翻車魚ウェブ:俳句は続けなくたっていい 佐藤文香 についてつぶやいたまとめ。
そうえいば、少し前に話題になってた「俳句は続けなくたっていい 佐藤文香」https://t.co/Fjn4d0pq3Sについて、少し。— sorori (@sorori6) 2019年8月23日
この記事が出るすこし前、佐藤文香と話してて偶然同じような話題になった。だからこの記事が出て、あー考えまとめている最中だったのかな、と思ったんだけど、私も、誰かが俳句をずっと続ける必要があるなんて思わないし、「それぞれが得意なやり方で、深く関わったり、ちょっと休んだりすればいい」→— sorori (@sorori6) 2019年8月23日
という考え方に、とても賛成。俳句に関わるやり方は一通りでなくてよい、というのは、私もずっと主張してきたし、たぶん、そこは共通してる。— sorori (@sorori6) 2019年8月23日
一方で、だからこそ「ずっと続ける」貴さというのも、思うところではある。そこに私は、作家として信頼感を置きたい気持ちがある。自分で続けるのは難しい→
からこそ、続けられる、続けずにいられない人をこそ「作家」として尊敬したい、と思うのだ。Kuru-Cole、という企画で紹介してきた作家は、そういう作家。https://t.co/5n6JHfcoyx— sorori (@sorori6) 2019年8月23日
つまり、俳句という文芸への関わり方、評価の仕方、として、— sorori (@sorori6) 2019年8月23日
・作品として優れている。面白い
のほかに、
・作家として信頼できる。面白い
というのが、私の中では大きくあって、それとまた別に、
・人として信頼できる。面白い
っていのも、また別次元として、あるわけで、3条件そろえば完璧だけど→
つくる作品は面白いけど作家としてこの人は続けていくんだろうか?俳句史に名を刻むのだろうか?と疑問を覚える作家について、私は「作家として」推せない、と思う。— sorori (@sorori6) 2019年8月23日
私もそう思われているかもしれないが、その意味でいえば、『天の川銀河~』が、今旬の作品をとりそろえたことは疑えないとしても→
今後続けないかも知れない作家、をも積極的にとりあげた、ということについては、いささか疑問に思うし、残念にも思う。詞華集として作品だけをとりあげたのではなく、「作家」としてとりあげた選集、であったはずだからだ。— sorori (@sorori6) 2019年8月23日
つまり、— sorori (@sorori6) 2019年8月23日
俳句とかかわった人が俳句を続けるかどうかは当人の自由だし、やめるのも休むのも、また帰ってくるのもおおいにやればいい。
けれど、ときどき、あなたの作品に衝撃を受けて、あなたが俳句を続けるのを、勝手に期待する「読者」がいる、こともあるのを忘れないで。
てことかな。
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