そのうちブログでまとめなきゃなあと思いつつ、うまくまとまらないうちに俳句甲子園が近づいてきたのでここで書いてしまう。— sorori (@sorori6) 2018年5月10日
私自身は俳句甲子園で俳句に出会ったし、俳句甲子園でなければハマらなかっただろうと思うので、参加校が増えて盛り上がるのは嬉しいし、基本的に応援したいと思っている。
一方で、世間でこれだけブラック部活動が話題になってるなか、あらたに「俳句部」立ち上げて参加を呼びかけるのは、正直現実を見てないようで辛いのも確か。俳句わからん!と悩む先生に部活指導の時間とらせて、よくわからん外部講師と交渉させて、本選になったら夏休みに二泊三日の試合で引率、観戦。— sorori (@sorori6) 2018年5月10日
別の部活を担当してたらそっちとの調整もあるし、正直聞かれたってどの俳句がいいとかわからんし、間違った方向に生徒を導いて負けたらいやだし、で参加をためらう学校があったとして、それを責めることはできないと思う。— sorori (@sorori6) 2018年5月10日
その結果、やる気のある(俳句に関心ある)先生のワンマンプレイになっていく
ほかの部活でもありがちだが、やる気のある先生のワンマンプレイだと結局、その先生がいなくなると継続できない・そもそもその先生の指導方針に従うしかない・先生の異動のない私学で中高一貫が強い、となる。学校の特色でPRになるくらい定着したら別だが、文化系部活でPRになるほど根付くのは困難。— sorori (@sorori6) 2018年5月10日
はっきり言って世間の流れで言うと「学校の部活動」「学校単位での大会参加」が問い直されているわけで、もちろんすぐに部活がなくなるわけではないのだが、システム全体が、実は時代の変化に直面していると言っていい。— sorori (@sorori6) 2018年5月10日
学校単位のチーム戦、という最大の特徴が、実は今後ネックになりかねない。
以前書いた文章https://t.co/6YJMleBI6Nに書いたのは、俳句甲子園で作家になる必要はなく、また作家にならない人を評価しないのではなく、さまざまな可能性に開かれるべきだということ。むしろ俳句以外で活躍する卒業生が増えたほうが、俳句甲子園の教育制度としての意義は高まるんじゃないかな。— sorori (@sorori6) 2018年5月10日
特に結論とか画期的な提言があるわけではないが(だからブログに書けないのだが)、「俳句甲子園」は「学校単位」で出場する「俳句の大会」だけれど、そうじゃない性格、高校生がことばの可能性に出会う場だ、っていうのを意識しないと、マンネリ化は止まらないし時代に逆行するんじゃないかと思う— sorori (@sorori6) 2018年5月10日
俳句甲子園についての無理解に出合って心が折れそうになるとき、いつも読み返すのが、久留島さんの「俳句甲子園に期待しない」( https://t.co/sduzSRo3cx )という文章。「重要なのは、俳句甲子園は俳人を生み出すためにあるのではないということ」。— ほりしたかける (@fly_holly) 2018年5月10日
週刊俳句2014.09.07 俳句甲子園に期待しない 久留島元
石原ユキオ商店 文化部の活動に協力しているおとな(外部講師)からお願いしたいこと
学校から部活動がなくなる? BLOGOS2018年01月02日
0 件のコメント:
コメントを投稿