2015年1月11日日曜日

資料逍遙



東京へ遊びに調査に行ってきました。

某所より依頼された原稿〆切が迫っているので、国会図書館と俳句文学館へ。

普段はあまり感じませんが、「東京はいいなあ」と思うのは、こういう研究環境。
関西でも、いろいろ組み合わせれば手に入るのかもしれませんが、やはり「ここへ行けば必ずわかる」という研究機関が、交通の便のいいところにあるのがすばらしい。
短い時間で、たくさんの資料を実際に手に取り、調べることができる。

東京の俳人は、だから地方の俳人に比べて圧倒的に有利であることを自覚して、もっともっとこういう施設を使っていろんな本を読めばいいのです。うらやまけしからん。

関西にも詩歌の雑誌、図書をまとめた資料館があればと切実に思うのですが、俳句でいうと虚子記念文学館柿衞文庫神戸大学誓子記念館など、いくつかの機関に分かれていて、しかもOPAC(蔵書検索)や資料カードが未完成なのでよくわからない。国会図書館関西館とかも、すごく行きにくい。
また、それぞれ受け入れ体制が整っていないため今後、寄贈などを受けて充実させていくのか、などの方針も定かでない。
結果として、なにか俳句に関して調べ物をしたい人がいても、どこへ行って何を調べればいいのか、よくわからないのが実態です。
まあ、大学図書館か地域の中央図書館でも有名な総合誌(『俳句』『俳句研究』など)や、地域の老舗同人誌などは置いている可能性があるので、地道に探していくしかないのでしょう。

もちろん、それを逆手にとって各地の俳人が自分の地域の作家を掘りおこす努力などを続けると、俳句研究の視野も飛躍的に拓けていくだろうと思いますが、誰もそんな地味な仕事には興味がない、というのが現実。

ちなみに、私の住んでいる神戸市の図書館では、西東三鬼、永田耕衣、橋かん石、後藤夜半、赤尾兜子、山田弘子、時実新子ら地元ゆかりの作家以外にも、水原秋桜子、日野草城、角川源義、三橋敏雄、渡邉白泉、佐藤鬼房、飯島晴子らの全句集を読むことができるようです。


ところで、俳句文学館でホトトギスの古い号(大正12年ごろ)を見ていて、ちょっと笑ってしまったのがこちら。


曰く。
ホトトギス愛読者各位、今日又は将来に  船舶或いは積荷の海上保険 汽車積貨物の運送保険 家屋家具又は商品の火災保険を要せらるゝ機会がありましたらば何卒大阪海上火災保険会社に御下命を願ひます。この会社は本誌愛読者の一人なる大阪の浅井啼魚(義晭)が専務取締役として経営の局に当つてゐる資本金一千万円(積立金六百万円)の堅実なる保険会社であります。御用の節は御便宜下記本支店の内へ御一報を願ひます。 尚其節には「ホトトギスの広告によつて」と一言御申添を希望致します。

面白いのは、「本誌愛読者の一人なる浅井啼魚」という一言により、信頼を保とうとしていること。
ホトトギス仲間だから信頼できますよ、みたいな。
実際にはこのあと関東大震災が発生、啼魚は火災保険支払問題で社と対立して辞めてしまいますから、広告に従って保険を申し込んだ人がよかったか悪かったかわかりませんが。

俳句を縁にした保険会社の広告、というのは、一方でとてもしたたかで俗な感じですが、いまの、結社広告に埋め尽くされた総合誌とは違う、開かれたというか、風通しのいい感じもあります。

当時、非常に多くの財界人が俳句を愛好し、ホトトギス系の作家の多くがそれぞれの句会で指導役を担っていました。
社内では重んじられていない、どちらかというと窓際の人が、句会では社長、会長相手に添削している、みたいな。
大正末年といえば、ホトトギスでは鬼城、蛇笏、石鼎、普羅らがまだ第一線におり、草城、秋桜子、誓子らが姿を現しはじめたころ。
一方では俳句史上に稀な表現の高まりがあり、一方では社会人、企業人として成功している人たちがこぞって俳句を楽しみ、誌面を賑わせていた時代。
それは決して無関係なのではなく、おそらく総帥・虚子の戦略のなかで一致していたはず。
時代は大正デモクラシーの時代を終え、震災の打撃から暗く厳しい時代へ入っていきますが、俳句と、俳句をめぐる状況が、ある種の幸福な関係を築いていた時代のひとつの証拠と言っていいかもしれません。



そういえば、「最近の週俳、俳句にかまけすぎてるんじゃないですかね」という発言があって(参照)、なるほどなあと思ったものです。
私自身は、音楽もスポーツもあまり興味がないうえ、俳句の硬派な記事を読むのが結構好きなので、正直「週俳」で俳句以外の記事、そんなに読みません。そして、多くの俳人もやっぱり俳句が好きらしくて、放っておくと俳句ばかりになりがちです。
とはいえ、やはり俳句雑誌が俳句しか載せないという偏狭なことだから、俳句が先細りになるのだろう、とも思うのですね。

自分が「船団」にいるから特に思うのかな、と思っていたのです。(たとえば「船団」ブックレビューは、明らかに俳句以外の本の紹介のほうがおもしろい)
しかし、そういうわけでもないらしい。

俳句の人が読もうが読むまいが、一方では俳句以外の人へ向けた記事も載せておく。
そういう度量も、あるいは雑誌には必要なのかも知れません。



というようなことを思いつつ、俳句文学館の帰りに、駅前の赤ちょうちんで松本てふこさん、西村麒麟さんと小宴。
『俳句』1月号を肴に、ここでは書けない?ような、「あーだこーだ」を。

やっぱり俳句の話してるほうが好きなんですよねえ。


0 件のコメント:

コメントを投稿