2015年1月1日木曜日

敬寿歳旦


明けましておめでとうございます。

2015年未年。

今月、30歳になります。




俳句を始めたのが2001年の4月。
甲南高校二年生のころ、塩見恵介先生から第4回俳句甲子園に出場してみないか、と誘われたのがきっかけでした。

愛媛県内だけで開催されていた俳句甲子園が、前年から県外の参加校を招聘し、いよいよ本格的に全国大会となった、最初の年でした。
もちろん知名度はまったくなく、ルールも何も初めて。参加費は無料。宿泊・食事全て向こう持ち、という好条件で、当時の私たちは「夏のクラブ合宿のついでに参加してみるか」という程度でした。

「夏の道後温泉、えーやん」と。



それから。
ここまで付き合いが深くなるとは、思ってもみませんでした。

俳句甲子園も、ずいぶんと有名に。

俳句甲子園に対しては、いろいろなことを考えることが多く、現状に対して言いたいことはたくさんあるのですが昨年もちょっと書きましたが)、それでも私はやっぱり、俳句甲子園が好きですし、松山・俳句甲子園で俳句を始めたということを嬉しく思っています。何より、俳句を「楽しむ」ことを教えてくれたのは、俳句甲子園です。

私は、1985年の早生まれです。
上の学年には、神野紗希、西村麒麟、外山一機、小川楓子がいる。
同年生まれ・一学年下に、佐藤文香、山口優夢、そして谷雄介という俊才が揃っている。

同学年の作家には、江渡華子、西川火尖、藤田亜未がいるものの、知名度からいっても実力から言っても、狭間の学年と呼んでいいでしょう。(上田さんの力稿でも、扱いが小さい)力不足は、批評でなく自戒として、甘受せざるをえない。

同世代の作家たちが、俳句表現史のトップとして「今」を切り開きつつあること。
そのことは誇らしくもあり、嬉しくもあり、彼らの創り出す「今」を感じていたいと強く思う。
その一方で、圧倒されるようなプレッシャーもある。

私は、塩見恵介を師匠に持ったことで、いわゆる結社の師弟関係とは違った俳句の修練を積んできました。
「船団」に属してからも超結社での活動が好きで、時に自由律、川柳、連句と他ジャンルにも顔を出したり。多くは私のわがままな性格ゆえでしたが、結果的に、いろいろと面白いことに巡り会えたと思っています。

そして、これは根からの性質でしょうが、実作以上に「評論」「批評」に目配りしてしまうところがある。
外山氏のほか、青木亮人、関悦史、橋本直、小池正博、俳句史をふまえた諸氏が見ている俳句の「現在」に、大変興味がある。

表現史を更新するようなことはないかもしれないが、私なりの俳句を作り出すとすれば、そういう俳句の「広さ」を反映するような、それでいて無理せず、気楽に、楽しめるような。力まぬ前衛、とでもいうような、そんな句かも知れません。



俳句界で「若手」はいくつまでか、という議論があります。
「新人賞」の応募が50歳未満。
実質的に考えれば、角川『俳句』新年号の特集のように、またかつての『新撰21』がそうだったように、「40歳以下」あたりが、メドになるのでしょう。
とはいえ、30歳。

俳句甲子園出身であるがゆえ、高校生・大学生ら、後生畏るべし、の思いは人一倍です。
もはや、「若手」と言って気長に構えている年齢ではない。



今後とも、曾呂利亭雑記をよろしくお願いいたします。



亭主拝。


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