2011年9月8日木曜日

俳句の楽しみ。


笑った。
 
本読みHPブログ 俳諧ガールのための雑誌「Haine(ハイネ)」


こーゆー一発ネタに反応するのはツイッターのほうが便利なんやなー、と思いつつ、敢えてのブログ投稿。
spicaもちょっとオシャレな感じで、俳句に興味なくても文系女子にアピールする力は充分あると思いますが、なるほどフリーペーパーか。黛まどか氏の『ヘップバーン』がちょっとその方向だったんでしょうけど、いっそ突き抜けてるならこっちのほうがいいか。

さすがに「男子」ネタは難しかろうと思われ、「女子」という言葉の力を改めて思わせる。
男なら「男子」をターゲットにするより、「Haine」読者にモテるような「オヤジ」を作るほうが、たぶんてっとりばやい。やっぱり吉田類氏山田真砂年氏推しで、中高年狙いの若い女性が句会に集まるような。……あれ、ふつうの句会と変わらないか(それはそれで問題アリ)

ちなみに、以前紹介したこともあるが、この人のやってるオタク俳句というのも結構面白いので、こちらも引き続きウォッチしていきたい。




「俳句」の枠を広げていきたい、ということを、よく言う。
広げて、もっと「俳句」をいろんな角度から楽しむ人がいてよい、と思う。


私の場合、俳句を読むときの楽しみは二つある。
これは、俳句に関わり続けている理由とほぼ同義である。


一つは、言うまでもなく今まで見たことの無いような俳句に出会う期待。
俳句表現史の「変わる」瞬間に立ち会えるのではないか、俳句進化の現場に行き会えるのではないか、という期待である。
こちらはまあ、めったと味わえるものではないが、それでも句集を読んだり、句会の最中に何か可能性を感じることはあって、 この方向に俳句が転がったらどうなってしまうのだろうか、と不安と期待でワクワクするようなことがある。
それが自句であれば言うことはないが、自句でなくとも同時代的に出会えるのであれば、そんな幸福なことはない。私は、いつか俳句史の転換期の「当事者」になりたいのである。

もう一つは、もっとハードルの低い「ちょっといい句」に出会う喜びである。俳句史に刻まれるような句ではなくとも、句会に出て、一句に出会えれば嬉しい。
取り合わせの強引さに笑ってしまう句がある(きっと時間切れだったのだ)。既視感もあるがきれいにできあがっている句というのもある(熟練の技である)。あざとすぎて笑ってしまうような句、定型音律に載せただけで口ずさみたくなる句、いろいろな句がある。
ときどき、俳句なのかそうでないのか、何がいいのかよくわからない、という句もある。よくわからないが、目にとまる、耳に残るから「いい」というような、そういう句である。
正直なところ良い句とも思えないが、作者を重ねるとなんだかほっこりする、そういう句だってある。作者を聞いてギャップに驚いて、それで覚えてしまう句、というのもある。

文字通り、句会ごとに消費されていく句である。
コミュニケーション手段としての俳句である。
桑原武夫が勝ち誇って、「そういうのはフランスでは芸術と言わないんだよ!」とか言い出しそうな、そういう句である。
ところがそういう句に出会えるのが面白くて、なんとなく句会へ出掛けてしまう。
それも俳句の楽しみである。

俳句に両面があることは、すでに多くの人間が気付いているだろうが、果たしてこの両面は、表と裏のような相反する関係だろうか。あるいは+と-のような、異なる二つのベクトルなのだろうか。それともまた、前者を頂点とするピラミッドのような上下関係にあるのだろうか。
おそらく違うと思うのだが、まぁ説明モデルがうまくできたからといって本質が究明できるかどうかは別問題なので(つまり「巧く言ったった」かどうかだけなので)、深入りはしない。




あ、関西俳句なう 第14回俳句甲子園特集もよろしくお願いします。


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