2011年2月21日月曜日

週刊俳句200号


「関西俳句なう」を紹介した記事 を、週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第200号に掲載いただきました。

文責は自分ですが、メンバー全員にいろいろ推敲してもらったので、いつもと少し違った文体、視点になってます。編集人のほうで、リンクとかレイアウトを整えていただけたので見やすくなってますね。ありがとうございました。

さて、その『週刊俳句』、200号の記念特集である。
(おそらくたくさんいる)創刊以来の読者の一人なので、ちょうどタイミングがあって文章を掲載いただき、お祝いに参列できたのはありがたかった。
さまざまな視点からの「オススメ記事」を集めた「週俳アーカイヴ」や、西村麒麟さんの好評企画、そして「ちょっと大きめのお知らせ」など、読みどころが満載。
しっかし「アーカイヴ」の、リンクの便利さといったらありませんな。これは紙媒体ではできない。

「アーカイヴ」で江渡華子氏が触れているが、先日の福田若之氏の評論は力稿であった。
とはいえ、手放しで褒めたのはちょっと軽率だったかもしれぬ。

改めて読み直すと粗いところが多い、というか、かなり論旨があっちゃこっちゃ行っていて真意(結論)がつかみにくい文章である。
しかし、それでも評者の向く姿勢は好感がもてる。

『傘』に掲載された藤田哲史氏の評論は、佐藤文香の句について外山一機氏の評を引いて、「かつての俳句から今の俳句を構築する行為」とみた。そのうえで、

ことさら新しさを外部から導入せずともかつての俳句からの引用だけで作品が構成できるほどの、俳句の成熟度も同時に示している。

と肯定的な評価を下したのである。
これに対し、福田氏の次の表現は、いささか違う姿勢をもっている。彼は『新撰21』の作家たちについて形式へのフェティシズムを看取しない立場であり、その上で

もちろん、『新撰21』の外側に「俳句想望俳句」は見出せるかもしれないし、『新撰21』の中に入っている作家たちのなかにも、やがてはかつての俳句へ深く深く入り込んでいく「俳句想望俳句」的な表現方法を見出す作家がいるかもしれない。……だが、「俳句想望俳句」という一つの特殊な方法論を時代の主流とし、「遺伝子をきちんと受け継ぐことが肝心だ[55]」という脅迫観念に俳壇全体がとらわれるとしたら、それは「第二芸術論」の支配したとされる近代俳句の歴史とは逆の向きで、俳句にとって不幸な時代になりはしないか。

というのである。
彼の評が妥当かどうかは、作家自身の評論を積み重ねるよりも作品分析を土台に検討されるべきであろう。
また言論史からいうならば、もっと第二芸術周辺の議論(高柳重信の一連の評論や、赤城さかえ『戦後俳句論争史』俳句研究社などで俯瞰できる)などを抑えてから議論を深めていく必要があるだろう。

しかし、「俳句想望俳句」という上(外)からのレッテルに対し、近い世代から自分たちを見直そう、とするところがいい。

結局、自分をプロデュースするのは自分だし、自分たちをプロデュースするのは自分たちでなくてはいけない。ある程度は師匠やら結社やら友だちやら先輩やらの厄介になって構わないが、最後は自分が何に拠って何を出すか、である、と、ごく当たり前に思う。
だからこそ、自分たちが先行世代と何が違うのか、どこにこだわって自分を出していけるのか、というのは、たとえ幻想に過ぎないとしても、過剰なくらい意識して発信していったほうがいい。

このblogも、結局はそうした発信のための土台作りである。



最近、『俳句研究』のバックナンバーを読んでいる。
1980年代後半、高柳重信編集時代の晩年から、重信没後のあたりを読んでいるのだが、この時代、実に熱い。
なによりオモシロイのは、重信の肝いりなのだろうが、坪内稔典、宇多喜代子、澤好摩といった若手の論客がほぼ毎号のように筆をふるい、議論しあっているところだ。

そのなかで『俳句研究』1984年7月、重信の没後に組まれた「特集・高柳重信の世界」において坪内稔典が発表しているのが「口誦の文学」である。
内容については『現代俳句入門』感想に書いた(→曾呂利亭雑記: 『現代俳句入門』を読む)のだが、初出時の特集と合わせて読むと、意図したものかどうかわからないが、改めて坪内氏流の「恩返し」を思うのである。

そしてさらに二ヶ月後。『俳句研究』1984年9月号の月評では、澤好摩による「口誦性の問題など」という文章が発表されている。

ところで、最近書かれた評論の中で坪内稔典の「口誦の文学」は気になる一文であった。単に浮ついた文章だから、という意味においてではなく、その批評の視点、角度が、彼のこれまでの評論とは明らかに異質な感じがしたのである。俗な言い方をすれば、一般うけしそうな、枯れた批評とでも言おうか。

この時期が、坪内氏にとって画期であったことは再三当blogで確認してきた。同時代にあってもそれまで盟友関係にあった澤氏が、相当戸惑っていることがよくわかる。

口誦性・暗誦性は、確かに重要な俳句の属性であるが、その問題を「今なお、披講を伴う句会という音読の場が、俳句の根ざしている場所なのだ」というレベルで語る坪内稔典は、『過渡の詩』を書いた頃の、俳句の近代から現代へかけてを俯瞰し、対象化可能な視点と方法的構想力を持ちえた場所から、かなり大きく後退しているように見える。

詳しくは別の機会をもつ予定なのでそれに譲るが、同時代の雰囲気をもって坪内氏の「転向期」を読み直す作業、かなり興味深そうである。

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