楽をつくるよ冬が来る


永田耕衣(ながた・こうい)
明治三三年、兵庫県加古川市生まれ。「天狼」「俳句評論」を経て「琴座」主宰。句集『加古』『驢鳴集』『殺佛』など多数。平成九年没。

  • フラスコに指がうつりて涅槃なり
  • 夢の世に葱を作りて寂しさよ
  • 恋猫の恋する猫で押し通す
  • かたつむりつるめば肉の食ひ入るや
  • 朝顔や百たび訪はば母死なむ
  • 母死ねば今着給へる冬着欲し
  • 野遊びの児等の一人が飛翔せり
  • 後ろにも髪脱け落つる山河かな
  • あんぱんを落して見るや夏の土
  • 泥鰌(どじよう)浮いて鯰も居るというて沈む
  • 野を穴と思い跳ぶ春純老人
  • 出歩けば即刻夢や秋の暮 
  • 淫乱や僧形となる魚のむれ
  • 少年や六十年後の春の如し
  • 大晩春泥ん泥泥どろ泥ん
  • 千九百年生れの珈琲冬の草
  • 春風や巨大放屁の物化はや
  • 白梅や天没地没虚空没
  • 人ごみに蝶の生るる彼岸かな
  • コーヒ店永遠に在り秋の雨


日野草城(ひの・そうじょう)
明治三四年、東京生まれ。京都帝国大学卒、大阪海上火災に就職。「ホトトギス」同人を除籍されたのち「旗艦」「青玄」を主宰。句集『花氷』『青芝』など。昭和三一年没。

  • ものの種にぎればいのちひしめける
  • 春の夜のわれをよろこび歩きけり
  • 丸善を出て暮れにけり春の泥
  • 春の灯や女は持たぬのどぼとけ
  • 春の夜や都踊はよういやさ
  • ところてん煙の如く沈み居り
  • くちびるに触れてつぶらやさくらんぼ
  • 朝寒や歯磨き匂ふ妻の口
  • 静けさや澄みが火となるおのづから
  • 足のうら二つそろへて昼寝かな
  • けふよりの妻と泊るや宵の春
  • うららかな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく
  • 湯あがりの素顔したしく春の昼
  • 山茶花や戦にやぶれたる国の
  • かたはらに鹿の来ているわらび餅
  • 切干やいのちの限り妻の恩
  • 柿を食ひをはるまでわれ幸福に
  • 高熱の鶴青空に漂へり
  • 夏布団ふはりとかかる骨の上
  • 生きるとは死なぬことにてつゆけしや


橋閒石(はし・かんせき)
明治三六年、金沢市生まれ。京都帝国大学英文科卒、神戸高商、親和女子大教授。「白燕」創刊。句集『朱明』『和栲』など。平成四年没。

  • 春の雷銀のフォークを床に落す
  • 露早き夜の鉛筆削りたて
  • 螻蛄(けら)の夜のどこかに深い穴がある
  • すいと来る夜をふかぶかと沈む椅子
  • 流水に口なまぐさく寄せて飲む
  • 水兵の氾濫日和レモン絞る
  • 蝶になる途中九億九光年
  • 席立って席ひとつ空く秋の暮
  • 合歓咲くや語りたきこと沖にあり
  • 萍(うきくさ)を咲かせて軽き昼夜かな
  • ひとつ食うてすべての柿を食い終わる
  • しばらくは風を疑うきりぎりす
  • 昼の木菟(みみずく)いずこに妻を忘れしや
  • 階段が無くて海鼠(なまこ)の日暮かな
  • 顔じゅうを蒲公英(たんぽぽ)にして笑うなり
  • 三枚におろされている薄暑(はくしよ)かな
  • たましいの暗がり峠雪ならん
  • 噴水にはらわたの無き明るさよ
  • 時間からこぼれていたり葱坊主
  • 銀河系のとある酒場のヒヤシンス


平畑静塔(ひらはた・せいとう)
明治三八年、和歌山県生まれ。本名富次郎。京都大学卒、医学博士。戦後「天狼」の論客として活躍し、俳人格説などを展開。句集『月下の俘虜』『栃木集』など。

  • 滝近く郵便局のありにけり
  • 徐々に徐々に月下の俘虜として進む
  • 葡萄垂れさがる如くに教へたし
  • 狂ひても母乳は白し蜂光る
  • わが仔猫神父の黒き裾に乗る
  • 鳩踏む地かたくすこやか聖五月
  • 老俥夫(しやふ)や酔はねばならぬ鹿の声
  • 春泥を来てこの安く豊かなめし
  • 山川の中に泳ぎの人間漬
  • もう何もするなと死出の薔薇(ばら)持たす
  • 稲を刈る夜はしらたまの女体にて
  • 青胡桃(あおくるみ)みちのくは樹でつながるよ
  • えむぼたん一つ怠けて茂吉の忌
  • 川ゆたか美女を落第せしめむか
  • 手にゲーテそして春山ひた登る
  • 細道は鬼より伝授葛(くず)の花
  • この世にて会ひし氷河に嗚呼(ああ)といふ
  • 命終(みようじゆう)や氷を舐(な)めてすぐ涙
  • 身半分かまくらに入れ今晩は
  • 雪国に雪ふるどうにもならぬこと


(続く)

2015年1月1日木曜日

敬寿歳旦


明けましておめでとうございます。

2015年未年。

今月、30歳になります。




俳句を始めたのが2001年の4月。
甲南高校二年生のころ、塩見恵介先生から第4回俳句甲子園に出場してみないか、と誘われたのがきっかけでした。

愛媛県内だけで開催されていた俳句甲子園が、前年から県外の参加校を招聘し、いよいよ本格的に全国大会となった、最初の年でした。
もちろん知名度はまったくなく、ルールも何も初めて。参加費は無料。宿泊・食事全て向こう持ち、という好条件で、当時の私たちは「夏のクラブ合宿のついでに参加してみるか」という程度でした。

「夏の道後温泉、えーやん」と。



それから。
ここまで付き合いが深くなるとは、思ってもみませんでした。

俳句甲子園も、ずいぶんと有名に。

俳句甲子園に対しては、いろいろなことを考えることが多く、現状に対して言いたいことはたくさんあるのですが昨年もちょっと書きましたが)、それでも私はやっぱり、俳句甲子園が好きですし、松山・俳句甲子園で俳句を始めたということを嬉しく思っています。何より、俳句を「楽しむ」ことを教えてくれたのは、俳句甲子園です。

私は、1985年の早生まれです。
上の学年には、神野紗希、西村麒麟、外山一機、小川楓子がいる。
同年生まれ・一学年下に、佐藤文香、山口優夢、そして谷雄介という俊才が揃っている。

同学年の作家には、江渡華子、西川火尖、藤田亜未がいるものの、知名度からいっても実力から言っても、狭間の学年と呼んでいいでしょう。(上田さんの力稿でも、扱いが小さい)力不足は、批評でなく自戒として、甘受せざるをえない。

同世代の作家たちが、俳句表現史のトップとして「今」を切り開きつつあること。
そのことは誇らしくもあり、嬉しくもあり、彼らの創り出す「今」を感じていたいと強く思う。
その一方で、圧倒されるようなプレッシャーもある。

私は、塩見恵介を師匠に持ったことで、いわゆる結社の師弟関係とは違った俳句の修練を積んできました。
「船団」に属してからも超結社での活動が好きで、時に自由律、川柳、連句と他ジャンルにも顔を出したり。多くは私のわがままな性格ゆえでしたが、結果的に、いろいろと面白いことに巡り会えたと思っています。

そして、これは根からの性質でしょうが、実作以上に「評論」「批評」に目配りしてしまうところがある。
外山氏のほか、青木亮人、関悦史、橋本直、小池正博、俳句史をふまえた諸氏が見ている俳句の「現在」に、大変興味がある。

表現史を更新するようなことはないかもしれないが、私なりの俳句を作り出すとすれば、そういう俳句の「広さ」を反映するような、それでいて無理せず、気楽に、楽しめるような。力まぬ前衛、とでもいうような、そんな句かも知れません。



俳句界で「若手」はいくつまでか、という議論があります。
「新人賞」の応募が50歳未満。
実質的に考えれば、角川『俳句』新年号の特集のように、またかつての『新撰21』がそうだったように、「40歳以下」あたりが、メドになるのでしょう。
とはいえ、30歳。

俳句甲子園出身であるがゆえ、高校生・大学生ら、後生畏るべし、の思いは人一倍です。
もはや、「若手」と言って気長に構えている年齢ではない。



今後とも、曾呂利亭雑記をよろしくお願いいたします。



亭主拝。


2014年12月31日水曜日

年納め


大晦日です。

今年は新しい仕事が増えたり、いろいろと雑事が増えたせいもあってblog更新が滞ってしまいました。
Twitterその他の媒体でちょろちょろ意見を出す機会があったということも原因としてありますが、一重に私の怠慢です。

これまでは大学院で「学生」という身分が長かったので比較的時間にも余裕がありましたが、これからは遅ればせながら「社会人」として、自分で時間を捻出していかなくちゃいけないのだなあ、と。
「俳句」は、飽きたらやめるつもりなのですが、まだ当分飽きそうにないし、飽きさせてもくれないらしい。
それならこちらも、やっぱり飽きない努力(工夫)をしながら、俳句をにぎやかに、楽しんでいきたい、と思います。

来年は、「俳句」関係でもいくつかお仕事をいただくことになりそうで、また報告できればと思いますけれども、どうぞ今後ともごひいきに。



で、Twitterで先日少しつぶやいた、「4S」ざっくり見取り図の話。



秋桜子/素十を対称的に見るのは俳句表現史上常識といっていいですが、誓子/青畝の対称も、調べてみたところ、すでに虚子が言っていたのですね。
不勉強でした。

阿波野青畝『万両』の序文(昭和六年三月)において、虚子は「ホトトギス俳壇」で活躍する新人として秋桜子、素十、誓子をあげたうえで誓子と青畝は「共に大阪に居を構へ、共に活躍を続けて居る点も相似て居る」と指摘しています。
青邨が「4S」と名づける以前に、虚子自身、ホトトギスを代表する作家として4人を認めていたのか、というのは、今回改めて読み直して知ったこと。

そのうえで虚子は、青畝の句を「既成の俳諧の天地に歩を留めようとするもの」、誓子の句を「キャムプを詠じ、デウスを詠じ、韃靼を詠じ、餓鬼を詠じ、甚だしきに至つては、宝塚のダンスホールを詠じて居る。而も亦その句の調子は、疎硬放漫なるかに見える」と述べています。(誓子の句にやや辛い感じがします)
一度誓子を去って青畝に帰ると、其処には誓子君の句は国境にある征虜の軍を見るが如き感じがするが、それが青畝君の句になると、俳諧王国の真中に安座して、神官行き、僧侶行き、貴人行き、野人行き、老も若きも共に行く縦横の街路井然として乱れず、而かも其、静なる水に影を映して、一塵をとゞめざる感じがする。青畝、誓子は吾が俳句界に於て面白き対立を為して居る。又相互に学ぶべき点もあると思ふ。
虚子「万両序」阿波野青畝『万両』(引用は角川書店、現代俳句大系より) 

晩年、青畝は「息白しポイ捨て御免合点だ」のような自在の境地に達し、「ペレストロイカペレストロイカ虫滋し」「綿虫を見て湾岸が憂かりけり」などのようなテレビ画面すらも「写生」するに至ります。
その自在さは、しかし誓子の「征虜の軍」が素材を拡張していったのとは全く違って、目に映るものを自然に詠み込んでいく感覚。

4Sそれぞれが長生の果てにたどり着いた境地は一語で語れるほど偏狭単純ではないものの、やはり秋桜子/素十、誓子/青畝の「4S」を極とする見取り図で、当時(大正末~昭和初期)の俳句表現を見通すことはある程度、可能なのだろうと思います。

というわけで、試験的に。




4Sに、その周辺にいた作家を数名加えてみました。

4S以前の大正主観派はあえて外していますが、配置するなら「抒情+根源」に蛇笏、鬼城。「根源+客観」に普羅、石鼎でしょうか。私自身、このあたりは勉強不足なのでわかりません。
写生といえば夜半、風生、草城らをどう配置するか。「客観+滑稽」でやや素十寄り、爽波の隣かなと思いますが、ホトトギス全体がそこに収まるとも思えません。

さらに悩ましいのは草田男。どう考えても、あの歪な、多層的世界を受け止める位置がよくわかりません。わからないまま外して、楸邨、波郷を番外に加えました。


異論はかなり多いと思いますので、コメント欄などで随時受け付けます。

いずれにしても、私は多色多様な、現代俳句の広さを愛好しています。
上図は、かえってその広さを限定してしまうかもしれませんが、図に収まらないことを実感することで広さを再認することもできるかも知れません。


本年はこれまで。
皆さま、良いお年越しをお迎え下さい。今後とも曾呂利亭雑記をご笑覧いただければ幸いです。


亭主拝

2014年12月27日土曜日

俳句Gathering

年の瀬のお忙しいなか、足元の悪いなか、ご来場くださった皆さま、ありがとうございました。
参加者名簿などを参照すると、当日は延べ50名ほどの方に参加していただいたようだ。
この数字はバトルに参加してくれた大学生俳人や審査員、登壇者をふくめた数なので純粋な入場者数ということでもないが、それでも有志イベントとしてはまずまずの入場数だと自負している。

本当にありがとうございました。

昨年まではアイドルを呼んだり、とにかく大きな「祭」を志向したものでした。それはそれで、得るものはあったと思いたいのですが、あまりにもこちらの準備が不足し、特に昨年度は、はっきり「失敗」してしまったと言っていい。
正直なところ、企画内容、予算、スタッフ、全ての面で、我々は不足していた。

今年は実行委員会のメンバーにも変更があった。趣向を変えて、できる範囲のイベントをめざして作ることにした。
代表をお願いした三木基史さんをはじめ、今年初めて関わったスタッフの皆さんは、短い準備期間でイベント趣旨を理解し、慣れない作業を十全にやってくれた。仮屋賢一氏、阿久津統子氏、堀田華絵氏、仲里栄樹氏、物販を引き受けてくれた羽田大祐氏。
また審査員の先生方にも、年末多忙のなか、長時間のイベントに力一杯ご協力いただいた。ただただ感謝である。



第一部は、6大学バトルの予選として「天狗俳諧」を行った。
準備不足でリハーサルをしていなかったため、最初はばたばたと手間取ってしまったが、後半はそれなりにうまくいったと思う。
ただ、案外出場選手たちが本気で対策してきたらしく、即興の面白さというより、チームワークで無難な作風に落ち着いてしまった、というのが正直な感想。
ゲームとして、あるいは予選試合としては、それなりにまとまってよかったが、俳諧のゲーム性という点ではいささか目的を逸した観がある。
天狗俳諧ルールや敗者救済の制度をふくめて、もう少し検討する必要がありそうだ。

第二部では、歌人の土岐友浩氏をお迎えし、中山奈々とともに短歌界の若手の活動についてうかがった。
短歌界では、この数年特に結社や総合誌のような既存の場にとどまらず、Twitter、文学フリマといった新しい「場」で同人誌や独自の企画を展開していく動きが活発だ。
当日は、土岐氏が中心となった同人誌「一角」「サンカク」や、そこから派生した「わたしの五島さん」コミカライズの話題、またTwitter上で短歌の読みに関する議論が盛り上がり「Twitterには謎の読み巧者がいる」という話題など、普段俳句界では聞けない内容が飛び交い、興味深かった。
ただ、客層としては日常的にTwitterに親しんでいる学生たちと、Twitter自体全然知らない中高年齢層とに分かれていたので、司会の不手際もあり問題意識の共有は難しかったかもしれない。反省点である。

第三部は、津川絵理子氏、小倉喜郎氏、曾根毅氏(三木氏から交代)の三氏を審査員に迎え、俳句甲子園形式のディベートを行った。
第三部に勝ち進んだのは、京大(1人は広島大学)、阪大、甲南、龍谷の4大学だったが、想像以上にディベートが活発であり、俳句甲子園の再現を見る思いだった。
しかし、逆に言うとそれは「高校生のディベート」のままだ、ということでもある。甲子園のディベートが、ある程度の完成度で公式のようなまとまりを見せている分、大学生としては別の方向性も模索してほしかったのだが、まだ難しかったようだ。
甲子園未経験の学生たちが、今後どのような批評力を発揮するかに期待したい。

当日投句大会では席題「雪だるま」で、多くの投句をいただき、小池康生氏、星野早苗氏、曾根毅氏によって選ばれた3句に景品が贈られた。
最優秀 雪だるま羽釜におこげ少しあり  平きみえ 佳作  おんなのこのゆきだるまはいるのかな  寺田心 佳作 だんだんと嘘を覚えて雪だるま   小鳥遊栄樹


主催の不手際から当日は時間が押し倒し、30分近い遅れとなってしまった。その後、学生が多かったこともあり近くの自治会館を借りて1時間程度のかるい打ち上げを行ったが、遅くなったにもかかわらず34名もの参加者があり、相互に交流の機会になったようだ。

イベントの成果については、また参加者などから意見を頂戴しながら検証していきたいと思っている。


イベントという方向で「裾野」を拡張しながら、一方で「俳句」に関わる人々は「深化」も目指さなくてはいけない。

どちらか、ではない。どちらも、だ。

それが私に可能かどうかはともかく、それに関わっていくような立場でありたいと強く願う。


年末になってから、ずんと重い手応えの句集をいくつも拝読。
  • 佐藤文香『君に目があり見開かれ』(港の人)
  • 岡田一実『境界-border-』(マルコボ.コム)
句集ではないけれど、
  • 『川柳ねじまき #1』


感想は、また折を見て。


※2014.12.28追記

2014年12月13日土曜日

プロムナード短歌2014


11/30、プロムナード短歌2014、参加してきました。

詳しいプログラムや内容は、いろいろな方のツイッターやブログなどでご確認ください。
いくつか興味深かった発言をとりあげ、ぽつぽつコメントしていくことにします。
なお、発言は当日の記憶に拠っているため、正確なものではないことをお断りしておきます。


第一部

島田修三(短歌)、佐藤文香(俳句)、なかはられいこ(川柳)の、クロスジャンルトーク。司会は荻原裕幸氏。

島田氏「俳句は映像的。川柳は批評的」

俳句は映像的。たいへんよく聞く言説ですね。
嘘ではないと思うが、しかし「映像的」だけでくくれるものでもないだろう。
それは「川柳=批評」という図式にも言えて、基調というかベースはそうかもしれない、けど。っていう。けど。

島田氏「俳句は序詞で、映像だけを詠む」「俳句の五七五に川柳をつけると短歌になる」

「俳句+川柳=短歌」は一瞬納得しますが、要するに「発句+平句」ですよね。違うかな?
先日の高橋睦郎氏による講演で出た
「五七五ですっぱり分かれるのが俳句。でも、と未練を残すのが短歌」
という補助線を引くと、わかりやすいかもしれない。「未練」という本音部分が「川柳」というとらえ方。これも、わかりやすくはあるけれど非常に図式的な説明といえる。

佐藤「俳句カードバトルは、こんなのも俳句だという句を入れている」「無記名で、誰の句かわからないものを、とりあえず鑑賞できるようになる」

佐藤氏は、最近石原ユキオ氏と考案したという「俳句カードバトル」について解説。うん、要するに「借り物句相撲」みたいなもんですね。私も実は似たようなことを考えていたので、先んじられたのと、共感と。

なかはら氏とともに、佐藤文香の立場は、俳句(川柳)の域を広げたい、広めたいという方向。したがって「最近の動向」について聞かれると、「俳壇」というヒエラルキーの外、または周辺で活動している、という答えになる。
一方で島田氏は、短歌の真ん中から俳句、川柳を見ている。そして「非常にインスパイアされ」、両方の良いところを取り込んで「短歌」にしてしまう。拡散していく方向と、周りを取り込んでしまう王道と。
パフォーマンスとして挑発されたところがあるのだろうが、議論としてはかなりベクトルが違ってしまったのは否めない。

その後、文香から俳句の句会と、川柳句会、短歌の歌会との違いについて言及があった。
あまり熟さなかったが、ジャンルの差違を際立たせるためには重要な視点だったと思う。
これは、後半の「作者と虚構」問題にも関わるので、後述する。

番外編ながら、なかはられいこ氏のblogより当日の感想を引いておく。

わたしが出たのは第一部ですが、レジュメつくるときから、なぜかジャンル論になるとはあんまり思ってなくて、途中で、あ、そうか。と思ったわけです。・・・・・・でも、なんとなく、いまさら感があったのは事実で、巷間認識されている川柳と、わたしやわたしの周りのひとたちがいま、書いている川柳の違いっていうのは、「あの場」では共有されているものだと、なぜか思い込んでいて、そう思い込んでしまったのはわたしがラエティティアという文芸メーリングリスト(加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸の3人が立ち上げた)の記憶をひきずっていて、しかも荻原さんが司会という状況もあって、場というものを読み違えていたからかもしれません。 
・・・まさに、イベントというのは生きものだなあと思います。


第二部。
「ニューウェーブ三羽烏」、加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸、そろい踏み。司会は斉藤斎藤氏。

話題は、短歌研究新人賞を受賞し石井僚一の作品が、父の死を悼む挽歌という体裁をとりながら実際にはフィクションだったということをきっかけに、「虚構」に関するもの。

シンポジウムというよりは、3人がそれぞれ「現在の短歌」にどう向き合っているか、という自分の立場について表明しあった場、という感じだった。
それぞれの発言はきわめて誠実でもあり興味深くもあったが、クロスして議論が深まる、という方向にはいかなかったのは、見ていてもどかしい気がした。

穂村氏は、自身が震災の翌年に鈴木博太「ハッピーアイランド」を短歌研究新人賞に推した(2012年)ことをあげ、「この作者が福島の人であってくれ。鹿児島の人であってはいけない」と祈っていたことを告白した。
そのとき、自分はこれまで、作者と作品とを切り離し、短歌の虚構性を重視した塚本邦雄を信じてきたが、「塚本を裏切っている」ことに気づき、衝撃をうけたという。

穂村氏はそのうえで、虚構かどうかを読者が見抜けるかどうかは、結局は作品の「文体」に拠っており、石井氏の作品はどう見ても「リアリズムの文体」であった、と指摘。
そのうえで、今後彼がどのような作品を発表するかわからないが、「短歌を続けるためには短歌のルールと契約したうえで、どのような文体を選択するかが今後問われてくる」といった趣旨の発言をしていた。

震災詠ということだと、ちょうど俳句のほうでも永瀬十吾氏が俳句賞を受賞しており、それについて週刊俳句誌上に否定的発言を公開されたことも記憶に新しい。

また、当blogの過去記事を探ったところ、御中虫氏の代表作「おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ」が「作者が車椅子使用者か、近親者にいるならよいが・・・」という的外れな評をうけたことについて、言及していた。議論の方向性が違うのでここでひくのは混乱を招くが、ついでにご参照くだされば幸いである。


加藤氏は、前衛短歌の盛行のあと短歌の流れが「「私」に回帰し、一人称の文芸という部分に生命線を見いだした」という見立てを披露。
そのうえで、短歌に虚構を持ち込むことの是非だけではなく、短歌の虚構性についての情報が(作品、文体からではなく)作者からの情報開示によって区別(差別?)されてしまうことへの違和感を強調した。
石井氏の場合、①作者の情報を知らないで選考した選考委員、②授賞式で作者の虚構を知った参加者、③ツイッター等で作者について知った読者、の3種類がいた。
また受賞コメントでは明らかにされていなかったにも関わらず、北海道新聞のインタビューで虚構性が明らかになった、など(加藤氏ら短歌関係者にとっては)ルールを外れていると思われる段階的な情報開示の差別があったことを指摘した。

たしかに基本的には、作品にふれるときには読者が平等に情報を共有できる、ことが望ましいだろう。
が、それはあくまで理念的なものであり、実際には読者が手に入れられる情報には、読者自身の環境や志向によって常に差がある。
今回は、一部の関係者や研究者だけが知っている情報だったとかいうことではなく、地元新聞を通じてのみ作者の虚構がわかった、ということで「差」が見えてしまったことが特異だった。しかし本質的にはあまり大きな違いは感じられない。

ここで、先の句会と歌会の違いから、「無名性」という問題を考えてみよう。

俳句、川柳の句会は、基本的に無名性を担保する。
俳句は、選句と合評(または選評)の割合が大きい。無記名の他人の句を筆写し、味わい、選び、なぜ選んだか、選んだ選者の「評」を語り、また聞くことが重要である。
これは、互選方式でも主宰単独選方式でも、基本的には変わらない。

川柳は、多数の句のなかから一人の選者が、大量に選ぶ。選ばれた(抜かれた)句の作者は、その場で名乗りをあげ、その名乗りに独特の個性が出たりする。選評は、基本的にしない。おそらく、一読明快であることが川柳の前提であり、どの句を評価したかという選者の切り口、センスが勝負なので、くどくどと評する必要を認めないのであろう。
『バックストローク』からの流れをくむ『川柳カード』など、鑑賞・選評に力を入れているところもあるが、それでもやはり俳句よりは選評にかける情熱は薄いといえよう。

句会は、無名性を担保したところで「作品」についてやりとり可能な場である。
しかし、句会という場から降りたところで作品と向き合うとき、そこにはおのずから記名の「作者」がつきまとう。それはどのジャンルでも変わらない近代的な自我の桎梏、もっと露骨に言えば「著作権の所有者」とでもいうようなものであり、作者情報によって作品の価値が左右されることも、やはり仕方ないことではないだろうか。
壇上では、「老人は死んでください国のため」という句が話題になった。この句の作者を70代と考えるのと、30代の作者と考えるのでは、句の意味が変わってしまうだろうという。座を共有しない、出版ベースの世の中であれば作者情報の多少に差が出るのは当然であり、そのなかで読みの可動域が変化することは、それは、むしろ肯定的に評価すべきではないのか。

短歌はどうか。
第一部で島田氏は、歌会はむしろ一首を決めて批評しあうものであり、作者を隠した状態から選んだり、合評したりするものではない。ゲーム的な歌会はあまりしたことがない、とまで言い切っていた。
司会の荻原氏によれば、実際には名前を隠した状態での歌会で島田氏とやりあった経験もあるそうで、パフォーマンスというかリップサービスというか、相当の誇張があるようだが、それでも無名性のゲーム要素を排除したところに「短歌」を立ち上げようとする傾向があるようだ。


第二部において、荻原氏は終始一歩退いた風に見えた。
しかし、口語の文体が極限まで浸透したことで、これまで短歌が培ってきた文体上の「リアル」と「虚構」の境が不分明になっている、その混沌は「おもしろいことが起きると思うが、現時点でいいかわるいかわからない」「かなり変なことが起きている」という判断は、きわめて誠実だし、おもしろいとも思った。


総じて、「私」を重視しながら、口語・等身大の詩性を推し進めてきた「短歌」に対して、「私」を消すというスローガンを掲げ(客観写生)、文語旧かながいまだ多数派をしめる「俳句」は、随所に違いがあり、軽々に比較できることではないと思う。
しかし、同時代の定型詩表現としての「短歌」は、「前衛」や「私」を経て、「口語」に対してもゆたかな批評文化をはぐくんでいる。
そのことは、ただ素直にうらやましく思う。


※2014.12.14、斉藤斎藤氏の表記訂正。12.27、加筆訂正。

参考.
うたぐらし(大木はちさんのblog)