2012年3月9日金曜日

サイト紹介


3月3日シンポジウムにご来場いただきました皆さま、ありがとうございました。
お陰様で大入り満員、当初予定よりも大勢来ていただきまして大盛会でした。

スタッフ一同慣れないこともあり準備不足、当日は裏方でばたばたしてしまって内容も充分に把握できていないので、その意味で反省点多し。ご来場の方々、パネリストの方々にもご迷惑かけること多々。もちろん作品創作と教育現場とをどう結ぶか、というのは今後もきちんと議論されるべき重要な課題なので、今回まとまりがつかなかったこともこれから考えていかなくてはいけないかな、などと。




それはさておき、今回はサイト紹介ふたつ。

ひとつは、「ふらここ」中心メンバーで、現在スウェーデン留学中の黒岩徳将くんのサイト。
スウェーデン×俳句×教育×俺

U25日本代表として、遠く離れたスウェーデンの地で「俳句的生活」とは何か? を実践、研究している、まさに体当たり俳句ルポ。
この行動力に羨望ですね。

国際俳句運動というのは、個人的には他言語がまったくできないこともあって夏石番矢さんの名前が思い浮かぶくらいの関心しか持てないでいるのですが、俳句を完全に相対化して見るためには国際という立場の視点も有効なのかも知れません。
難しいことのひとつは「翻訳」の難しさで、つまるところ文学は翻訳できるのかどうか、ということ。つまり、芭蕉や蕪村、子規や兜太という、日本人でさえある程度の「俳句リテラシー」を必要とする作品を、果たして海外に持って行けるのかどうか、ということです。
むろん私だって、それこそ幼少期の『おおきなかぶ』『ひとまねこざる』時代から、ディズニー、ロフティング、エンデ、ヤンソン、C.S.ルイス、もちろんグリム、アンデルセン、西遊記、水滸伝など、数々の翻訳文学の恩恵を被っているわけですが、残念ながら原著で読んだことは一度もない。せいぜい大学に入って少々漢文を読んだくらいのものです。
だからこれらの作品について、本当にその作品を楽しんだのか、それとも実は石井桃子や瀬田貞二の訳を楽しんだだけなのか、というのは畢竟、わかりかねる。散文であってもそうなのだから韻文であれば難しさは倍増で、だから柴田元幸氏のような個性的な「翻訳家」の存在に頼らざるを得ない。

すぐれた日本文化の理解者であり紹介者である、ドナルド・キーン氏は、泉鏡花の文章を絶賛した文章で次のように言っている。

こんなに鏡花の小説にほれている私に、「翻訳する意志はないか」と問われたら、返事は簡単である。「とんでもない、この快感を得るために三十年前から日本語を勉強したのではないか」と。
『日本文学を読む』(新潮選書)

とすれば、つまるところ国際俳句は、翻訳文学としてでなく、「国際俳句」として、「俳句」とは違う基準を設ける必要がおそらくはあって、どこをよりどころとして「俳句っぽさ」を担保しているのか、ということは、興味深い問題として、今後黒岩くんに聞いてみたいところなわけである。



もうひとつ、これは「船団の会」メンバーでもある芳賀博子さんのサイト。
芳賀博子の川柳模様

芳賀さんは俳句でなく川柳人で、いわゆる時実新子「川柳大学」の出身者。昨年「かもめ舎」主催の句会・座談会でご一緒させていただきました。
『船団』でも「今日の川柳」を好評連載中ですが、こちらのサイトでも「はがろぐ」ページで、川柳鑑賞が公開される模様。
とてもきれいで見やすいサイトなので、是非一度ご覧ください。

しかしこのサイトを見てしまうと、「関西俳句なう」ページの、いかに粗雑だったことか。。。今度やるときは、ちゃんとHP作れる人に手伝ってもらいたい。。。


樋口由紀子さんの「金曜日の一句」と並んで、川柳界にも「読む」流れが広がっていけばおもしろいのに、と、ひそかに期待。
 

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