2015年3月11日水曜日

THE BLUEHEARTS賛


THE BLUEHEARTSが好きだ。

校歌斉唱やバースディソングの合唱さえ躊躇う、自他の認める「絶対音痴」で、古典はもちろん洋楽にもJ-POPにもほぼ関心のない私が、THE BLUEHEARTSのアルバムCDだけはすべて購入している。
ほかに聞くのはHIGHーLOWSとクロマニヨンズくらいだから、文字通り偏愛である。


THE BLUEHEARTSの結成は私の生まれた1985年。
解散は10年後で、「リンダ・リンダ」や「TRAIN TRAIN」「情熱の薔薇」など全盛期の曲を聞く機会もあったはずだが、記憶がない。

私がはじめて彼らを認識したのは中学校に入ってから。
入部した文芸部の部室で、なぜか毎日大音量でかかっていたのが「THE BLUEHEARTS SUPER BEST」だった。
ハンマーが降りおろされる 僕たちの頭の上に 
ハンマーが降りおろされる 世界中至るところで
私の母校は中高一貫で、当時文芸部には高校生の先輩が数名所属しているだけだった。
そのうちひとりが趣味でバンドもしているロック好きで、CDはその先輩が持ち込んでいたのだった。

はじめ騒音にしか聞こえなかったものが、やがて歌詞に惹かれて口ずさむようになり、貸借してから購入に至るまでは長くかからなかった。
トゥー・トゥー・トゥー・・・・・・ 
どこまで行くの 僕達今夜このままずっと 
ここにいるのかはちきれそうだ 飛び出しそうだ 
生きているのが すばらしすぎる

生きるということに命をかけてみたい 
世界がはじまる前 人はケダモノだった
音楽といえばアニメのOP、EDくらいしか聞かなかった思春期の文系オタクに、彼らの歌はまず生命賛歌として響いた。
すべての僕のような ロクデナシのために この星はぐるぐると回る
THE BLUEHEARTSが、いわゆる「不良少年」たち(cf.「ろくでなしBLUES」「クローズ外伝 リンダリンダ」)から、コミュ障文化系(Cf.伊集院光穂村弘)にいたるまで幅広く熱烈に支持されているのは、彼らがマイノリティの立場をやや自虐的に、しかし力強く肯定したことに由来しよう。
自らを「ロクデナシ」と規定し、マイノリティとしての「生」と「愛」を歌うBLUEHEARTSは、多くのジャンルに普遍の青春の鬱屈を、独特の形で表現した。

折しも神戸連続殺傷事件など少年犯罪に関する報道が過熱であった。

少年の声は風に消されても ラララ間違っちゃいない 
そしてナイフを持って立ってた そしてナイフを持って立ってた
BLUEHEARTSの歌は事件よりはるか前に作られたものだったけれど、その鬱屈は確かに共有されたのである。
見えない自由が欲しくて 見えない銃を撃ちまくる 
 「TRAIN TRAIN」
70年代の「政治の季節」はすでに遠く、バブルの狂騒から、すでに崩落が起きつつあった。

THE BLUEHEARTSが歌いあげたのは、これから何にでもなれる若さのすばらしさと、現実には何も持っていない、何をするにも無力な、若者の切ない悲鳴であった。

僕らは泣くために生まれたわけじゃないよ 

チェルノブイリには行きたくねぇ 
あの娘とKissをしたいだけ 
こんなにチッポケな惑星の上
「チェルノブイリ」

彼らは、さまざまな矛盾と不幸のあふれた現実社会に対して、何もできない、なしていない自分の弱さと、それでも好きな人と過ごしたい、好きな音楽を聴いていたい、自分たちの素直で等身大の欲望を、くり返し歌った。
あれもしたい これもしたい もっとしたい もっともっとしたい
愛することだけ考えて それでも誰かを傷つける 
そんなあなたが大好きだ そんな友達がほしかった
                      「ながれもの」 
何も持たず、何もなしえていない自分自身の欲望を、それでも肯定し歌いあげたBLUEHEARTSは、だからこそ他人の欲望にも寛容であろうとした。
お互いの欲望を認める優しさ、それを彼らは、「愛」と呼んだ。
生きているっていうことは カッコ悪いかもしれない 
死んでしまうということは とってもみじめなものだろう 
だから親愛なる人よ そのあいだにほんの少し 
人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ 
「チェインギャング」

それは、安易なラヴソングが使うerosではなく、限りなくagapeに近いものではなかったか。現実では難しい、そんな「人にやさしい」世界を夢見るから、BLUE HEARTSの歌は青く、美しく、また、切ない。


それはまさに、「青春」と呼ばれる刹那がもつ、はかなくも美しい切なさであったろう。

 カンバスの余白八月十五日  神野紗希

 
 ヒヤシンス幸せがどうしても要る  福田若之


THE BLUEHEARTSは当時、「社会派バンド」と呼ばれ、時事的なメッセージ性の強い作風で知られた。しばしば彼らは、Rockでありながら、いやだからこそ、「良識」を歌うことを期待されつつあった。


私がBLUEHEARTSにハマったのは彼らが解散した後だったから当時のことはよくわからない。

しかし、次第に彼らはそうしたレッテルを重荷に感じていたのかもしれない。
どっかの坊主が 親のスネかじりながら 
どっかの坊主が 原発はいらねえってよ 
どうやらそれが 新しいはやりなんだな 
明日はいったい 何がはやるんだろう 


永遠なのか 本当か 時の流れは続くのか 
いつまでたっても変わらない そんなものあるだろうか

かつて「少年の詩」を歌った彼らも、大人になった。

変わらず、「大人」たちを批判しつづける選択肢もあっただろう。

しかし彼らは、鮮やかに、軽やかに変化していった。
彼らはより自由に、ストレートに、Rockを歌い始めたのである。

それは、次のステップ、すなわち、THE BLUEHEARTSからTHE HIGH-LOWSへ変化する、準備段階でもあった。

2015年2月24日火曜日

俳壇史を読む

 
俳句をやっていると、俳句が好きなのか、俳句を通した人づきあいが好きなのかわからなくなる、ということは、誰しも多少思い当たるのではないか。

そのくらい、俳句をやっている人たちとの付き合いは面白いし、日常、ただ当たり前に仕事しているだけでは出会えない、俳縁というのか奇縁に恵まれることも多い。
だから俳人同士の交流録は、俳句史的な関心を除いてもたいへん面白いものだ。

最近では、週刊俳句に発表された今井聖氏の「奇人怪人俳人」シリーズが面白かった。こういう、生の作家評というか、実際出会った人たちの思い出をつづる俳人評は、自伝的要素もふくめて俳壇史の貴重な記録でろう。

先日参加したばかりの宇多喜代子氏、青木亮人氏による対談「昭和俳句の旗手Ⅰ」でも話題になっていたように、活字で記録された作品、とおり一遍の俳壇史では読み取れない、生の情報、こぼれ話こそ、その作家の思考や人間性、また折々にくだした決断の背景を知ることにつながる。

宇多さんが阿波野青畝を訪ねたとき、
「あんたは桂さんとこの子やな。桂さんは日野草城くんのとこの子やな。草城くんは、僕の大切な友だちや」
と言って、茶菓子にカステラを二きれもくれた、という話。

日野草城がハンサムだったことは有名だが、宇多さんが写真の草城に似た人を見つけて桂信子さんに伝えたところ
「あんなゲタみたいな顔じゃない」
と言下に否定されてしまった、そのくらい桂信子によって草城はすてきな人だったという話。

あるいはさらに、新興俳句の最終走者のひとりともいえる宇多喜代子が、
「今は歳をとって元気がなくなってきた。無季俳句は気力がいる。今は季語におすがりしないと一句ができない(笑)」
と冗談交じりに語ったこと。

それらは作品にのみ向き合う「作品論」とはまた違う「作家論」の関心であり、また俳句というジャンルを形成してきた人間への興味関心である。



西東三鬼「俳愚伝」は、読み物としての俳人録では別格の傑作で、俳句史というより戦後文学史のなかに異彩を放っている。
三鬼の文才は「神戸」「続神戸」で発揮されたとおりである。戦後混乱期の神戸に、多様な国籍、性別、職種の人たちとごっちゃになっておくる混沌無頼生活を、醒めた筆致で描写する文体は、デカダンともコスモポリタンとも評され、評価が高い。
「俳愚伝」はさらに、三鬼の俳句遍歴をつづったもので、投句時代から戦中の俳句弾圧、投獄、そして戦後の新俳句人連盟の設立から決裂へ至るまでが淡々と書かれている。

これらは『冬の桃』としてまとめられ、ドラマ化もされた(NHKアーカイブス ドラマ人間模様 冬の桃)。講談社文芸文庫にも収められている。


それより俳壇史的な関心を満足させてくれるのは、水原秋桜子『高濱虚子』だろうか。
秋桜子による俳句との出会い、素十やほかのホトトギス作家たちとの友情、なにより虚子への尊敬と、「「自然の真」と「文芸上の真」」を発表して訣別にいたった過程がつづられ、なかなか感動的である。
すでに古典的とさえ言える名著で、むろん自伝がそのまま「真実」であるはずもないが、現代俳句史を理解するうえで避けて通れない。

自伝でいうと金子兜太にも『わが戦後俳句史』(岩波新書)がある。
兜太氏の自分語りは他にも多いが、比較的はやい段階で書かれたので青春期が詳しく、いま読んでも面白い。
私ごとながら、兜太が日銀神戸支店に赴任時代、三鬼や六林男、堀葦男ら関西俳人と交わって毎晩遅くまで語り明かした、というその日銀寮や、長男が通ったという本山幼稚園は、まさに私の家のすぐ近所にあり、読むたびなんだか奇妙な感じがする。


この半年ほど浅井啼魚について調べていて参考になったのは、大橋桜坡子『大阪の大正俳壇』である。桜坡子による「大阪俳壇回顧」という連載を、大阪俳句史研究会がまとめて一冊としたもので、大きな図書館か、古本屋で手に入るようだ。
大橋桜坡子は、現在ではさほど知られた名ではなくなっているが、虚子直門の作家として、関西の重要人物だった。
大正初年に俳壇に復帰した虚子=ホトトギス派だが、いわゆる大正主観派とよばれたホトトギス初期の有力作家(鬼城、蛇笏、石鼎、水巴、普羅)が関東方面で活躍していたこともあり、関西では勢力が小さかったようだ。
当時は青木月斗、松瀬青々といった子規時代の作家も多く残っており、ホトトギス作家は丹波の西山泊雲、京都で学習塾をひらいた野村泊月の兄弟、それに当時関西で療養中だった島村元がいるくらいだった。
大橋桜坡子は泊月を擁して淀川俳句会などで活躍、関西におけるホトトギス派の一大拠点となった「山茶花」創刊にかかわることになるのだが、その前後の経緯も微妙、複雑で、それが当事者の目を通して的確、かつ、繊細に描写されているところが読ませる。
俳壇史の大きな流れではないものの、草城、誓子、青畝らを生み出した「関西俳壇」黎明期を語る書として貴重なものであろう。

そのほか、今回読んで面白かったのは皆吉爽雨『山茶花物語』
あまり所蔵もなく古書でしか流通がないと思われるが、同じく関西の「山茶花」に集った作家のなかで比較的若年だった皆吉爽雨が、晩年『雪解』に連載したものである。

「山茶花」というのは奇妙な雑誌で、「ホトトギスの関西探題」(三村純也「下村非文」『大阪の俳人たち4』)とも評される、ホトトギス内の総合誌的な位置づけの雑誌だったようだ。
もともと野村泊月を雑詠選者として創刊されたが、のち泊月が主宰誌をもつことになり選者を退任。大橋桜坡子、皆吉爽雨、田村木国、中村若沙の四人選者制で継承され、さらに戦後、木国が主宰誌として名称を引き継ぎ、下村非文、石倉啓補を経て現在三村純也氏に継承されている。

その「山茶花」の、創刊や選者交代の経緯について、爽雨は訥々とした美文で追憶していく。どこか夢見心地な文体で折々に活躍した作家の横顔が綴られ、魅力的である。

ところが、「大阪俳句史研究会」の成果によれば、この本はずいぶん問題のある本のようだ。『俳句史研究』20号(2013)所載の「対談「俳句史研究会」創設の頃」に、次のようなくだりがある。宇多喜代子、坪内稔典の対談に、会場の三村純也氏が参戦している部分。
三村 あれ(引用者注、『山茶花物語』)は、かなり・・・・・・ 
宇多 そう。それで、それを苦言を言ったんだって。「山茶花」の・・・誰だろう。 
三村 大橋宵火さんが。 
宇多 うん。宵火さんが。苦情を言ったら、「だから物語としております」と言われたんです。物語というんだから、「山茶花」に関することも物語風で。(中略) 
三村 青畝先生はね、「山茶花」というのは、泊月のお宅のトイレのところにサザンカが植わっていたから「山茶花」という名前にしたんですって。 
宇多 うんうん。 
三村 それが、青畝先生は赤い山茶花だったとお書きになっているのね。『山茶花物語』には、「真っ白な(爆笑)美しいサザンカが植わっていた」と。どうせ植わっていたところ、便所の前やないかと思うんやけどね。



語りは、増幅する。

当事者といっても、その語りは語るうちに物語化し、定型化し、いつか記憶も変化する。
そのことをふまえて、事実を確定していくことは、これは後世の役割であろう。
しかしそれでもなお、当事者の生の語りは貴重であり、またおもしろい。

『現代詩手帖』2月号掲載の、吉田隼人氏による短歌時評において、吉田氏が『茂吉の体臭』(斎藤茂太)にならって塚本青史『わが父 塚本邦雄』(白水社、2015)をとりあげた言い回しにそって言えば、まさしく「作家の体臭」を伝えることこそ、「俳句史」のもうひとつの役割であろう。



戦後作家の「体臭」にまで肉薄する、宇多喜代子×青木亮人の対談「戦後俳句の旗手Ⅱ」は今週土曜13:30~。伊丹柿衞文庫にて。

柿衞文庫開館30周年 俳句資料室開室7周年記念 昭和俳句の旗手 日野草城と山口誓子



追記、参考記事
週刊俳句 Haiku Weekly: 俳句甲子園と僕 山口優夢

山口氏のはきれいに纏めすぎで、学問的にはだいたい自己神話化を疑われる体のものだが、・・・
ウラハイ = 裏「週刊俳句」: ●主体は変容するのか 1/2 橋本直


2015年2月8日日曜日

「キャラ」


当blogでは、私と同世代の作家たちを「パフォーマンス」という評語で論じている。

それについてのまとめは、この一年くらい密かに準備中なのであるが、あまり長引くと時宜を逸する危険もあるので考えものだが、発表媒体を含めて温めているところである。



さて、私に「パフォーマンス世代」と呼んでいる作家の中心的存在である高柳克弘ら数名に対し、上田信治氏は「キャラ」俳句、という見方をしている。

「澤」7月号での対談で、筆者(上田)は、髙柳ほか数人の作品を指して「キャラ」俳句というようなことを言いました(その通りの語は使っていませんが)。



ここで少し考えてみたいのは、「キャラ」「キャラクター」とは何か、ということである。

伊藤剛は「キャラ」と「キャラクター」とを別の概念として定義している。伊藤の議論を乱暴にまとめれば、「キャラクター character」は人間の内面、性格をあらわす本来的用語、「キャラ」はマンガ・アニメーションなどの虚構作品において記号的に仮構された内面をさす用語であり、「キャラ」は特定の物語文脈を超えて成立する、という。(伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』星海社新書2014。初出はNTT出版、2005


こうした「キャラクター/キャラ」論に対して、大橋崇行は、文芸批評の研究史をふまえて、そもそも仮構された「キャラクター」と「キャラ」とを区分することが無意味であると批判する。そして、仮構されたものというならばすべての物語の登場人物が「キャラクター」と呼びうるが、何がリアリティを感じる「キャラクター」で、何がよく書けた小説的登場人物か、という区分が恣意的になる危険性を指摘している。
(以下引用、下線部引用者)

それでは、たとえばひとつの小説に用いられた作中人物が非常に特徴的であるために、さまざまな作品、メディアを横断して、同じ登場人物として扱われ得る状態を<キャラクター>としたらどうだろうか。これを仮に<キャラクター>として考えるのであれば、<キャラクター>の歴史は際限なく溯ることができそうだ。(中略)このように考えた場合、作中人物がキャラクターとして把握されるかどうかは、ある意味において単なる程度問題に過ぎないという可能性が浮上する。純文学作品や自然主義文学の小説に出てくる作中人物は、たしかに仮構されたものではあるが、まんが・アニメ的なキャラクターではない。これに対し、その仮構の度合いをしだいに高めていくことで、より現実とかけ離れた人物、実際に現実には存在しないが、現実に存在するかのように読者がリアリティを感じるのがキャラクターということになるのではないか。しかしこれでは、どこまでをキャラクターとして位置づけるかというその境界線が、あまりに漠然としている。大塚英志や伊藤剛をはじめとするキャラクター論がどこか納得できないものを抱えているのは、まさにこの部分が問題となっているからであろう。

このように考えると、日本のまんが・アニメ文化において描かれてきたキャラクターについて、ひとつの考え方が見いだされる。すなわちキャラクターとは、作中人物を語りやしぐさによってではなく、独白や作中人物どうしの対話という台詞によって造形してきたことにより生じたものではないか。いいかえれば、キャラクターとは視覚的な情報によって規定されるものではなく、作中人物の心を言葉によって余すところなく語り尽くし、読者に示すという表現が様式化した結果、そのような様式に当てはまる作中人物がキャラクターとして認知されてきたのではないかということである。このように考えた場合、たとえば大塚英志や伊藤剛が前提としてきた論、すなわち、作中人物に現実に生きる人間と同じように内面を与えたものをキャラクターとみなすという考え方については、慎重に取り扱わなくてはならない。なぜなら、作中人物の言動が様式化・典型化することは、そこで語られている作中人物の内面までも、様式化・典型化されていた可能性があるからである。
大橋崇行『ライトノベルから見た少女/少年小説史』(笠間書院)

大橋氏の慎重な筆致をあえてまとめてしまえば、キャラクターとは「台詞や言葉」によって「様式化・典型化された内面」をもち、さらに「作品、メディアを横断して同じ登場人物として扱われ得る」もの、といえるだろうか。
近代の小説が、作者の一回限りの「作品」として固有性を重視するのに対し、様式、類型を重視する古典作品、古典芸能が、より「キャラクター性」に親和的であるのは、上記の条件にあてはめて納得できよう。すなわち歌舞伎の曾我五郎、義経判官のごとし。

また古典研究の立場から補足すれば、古典における登場人物を「キャラクター」と定義しにくいと感じるのは、近代でいう「作品」の固有性をもたない世界の住人だからであろう。古典のキャラクター、たとえば「色好み」在原業平や、「をこもの」としての清原元輔などは、一回性の、別の言い方をすれば個々の作者が創り出す「物語」(作品)の登場人物というよりは、ひろく共有される「説話」的人格というべきである。つまり、そもそも様式化、類型化された内面しか持っていないし、固有の作品に縛られる存在ではない。そのためわざわざ「作品」を横断しているとの認識に違和感を生じるのであろう。

また、精神科学者の齋藤環は、学校における「スクールカースト」におけるコミュニケーションのなかで演じられる交代可能な人格としての「キャラ」に注目し、「キャラ」を「物語空間を超越する強い「同一性」をもつ」もの、と定義している。(齋藤『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』筑摩書房、2011

その他、各論についてはWikipediaの「キャラ」の項目に詳しい。



「キャラ」が、現代の「若者」文化を評するキーワードとして剔出されうることはここまででも明らかであり、また高柳や野口る理らの作品を「キャラ俳句」と呼ぶことに私も異論はない。

しかし、私見ではこれらの志向は結局のところ大きな「パフォーマンス」志向によって統括されるものと思う。
これは特別な「キャラ」を作り、演じているとは見られていない、「私」性の強い作家、つまり矢口晃、西川火尖らにも、
また、まったく別の方向で言葉に拠って表現の開拓を目指している佐藤文香、岡田一実、山本たくやらにも、

決して無関係ではない「パフォーマンス」世代の共通基盤のようなものがある、と思っている。


2015年1月11日日曜日

資料逍遙



東京へ遊びに調査に行ってきました。

某所より依頼された原稿〆切が迫っているので、国会図書館と俳句文学館へ。

普段はあまり感じませんが、「東京はいいなあ」と思うのは、こういう研究環境。
関西でも、いろいろ組み合わせれば手に入るのかもしれませんが、やはり「ここへ行けば必ずわかる」という研究機関が、交通の便のいいところにあるのがすばらしい。
短い時間で、たくさんの資料を実際に手に取り、調べることができる。

東京の俳人は、だから地方の俳人に比べて圧倒的に有利であることを自覚して、もっともっとこういう施設を使っていろんな本を読めばいいのです。うらやまけしからん。

関西にも詩歌の雑誌、図書をまとめた資料館があればと切実に思うのですが、俳句でいうと虚子記念文学館柿衞文庫神戸大学誓子記念館など、いくつかの機関に分かれていて、しかもOPAC(蔵書検索)や資料カードが未完成なのでよくわからない。国会図書館関西館とかも、すごく行きにくい。
また、それぞれ受け入れ体制が整っていないため今後、寄贈などを受けて充実させていくのか、などの方針も定かでない。
結果として、なにか俳句に関して調べ物をしたい人がいても、どこへ行って何を調べればいいのか、よくわからないのが実態です。
まあ、大学図書館か地域の中央図書館でも有名な総合誌(『俳句』『俳句研究』など)や、地域の老舗同人誌などは置いている可能性があるので、地道に探していくしかないのでしょう。

もちろん、それを逆手にとって各地の俳人が自分の地域の作家を掘りおこす努力などを続けると、俳句研究の視野も飛躍的に拓けていくだろうと思いますが、誰もそんな地味な仕事には興味がない、というのが現実。

ちなみに、私の住んでいる神戸市の図書館では、西東三鬼、永田耕衣、橋かん石、後藤夜半、赤尾兜子、山田弘子、時実新子ら地元ゆかりの作家以外にも、水原秋桜子、日野草城、角川源義、三橋敏雄、渡邉白泉、佐藤鬼房、飯島晴子らの全句集を読むことができるようです。


ところで、俳句文学館でホトトギスの古い号(大正12年ごろ)を見ていて、ちょっと笑ってしまったのがこちら。


曰く。
ホトトギス愛読者各位、今日又は将来に  船舶或いは積荷の海上保険 汽車積貨物の運送保険 家屋家具又は商品の火災保険を要せらるゝ機会がありましたらば何卒大阪海上火災保険会社に御下命を願ひます。この会社は本誌愛読者の一人なる大阪の浅井啼魚(義晭)が専務取締役として経営の局に当つてゐる資本金一千万円(積立金六百万円)の堅実なる保険会社であります。御用の節は御便宜下記本支店の内へ御一報を願ひます。 尚其節には「ホトトギスの広告によつて」と一言御申添を希望致します。

面白いのは、「本誌愛読者の一人なる浅井啼魚」という一言により、信頼を保とうとしていること。
ホトトギス仲間だから信頼できますよ、みたいな。
実際にはこのあと関東大震災が発生、啼魚は火災保険支払問題で社と対立して辞めてしまいますから、広告に従って保険を申し込んだ人がよかったか悪かったかわかりませんが。

俳句を縁にした保険会社の広告、というのは、一方でとてもしたたかで俗な感じですが、いまの、結社広告に埋め尽くされた総合誌とは違う、開かれたというか、風通しのいい感じもあります。

当時、非常に多くの財界人が俳句を愛好し、ホトトギス系の作家の多くがそれぞれの句会で指導役を担っていました。
社内では重んじられていない、どちらかというと窓際の人が、句会では社長、会長相手に添削している、みたいな。
大正末年といえば、ホトトギスでは鬼城、蛇笏、石鼎、普羅らがまだ第一線におり、草城、秋桜子、誓子らが姿を現しはじめたころ。
一方では俳句史上に稀な表現の高まりがあり、一方では社会人、企業人として成功している人たちがこぞって俳句を楽しみ、誌面を賑わせていた時代。
それは決して無関係なのではなく、おそらく総帥・虚子の戦略のなかで一致していたはず。
時代は大正デモクラシーの時代を終え、震災の打撃から暗く厳しい時代へ入っていきますが、俳句と、俳句をめぐる状況が、ある種の幸福な関係を築いていた時代のひとつの証拠と言っていいかもしれません。



そういえば、「最近の週俳、俳句にかまけすぎてるんじゃないですかね」という発言があって(参照)、なるほどなあと思ったものです。
私自身は、音楽もスポーツもあまり興味がないうえ、俳句の硬派な記事を読むのが結構好きなので、正直「週俳」で俳句以外の記事、そんなに読みません。そして、多くの俳人もやっぱり俳句が好きらしくて、放っておくと俳句ばかりになりがちです。
とはいえ、やはり俳句雑誌が俳句しか載せないという偏狭なことだから、俳句が先細りになるのだろう、とも思うのですね。

自分が「船団」にいるから特に思うのかな、と思っていたのです。(たとえば「船団」ブックレビューは、明らかに俳句以外の本の紹介のほうがおもしろい)
しかし、そういうわけでもないらしい。

俳句の人が読もうが読むまいが、一方では俳句以外の人へ向けた記事も載せておく。
そういう度量も、あるいは雑誌には必要なのかも知れません。



というようなことを思いつつ、俳句文学館の帰りに、駅前の赤ちょうちんで松本てふこさん、西村麒麟さんと小宴。
『俳句』1月号を肴に、ここでは書けない?ような、「あーだこーだ」を。

やっぱり俳句の話してるほうが好きなんですよねえ。


2015年1月4日日曜日

関西俳人選 (2)


続き

山口波津女(やまぐち・はつじょ)

明治三九年、大阪生まれ。父は浅井啼魚、夫は山口誓子。「ホトトギス」「馬酔木」を経て「天狼」「七曜」に参加。句集『良人』『天楽』など。昭和六十年没。

  • 風邪ひきし夫のあはれさかぎりなし
  • 手毬つく髪ふさふさと動きけり
  • 風船を居間に放ちて冬籠
  • 曼珠沙華夫は見しとふ羨し
  • 油虫われを嫌がらせて走る
  • 愛情は泉のごとし毛糸編む
  • 聖菓切るキリストのこと何も知らず
  • 香水の一滴づつにかくも減る
  • 男の雛の袖の中にて女雛立つ
  • 読み初めの一頁より女不幸
  • 水中花何の花とも云ひ難し
  • 見れば必殺す油虫あはれなもの
  • 油虫今宵は月の光に飛ぶ
  • 扉をあけて青赤のもの冷蔵庫
  • 嬰児(えいじ)を抱けば毛糸のかたまりよ
  • 過去多くなりぬショールに顔うづめ
  • 百足虫など神何故に創られし
  • 暗闇で悪を働く油虫
  • なほ高き方へゆかんと揚羽蝶(あげはちよう)
  • 白桃を手に持つこころやさしくし



長谷川素逝(はせがわ・そせい)
明治四〇年、大阪生まれ。昭和八年「京大俳句」創刊にくわわり、のち「ホトトギス」同人。旧制甲南高校教授。句集『砲車』『村』『暦日』など。昭和二一年十月没。
  • つち風のあらしもくもくもくと兵らゆく
  • 凍土揺れ射ちし砲身あとへすざる
  • ぎじぎじと熱砂は口をねばらする
  • さくらはやかたき小さき芽をもちぬ
  • 秋白く足切断とわらへりき
  • 沙羅の花深山の空のしづけさに
  • 夜光虫燃えてさびしや佐渡さらば
  • いちにちのたつのがおそい炉をかこむ
  • 馬ゆかず雪はおもてをたたくなり
  • あたたかくたんぽぽの花茎の上
  • いちまいの朴(ほお)の落葉のありしあと
  • おぼろめく月よ兵らに妻子あり
  • さよならと梅雨の車窓に指で書く
  • ふりむけば障子の桟に夜の深さ
  • 円光を着て鴛鴦(をしどり)の目をつむり
  • 春の夜のつめたき掌なりかさねおく
  • 連翹(れんぎよう)の雨にいちまい戸をあけて
  • すかんぽのひる学校に行かぬ子は
  • 二月はやはだかの木々に日をそそぐ
  • しづかなるいちにちなりし障子かな
桂信子(かつら・のぶこ)
大正三年、大阪市生まれ。日野草城に師事する。昭和四五年「草苑」を創刊主宰。句集に『月光抄』『女身』『晩春』など。平成一六年没。
  • ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ
  • クリスマス妻のかなしみいつしか持ち
  • やはらかき身を月光の中に容れ
  • ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜
  • ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
  • 窓の雪女体にて湯をあふれしむ
  • さくら散り水に遊べる指五本
  • ひとり臥てちちろと闇をおなじうす
  • 虫しげし四十とならば結城着む
  • 山超える山のかたちの夏帽子
  • 野遊びの着物のしめり老夫婦
  • 老人に石のつらなる秋祭
  • 鯛あまたゐる海の上盛装して
  • 母のせて舟萍(うきくさ)のなかへ入る
  • きさらぎをぬけて弥生へものの影
  • ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く
  • 地の底の燃ゆるを思へ去年今年
  • たてよこに富士伸びてゐる夏野かな
  • 冬麗や草に一本づつの影
  • 桶の底なまこに骨のない不安

波多野爽波(はたの・そうは)
大正一二年、東京都生まれ。祖父、波多野敬直はもと宮内大臣。京都帝国大学卒。「ホトトギス」同人、「青」創刊主宰。句集に『舗道の花』『骰子』など。平成三年没。
  • 鳥の巣に鳥が入つてゆくところ
  • 砂日傘さつきの犬がまた通る
  • 滝見えて滝見る人も見えてきし
  • 下るにはまだ早ければ秋の山
  • 冬空や猫塀づたひどこへもゆける
  • 地に円を描きある中に蜂とまる
  • 金魚玉とり落しなば舗道の道
  • 本あけしほどのまぶしさ花八つ手
  • 地下のバーにいて凍鶴といま遠し
  • 釣堀の四隅の水の疲れたる
  • 青柿の夜々太りつつ星は気儘
  • 吾を容れて羽ばたくごとし春の山
  • 炬燵出て歩いてゆけば嵐山
  • 探梅へ黒子も雀斑の人も
  • 天ぷらの海老の尾赤き冬の空
  • 雪うさぎ巫女二人仲睦まじく
  • 骰子の一の目赤し春の山
  • 大根買ふ輪切りにすると決めてをり
  • チューリップ花びら外れかけてをり
  • 寺にゐてががんぼとすぐ仲良しに
赤尾兜子(あかお・とうし)
大正一四年、兵庫県生まれ。大阪外語専門学校時代の同級に司馬遼太郎。戦後、京都大学在学中に「太陽系」同人。のち「渦」創刊主宰。句集『蛇』『虚像』。昭和五六年没。
  • 萩桔梗またまぼろしの行方かな
  • 青葡萄透きてし見ゆる別れかな
  • 年用意われには胸に隠す遺書
  • 霧の夜々石きりきりと錐(きり)を揉む
  • 音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢
  • ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥
  • 機関車の底まで月明(あきら)か 馬盥(うまたらい)
  • 帰り花鶴折るうちに折り殺す
  • 嬰児(えいじ)泣く雪中の鉄橋白く塗られ
  • 子の鼻血プールに交じり水となる
  • さしいれて手足つめたき花野かな
  • ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう
  • 狼のごとく消えにし昔かな
  • まなこ澄む男ひとりやいわし雲
  • 近海へ入り来る鮫よ神無月
  • 大雷雨鬱王と合ふあさの夢
  • 未知の発音尖る陸橋の白い茸(たけ)
  • 柿の木はみがかれすぎて山の国
  • 白い体操の折目正しく弱るキリン
  • 海胆(うに)割るに崩れたちまち痩せにけり

田中裕明(たなか・ひろあき)
昭和三四年、大阪市生まれ。京都大学工学部卒。波多野爽波に師事し、「青」同人。平成一二年「ゆう」創刊主宰。平成一六年、白血病により死去。四五歳。句集『先生からの手紙』ほか。
  • この橋は父が作りし?しぐれ
  • 大学も葵祭のきのふけふ
  • 沈丁花冥界ときに波の間に
  • 鉋(かんな)抱く村の童やさくらちる
  • 悉(ことごと)く全集にあり衣被
  • いちにちをあるきどほしの初桜
  • 朝刊に雪の匂ひす近江かな
  • 渚にて金澤のこと菊のこと
  • なんとなく街がむらさき春を待つ
  • 麦秋と思ふ食堂車にひとり
  • 春昼の壺盗人の酔ふてゐる
  • 母の耳父の耳よりあたたかき
  • 春昼の壺盗人の酔うてゐる
  • みづうみのみなとのなつのみじかけれ
  • 寒き夜や父母若く貧しかりし
  • 人の目にうつる自分や芝を焼く
  • をさなくて昼寝の国の人となる
  • 水遊びする子に先生から手紙
  • 日本語のはじめはいろはさくらちる
  • 空へゆく階段のなし稲の花

関西俳人選 (1)


以前、「俳句ラボ」で借り物句会をしたときに作った、関西俳人の秀句選です。

※ 借り物句会・・・自分の句ではなく、他人の句を使っておこなう句会のこと。「投句」に事前に選んだ他人の句を使う以外は、おおむね通常の互選句会と同じように選句、合評する。提唱者のひとり、千野帽子氏は「作らない句会」「スタンド句会」と名づけている。(cf.『俳句いきなり入門』NHK新書
個人の全句集やアンソロジーを参照しながら、関西ゆかりの作家の秀句20句を選んでいます。

当日は、一人につき2人ずつ、適当に配布し、手許の40句のなかから好きな句3句を投句してもらい、その後、選句・合評を行うことにしました。(選句では自分の投句した句は採らない。)

誰にどの作家が渡ったかはわからないようにしたので、自分好みの作家が来た人は20句から選ぶのも苦労しただろうし、好みでない作家は1句も選べなかっただろうと思います。

そのへんは、運です。
作家としては物故者に限定しました。スタンダードな人選のつもりですが、誓子、三鬼は有名句が多く句会向きでないと思って外しました。
とはいえ、腰を据えて誓子、三鬼を選んでみてもよかったかも知れません。


20句選くらいが、初見で選ぶには読みやすい適量だと思うのですが、やはりどうしても代表的な作品は入れておきたいとか、マニアックな句を何句入れられるかとか、選者の裁量が前面に出がち。

そうすると、せっかく紹介した先行作家のカラー(句風)がわからなくなるので、バランスは難しいところです。
私自身も準備不足で、結構前から何人かの句集を読んだりして準備していたのですが、人数を増やそうとしてアンソロジーなどに頼った作家も、ちらほら。
草城、静塔、信子あたりの作家は、
平井照敏『現代の俳句』(講談社現代文庫)に拠っています。

とはいえ、「今までしっかり読んだことのない先行作家の作品に触れる機会になった」と、おおむね好評な企画でした。
改良を検討つつ、またやってみたいと思います。



阿波野青畝(あわの・せいほ)
明治三二年、奈良県高市郡生まれ。高浜虚子に師事し、昭和四年「かつらぎ」を創刊主宰。句集は『万両』『国原』など多数。平成四年没。

  • 大阪の煙おそろし和布売
  • 案山子翁あち見こち見や芋嵐
  • さみだれのあまだればかり浮御堂
  • 葛城の山懐に寝釈迦かな
  • 来しかたを斯くもてらてら蛞蝓
  • 水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首
  • 牡丹百二百三百門一つ
  • 乱心のごとき真夏の蝶を見よ
  • 山又山山桜又山桜
  • 赤い羽根つけらるる待つ息とめて
  • イースターエッグ立ちしが二度と立たず
  • うごく大阪うごく大阪文化の日
  • 独り身の蓑虫ひとりこもりけり
  • 無より有出てくる空の牡丹雪
  • どつかれて木魚のをどる寝釈迦かな
  • 松茸は皇帝栗は近衛兵
  • 今日の月一挙手一投足に影
  • 球体の月を揚げたり甲子園
  • ペレストロイカペレストロイカ虫滋し
  • 息白しポイ捨て御免合点だ


橋本多佳子(はしもと・たかこ)
明治三二年、東京生まれ。杉田久女、山口誓子に師事、奈良日吉会館での俳句会により鍛錬。「天狼」創刊同人、「七曜」主宰。句集『紅絲』『命終』など。昭和三八年没。

  • 七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ
  • 母と子のトランプ狐啼く夜なり
  • 雪はげし抱かれて息のつまりしこと
  • 鶏しめる男に雪が殺到す
  • 蛇を見し眼もて弥勒を拝しけり
  • 万緑やおどろきやすき仔鹿ゐて
  • 乳母車夏の怒濤によこむきに
  • 南風つよし綱ひけよ張れ三角帆
  • 祭笛吹くとき男佳かりける
  • いなびかり北よりすれば北を見る
  • 星空へ店より林檎あふれをり
  • 月一輪凍湖一輪光りあふ
  • 踊りゆく踊りの指のさす方へ
  • ひと死して小説了る炉の胡桃
  • ねむたさの稚児の手ぬくし雪こんこん
  • 蝶蜂(ちようはち)の如雪渓に死なばと思ふ
  • 綿虫の浮游病院の屋根越せず
  • げんげ畑そこにも三鬼呼べば来る
  • 九月来箸をつかんでまた生きる
  • 山の子が独楽をつくるよ冬が来る


永田耕衣(ながた・こうい)
明治三三年、兵庫県加古川市生まれ。「天狼」「俳句評論」を経て「琴座」主宰。句集『加古』『驢鳴集』『殺佛』など多数。平成九年没。

  • フラスコに指がうつりて涅槃なり
  • 夢の世に葱を作りて寂しさよ
  • 恋猫の恋する猫で押し通す
  • かたつむりつるめば肉の食ひ入るや
  • 朝顔や百たび訪はば母死なむ
  • 母死ねば今着給へる冬着欲し
  • 野遊びの児等の一人が飛翔せり
  • 後ろにも髪脱け落つる山河かな
  • あんぱんを落して見るや夏の土
  • 泥鰌(どじよう)浮いて鯰も居るというて沈む
  • 野を穴と思い跳ぶ春純老人
  • 出歩けば即刻夢や秋の暮 
  • 淫乱や僧形となる魚のむれ
  • 少年や六十年後の春の如し
  • 大晩春泥ん泥泥どろ泥ん
  • 千九百年生れの珈琲冬の草
  • 春風や巨大放屁の物化はや
  • 白梅や天没地没虚空没
  • 人ごみに蝶の生るる彼岸かな
  • コーヒ店永遠に在り秋の雨


日野草城(ひの・そうじょう)
明治三四年、東京生まれ。京都帝国大学卒、大阪海上火災に就職。「ホトトギス」同人を除籍されたのち「旗艦」「青玄」を主宰。句集『花氷』『青芝』など。昭和三一年没。

  • ものの種にぎればいのちひしめける
  • 春の夜のわれをよろこび歩きけり
  • 丸善を出て暮れにけり春の泥
  • 春の灯や女は持たぬのどぼとけ
  • 春の夜や都踊はよういやさ
  • ところてん煙の如く沈み居り
  • くちびるに触れてつぶらやさくらんぼ
  • 朝寒や歯磨き匂ふ妻の口
  • 静けさや澄みが火となるおのづから
  • 足のうら二つそろへて昼寝かな
  • けふよりの妻と泊るや宵の春
  • うららかな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく
  • 湯あがりの素顔したしく春の昼
  • 山茶花や戦にやぶれたる国の
  • かたはらに鹿の来ているわらび餅
  • 切干やいのちの限り妻の恩
  • 柿を食ひをはるまでわれ幸福に
  • 高熱の鶴青空に漂へり
  • 夏布団ふはりとかかる骨の上
  • 生きるとは死なぬことにてつゆけしや


橋閒石(はし・かんせき)
明治三六年、金沢市生まれ。京都帝国大学英文科卒、神戸高商、親和女子大教授。「白燕」創刊。句集『朱明』『和栲』など。平成四年没。

  • 春の雷銀のフォークを床に落す
  • 露早き夜の鉛筆削りたて
  • 螻蛄(けら)の夜のどこかに深い穴がある
  • すいと来る夜をふかぶかと沈む椅子
  • 流水に口なまぐさく寄せて飲む
  • 水兵の氾濫日和レモン絞る
  • 蝶になる途中九億九光年
  • 席立って席ひとつ空く秋の暮
  • 合歓咲くや語りたきこと沖にあり
  • 萍(うきくさ)を咲かせて軽き昼夜かな
  • ひとつ食うてすべての柿を食い終わる
  • しばらくは風を疑うきりぎりす
  • 昼の木菟(みみずく)いずこに妻を忘れしや
  • 階段が無くて海鼠(なまこ)の日暮かな
  • 顔じゅうを蒲公英(たんぽぽ)にして笑うなり
  • 三枚におろされている薄暑(はくしよ)かな
  • たましいの暗がり峠雪ならん
  • 噴水にはらわたの無き明るさよ
  • 時間からこぼれていたり葱坊主
  • 銀河系のとある酒場のヒヤシンス


平畑静塔(ひらはた・せいとう)
明治三八年、和歌山県生まれ。本名富次郎。京都大学卒、医学博士。戦後「天狼」の論客として活躍し、俳人格説などを展開。句集『月下の俘虜』『栃木集』など。

  • 滝近く郵便局のありにけり
  • 徐々に徐々に月下の俘虜として進む
  • 葡萄垂れさがる如くに教へたし
  • 狂ひても母乳は白し蜂光る
  • わが仔猫神父の黒き裾に乗る
  • 鳩踏む地かたくすこやか聖五月
  • 老俥夫(しやふ)や酔はねばならぬ鹿の声
  • 春泥を来てこの安く豊かなめし
  • 山川の中に泳ぎの人間漬
  • もう何もするなと死出の薔薇(ばら)持たす
  • 稲を刈る夜はしらたまの女体にて
  • 青胡桃(あおくるみ)みちのくは樹でつながるよ
  • えむぼたん一つ怠けて茂吉の忌
  • 川ゆたか美女を落第せしめむか
  • 手にゲーテそして春山ひた登る
  • 細道は鬼より伝授葛(くず)の花
  • この世にて会ひし氷河に嗚呼(ああ)といふ
  • 命終(みようじゆう)や氷を舐(な)めてすぐ涙
  • 身半分かまくらに入れ今晩は
  • 雪国に雪ふるどうにもならぬこと


(続く)

2015年1月1日木曜日

敬寿歳旦


明けましておめでとうございます。

2015年未年。

今月、30歳になります。




俳句を始めたのが2001年の4月。
甲南高校二年生のころ、塩見恵介先生から第4回俳句甲子園に出場してみないか、と誘われたのがきっかけでした。

愛媛県内だけで開催されていた俳句甲子園が、前年から県外の参加校を招聘し、いよいよ本格的に全国大会となった、最初の年でした。
もちろん知名度はまったくなく、ルールも何も初めて。参加費は無料。宿泊・食事全て向こう持ち、という好条件で、当時の私たちは「夏のクラブ合宿のついでに参加してみるか」という程度でした。

「夏の道後温泉、えーやん」と。



それから。
ここまで付き合いが深くなるとは、思ってもみませんでした。

俳句甲子園も、ずいぶんと有名に。

俳句甲子園に対しては、いろいろなことを考えることが多く、現状に対して言いたいことはたくさんあるのですが昨年もちょっと書きましたが)、それでも私はやっぱり、俳句甲子園が好きですし、松山・俳句甲子園で俳句を始めたということを嬉しく思っています。何より、俳句を「楽しむ」ことを教えてくれたのは、俳句甲子園です。

私は、1985年の早生まれです。
上の学年には、神野紗希、西村麒麟、外山一機、小川楓子がいる。
同年生まれ・一学年下に、佐藤文香、山口優夢、そして谷雄介という俊才が揃っている。

同学年の作家には、江渡華子、西川火尖、藤田亜未がいるものの、知名度からいっても実力から言っても、狭間の学年と呼んでいいでしょう。(上田さんの力稿でも、扱いが小さい)力不足は、批評でなく自戒として、甘受せざるをえない。

同世代の作家たちが、俳句表現史のトップとして「今」を切り開きつつあること。
そのことは誇らしくもあり、嬉しくもあり、彼らの創り出す「今」を感じていたいと強く思う。
その一方で、圧倒されるようなプレッシャーもある。

私は、塩見恵介を師匠に持ったことで、いわゆる結社の師弟関係とは違った俳句の修練を積んできました。
「船団」に属してからも超結社での活動が好きで、時に自由律、川柳、連句と他ジャンルにも顔を出したり。多くは私のわがままな性格ゆえでしたが、結果的に、いろいろと面白いことに巡り会えたと思っています。

そして、これは根からの性質でしょうが、実作以上に「評論」「批評」に目配りしてしまうところがある。
外山氏のほか、青木亮人、関悦史、橋本直、小池正博、俳句史をふまえた諸氏が見ている俳句の「現在」に、大変興味がある。

表現史を更新するようなことはないかもしれないが、私なりの俳句を作り出すとすれば、そういう俳句の「広さ」を反映するような、それでいて無理せず、気楽に、楽しめるような。力まぬ前衛、とでもいうような、そんな句かも知れません。



俳句界で「若手」はいくつまでか、という議論があります。
「新人賞」の応募が50歳未満。
実質的に考えれば、角川『俳句』新年号の特集のように、またかつての『新撰21』がそうだったように、「40歳以下」あたりが、メドになるのでしょう。
とはいえ、30歳。

俳句甲子園出身であるがゆえ、高校生・大学生ら、後生畏るべし、の思いは人一倍です。
もはや、「若手」と言って気長に構えている年齢ではない。



今後とも、曾呂利亭雑記をよろしくお願いいたします。



亭主拝。