週刊俳句196号の「週俳12月の俳句を読む」に寄稿させていただきました。
→週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第196号 2011年1月23日
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先週末の金曜、ちょっと東京までいく都合があったもので、ついでに山口優夢氏の「角川俳句受賞パーティ」に紛れ込んできました。
銀座の中華料理屋を貸し切ってのパーティで、参加者は発起人の櫂未知子氏はじめ、優夢氏の師である「銀化」主宰・中原道夫氏、選考委員だった池田澄子氏、長谷川櫂氏、そのほか筑紫磐井氏、高山れおな氏、などなど、判別できただけでも錚々たる面々が集まっていて、これに「銀化」の方々とか、現代俳句協会の方々とか、週刊俳句の中の人たちとか、学生俳句仲間とか、開成の後輩たちとかが加わり、かなりの盛会でありました。
江渡華子嬢は着物姿、神野紗希さんはチャイナで、えらい眼福だったのですが、受付やら応対やらで忙しそうだったのであまり話せませんでした。とはいえ、これだけ周囲が動いてくれる、というのが優夢氏の人徳でしょう。
それを「僕を支えてくれてる人が集まってくれて……」と、台無しにする「ご挨拶」をしてしまうところがまた、優夢らしい(笑)。
優夢氏を見ていて面白いのは、無邪気な無遠慮さやら向上心やらと、恵まれた環境を活かすしなやかな知性とが、絶妙のバランスで配合されていること。
普通の人が聞いたら怒られるようなことを言っても、邪気がないのがわかるから、つい応えてしまう。すると優夢は相手の反応をそのまま栄養に取りこんで少し大きくなる。…あ、いや、見た目のことじゃなくて(^^;)
思えば彼の特性はそのまま、ジャーナリスト向きなのかもしれない。4月からのお仕事も、大変そうだが頑張っていただきたいものである。
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さて、会場にはたくさんの人たちがいたので、「俳句なう」の宣伝を含めて社交活動をしてきました。そんななかで現代俳句協会の誇る若手論客の方々ともおしゃべりしたり。案外、当blogのことも知られているようで、ありがたいことです。
その場で、近代の「俳句」をめぐる議論のやり方について、ちょっと問題提起をしました。
詳しくはまた別稿を草したいと思うが、用語の問題についてである。
たとえば、「座」という語。
「俳句は座の文学」とは、もう大前提のように言われるテーゼであるけれど、またそれを否定するつもりもなけれど、「座」というのは正確には連歌俳諧を催す場のことであり、またそうした場をさす、近代文芸学上の用語である。
座は、文芸用語としては、連歌や俳諧を興行する際に、作者・宗匠・執筆(総称して連衆と呼ぶ)が、身分や地位を越えて、一堂に会して詠じる場をいう。これは厳密には、永続的なものではなく、その時かぎりの、いわゆる一期一会の閉じられた機会であることを原則とする。
藤田真一氏執筆「古典文学研究のキーワード」『国文学』40-9号
従って、近代俳句を論じる際には正確には、「俳句は座で催された俳諧の性格を引き継いだ文学」というべきだろう。
俳句と俳諧の間に「座」という共通性を見てしまうのは、すでに近代文学者としての分析が加わっているからだ。個人的には「共同性の文学」とでも呼んだほうが、分析概念であることが明示されてよいと思っている。
何をこだわっているのかと言えば、つまり子規によって一度俳諧の伝統から切り離され、虚子によって確立した「近代俳句」の論理が、無批判に俳諧の用語をつかってしまうことで見えづらくなるのではないか、「近代俳句」が近世俳諧からなだらかにつながる自然発生的な(伝統的な)ものだと錯覚してしまうのではないか、ということだ。
俳諧用語を排したことで何が見えてくるかはまだよく分からないが、少なくとも一度立ち止まってみることは必要だと思う。
もうひとつ、実はこのblogのなかで私は意識的に「俳人」や「俳壇」といった用語を使うことを避け、できるだけ「俳句作家」「俳句界」を用いている。
日常会話のなかではよく使ってしまうが、「俳人」とか「俳壇」という言葉のもつ特殊性は、正直自分にとっての俳句の関わり方に馴染まないと思う。
もっとも、私は実態としての「俳人」「俳壇」の存在は認めている。俳句を作り、俳句について論じる人たちはやはり特殊な「俳人」というべき人たちだろうし、それに相応しいバイアスを持っていることが多い。また、そうした人たちが集まれば、そこにおのずから社会が誕生し、「俳壇」が形成されていく。当然のことだ。
私も以前は「俳壇」という語を用いていたが、だんだん、いかにも特殊なヒエラルキーを感じさせる「壇」の語に違和感を覚えるようになった。
小説などほかのジャンルに目を向けてみると、もちろん私はその内部事情など知らないが、そこには当然作家同士の交流があり、社会が形成されている。しかしかつての「文壇」的なヒエラルキーのようなものは希薄に見える。
もうひとつ、「俳壇」という語が生まれたのが、高浜虚子と河東碧梧桐との対立が明確になったあたりからだ、というのを知って、ますます胡散臭さを感じるようになった。要するに語の成立自体、どこか政治的というか派閥争いめいたところで湧いた語なのだと思う。
俳句をめぐる議論はなにかと不透明なことが多いが、それを解消する一歩として、まず、議論のための用語に気を配ることは当然ではないだろうか。
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