2019年5月12日日曜日
令和
代替わりや元号施行にまつわるお祭り騒ぎが続いている。
日ごろは日陰者扱いだった古代史や古典文学の研究者が、とっかえひっかえテレビに出て解説しているのは、なかなか奇妙なながめだ。私のお世話になっている先輩や先生がたもあちこちで活躍しており、そのこと自体は個人的に喜ばしい。
令和という語の、出典や内容については、以下のページが参考になる。
「令和」の出典は漢文!?――『万葉集』と中国古典作品との深い関係 三宅香帆 | web春秋 はるとあき
筆者は京都大学大学院で万葉集を専攻し、現在は書評家、文筆家として活動されているらしい。ほかにも万葉集推しの文章があついので、詳しくはご本人のHPも参照してほしい。
より専門的な内容としては
岩波書店 岩波文庫の校注者による,「令和」 Q&A集!
ミカド文庫 「新元号「令和」の来歴と意義」京都産業大学 准教授 久禮旦雄
に専門家による解説がある。
番組によっては歴史学者ということで人を選ばずコメントをとっているところもあるが、やはり餅は餅屋で、万葉集なり天皇制なりを専門に研究している人の解説を基本にするのがベターである。
なお、万葉集が近代に「国民歌集」として評価され、近代の国家観形成に大いに利用されたことについては品田悦一『万葉集の発明―国民国家と文化装置としての古典』(新曜社)、古橋信孝『誤読された万葉集』(新潮新書)などの研究がある。
品田氏は今回の「令和」出典についても、源泉となった詩文の影響を重くみて万葉集や今回の「令和」にも政権諷刺の意味合いを読み取るべきだといった発言を行っているが(参照)、氏の研究から見えるのはむしろ時々の政権や読者によって適度に牙を抜かれた詩文こそが受容されてきた歴史や、日本文化を強調し慶祝ムードを演出した現政権の巧さであって、本来の作品を超えて解釈が重ねられていくことも古典の本義ではあるだろう。
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それにしても平成の終わりが、左右こぞってこんなにも天皇をあつく信奉する時代になるとは、文字どおり「昭和」には考えられなかったのではないだろうか。
実生活においては和暦より西暦のほうが使いやすいし、本の奥書などで和暦が使われていると西暦に換算するのが面倒(算数は大苦手だ)だが、職業柄、古い資料などをめくるときには当然和暦と西暦を対応させ、時代の指標として和暦がある安心感も、また持っている。
たとえば春秋社刊行の『日本秀句』シリーズ(『明治秀句』(山口青邨)、『大正秀句』(富安風生)、『昭和秀句』(1石田波郷、2秋元不死男))のように、また村山古郷の著作に見られるように、和暦による時代区分は、現代の我々にとっても時代についてある程度の喚起力をもち、便利なものがある。
各総合誌がいっせいに「平成を振りかえる」「平成の名句」などを特集したのも、また、そのなかで異口同音に昭和にくらべて平成の輪郭をとらえにくい、という発言があったのも、こうした伝統につながりながら俳句史を紡いでいく意識であろう。
そういう私自身、昨年の平成特集で俳句甲子園に関する一文を草している。(「俳句α」2018年秋号、毎日新聞出版)
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時代を画する指標としてグローバル以外のローカルな指標があったとしてもとやかく言われることではあるまいが、ただし、それが天皇制とふかく結びついている以上、元号に対する態度が、現代の天皇制に対する態度に重なってくるのは、当然であろう。
ところで、短歌の世界では狂騒の始まる前にいくつか鋭い時評があったものの(瀬戸夏子「現代短歌」2019.02、内野光子「ポトナム」2019.02/転載ブログ)俳句の世界で元号や天皇制を正面から扱って示唆的だったものは、管見に入ったのは高田獄舎のブログくらいであったことを、記憶の隅に置いておきたい。
もちろん和歌の流れを汲む現代短歌と、俳諧から独立した俳句とは、発生からして天皇制との関わりは違うわけだけれど、俳諧教導職として神道と俳諧普及に寄与した三森幹雄の歴史を忘れるわけにはいかないし、平成最後の歌会始に俳人協会前会長・鷹羽狩行氏が出席していることは、決して他人事ではないはずだ。
新天皇、新元号への奉祝ムードに追随する企画が目立つなか、もちろん別段批判や反対だけが意見ではないけれども、それにしても異見異論がないことに、自ら顧みて薄ら寒い気がする。
ひとつひとつは特段気にするほどではない、なかった、はずのできごとの積み重ねに、無自覚であったことが、後世に罪とされないように、歴史を顧みて気をつけなくてはいけない。
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